第二百九十四話 雪原の死闘
抜き身の黒帝剣を雪に刺し、柄頭に手を置いてジッと待つ。降りしきる雪が被ったフードに積もるが、体内を巡る魔力を操作することで氷として操り、散らす。そうして待つ相手は謎のゴブリン。僕とアドラスは異常進化個体と睨んでいるが、答えは分からない。会って、戦ってみないと分からない。今まで出会った異常進化個体は会話が出来たが、今回はどうだろう。
「アサギ、そろそろだ」
「あぁ」
「よし、配置につけ」
アドラスの合図で2人が離れ、店長が僕の影に沈んだ。
冷たい風が風龍の素材で作り上げた服を揺らす。しかしどんなに風が僕を叩きつけても体は1mmも動かない。ジッと、正面を睨む。《気配感知》ではもう、視認出来る距離になっていた。
そして不意に風が止んだ。ピタリと自然ではありえない形で無風になった。先程まで聞こえていた風切り音がなくなり、静けさに耳がざわつく。
空から降る雪はある一定の高度になると水に変わり、透明の丸い屋根でもあるかのように弾かれ、流れ落ちていった。
その現象につい、視線を上へと向けてしまった。その視線を戻すと、白い雪の上に赤黒いゴブリンが立っていた。《神狼の眼》で見たあのゴブリンが、ゴブリンの血が付いた大剣を肩に担いで此方を見ていた。
「お前は何だ」
「……」
「何故同じゴブリンを殺す」
「……」
「このスタンピードはお前が率いたものか?」
「……」
ジッと、此方を見たまま黙り込むゴブリン。言葉が通じていないのかもしれない。それとも、考えている……?
「俺は……」
「!?」
「女王の、騎士」
ビクリと背中が跳ねた。喋った。僕の言葉を理解して、反応した。間違いない。此奴は異常進化個体だ。
「クイーンズナイト・ゴブリン……というらしい」
「それは名前か?」
「名称だ。名は……無い」
「そうか」
拙い言葉のやり取り。それを聞いて、知って、僕が何を思うのか。それは今は関係ない。
「は、はは……ハハハッ」
「あは、は、ははははああはははははははははは!!!」
「はははははあははははあはははははは!!!!!…………はぁ」
背筋が震えるような咆哮のような嗤い声。
「むーり無理無理無理無理無理無理。騎士みてぇな喋り方なんて出来ねーわ!」
「……は?」
「いやさ、クイーンズナイト・ゴブリンだろ? 女王の騎士じゃん? 騎士っぽい喋り方してーじゃん! カッコ良くね?」
此奴の本性が残虐なものというのは理解していた。だからあの寡黙な話し方には違和感を覚えた。が、正体を知っても困惑しかない。底の見えない深淵を覗いているような恐ろしさがある。思わず柄頭の置いた手を柄に伸ばす程には緊迫したものが背中に張り付いていた。
「つーかさ……もう、面倒クセェや。殺し合おうぜ。俺の事情とか、てめぇも事情とか、そういうの全部取っ払ってさ、殺し合おうぜ」
「……そうだな。理由なんて関係ない。害をなす魔物は殺すだけだ」
「イイねぇ! ハハッ、最高だぜェ!」
とは言え、情報だけは掴まないと。なんて考える間もなく、距離を詰めてきたゴブリンが片手で振り上げた大剣を振り下ろす。それを掻い潜り、ゴブリンの側面に回り込み、剣を振り上げる。
「ハハッ」
「ッ!」
小さく笑ったゴブリン。しかし笑っただけで剣は振り下ろしたまま。僕の振り上げた剣は脇腹へと食い込み、血を撒いた。
「痛ェなぁ。痛ェぞぉ!!」
「グッ……!」
僕の斬撃を物ともせずに空いた左手で僕を殴る。咄嗟に氷盾で防ごうとするが、まるで本当にただの薄氷のように割られ、拳が僕を殴り飛ばした。剣だけは離すまいと握っていたお陰か、ゴブリンの脇腹を抉るように抜け、更に血が吹き出る。それを閉じきらないように堪えた視界で確認しながら《神狼の脚》で滑るようにゴブリンの背後へ回り込み、剣を突き立てる。
「ヒャハァッ!」
しかし雪ごと大剣を振り上げて攻撃してくるので慌てて急ブレーキで止まった。この膂力だ。此奴に攻撃はさせたくない。此方が一方的に攻撃して隙を突く形で仕留めたかった。だが残念ながら途切れてしまった。突っ込んでたら真っ二つだったかもしれない。竜種装備でも、過信は出来ない。
「はぁー……ずりぃな、それ」
「貰いもんだ」
「俺にもくれよ」
「いや、やらん」
掌に氷の魔力を集め、薙ぐように振るう。薙いだ曲線の魔力から氷矢を生成。計6本を纏めて射出。女王の騎士を名乗るゴブリンはそれを避けない。右肩から脇腹へと突き刺さるが、ビクともしなかった。
「あのさぁ、そういうつまらないのはやめようぜ?」
「……」
「小細工とかさぁ、萎えるんだよね」
思考を加速させる。脳内で起ち上げた《器用貧乏》で奴を殺す算段をつける。
「こういうさ、力ってのをさぁ……ぶつけ合おうぜぇ!!」
「!?」
突如走り出したゴブリンが勢いよくジャンプする。当然僕は空に居るので普通に考えれば届かない距離だが、驚いた事に奴は飛び上がり、思い切り大剣を降ることで遠心力を使って1回転し、更に剣を振ることで僕の位置まで剣を届かせた。一端《器用貧乏》を切ってそれを剣で防ぐ。しかしゴブリンは僕が防ぐ事を予想していたのか、すぐに蹴りを放つ。だがそれを膝で防ぐ。
「やるじゃねぇか!」
すぐさま《神狼の脚》で距離を取り、追撃されないようにして雪原へと着地する。
「店長、すみません。援護お願いしていいですか?」
「中々の強敵だね……」
雪の上に落ちた僕の青黒い影からズルリと店長が出てくる。手には6本の影の短剣。最初から本気のようだ。
「ぉお? 面白ェな。アンタ今何処から出てきたんだ?」
気安く話し掛けてくるが、店長はそれには応えない。口元を覆うマスクの中の口は真一文字だ。あの武闘会の時と違ってマスクだけで顔を隠しているが、聞けばその方が集中出来るらしい。
「君に合わせる。頼むよ」
「了解です!」
「ぉおい無視すんなァ!」
僕が走り、店長が僕の背に隠れるように走り、無視された事に怒ったゴブリンが大剣を振り上げる。そのまま雪原に叩きつけると、斬撃と言えばいいのか、真空の刃が雪煙の中から飛来する。それを避ける為、剣を握っていない左手を後方に伸ばすと店長がそれを握る。せっかく用意した影短剣を消させて申し訳ないが、此処はそうして避けるべきだ。
《神狼の脚》を発動させ、まるで競輪場のコーナーを曲がるように角度を付け、滑るようにゴブリンの背後を奪う。そのまま手を離して店長をゴブリンの影に潜ませる。僕ですら気付かない影への潜入。異常進化個体とは言え、魔物には気付くまい。更にこの雪煙だ。バレない自信が僕にも店長にもあった。
「何処行きやがったァ!」
荒れるゴブリンに店長の存在を気付かせない為、滑り込んできた方とは反対側から剣を叩き付ける。《気配感知》も《神狼の眼》も使えばどんなに煙幕地味た視界レベルでも攻撃を当てられる。
「いってェ!!」
油断していたのか、黒帝剣が左肩を捉える。切り口は浅くない。だがそれでも効いているとは思えない。ヒットアンドアウェイを基本に動くしか無いのだ。この化物相手に防戦一方になれば確実に死ぬ。まずは一撃を入れて、次は店長の追撃を――
「ッ!?」
「ッハハァ!!」
ゾクリとした悪寒に従い、剣を防御の姿勢で構える。ガギィン、と劈くような金属音。弾かれた僕はそのままダニエラの作った風壁結界を突き破った。
「うぐっ……!」
姿勢を制御出来ないまま、猛吹雪の雪原に叩き付けられる。幸い、雪がクッションにはなったものの、手に伝わった衝撃の所為で痺れ、上手く体を起こせない。
「くそ……!」
それでもどうにか剣を掴むも、まだ力が入らない。どうなってんだ、彼奴……斬った瞬間に反撃してくる。まるで痛みなんて感じないかのように……。
「……もしかして」
そのまま、痛みを感じないとしたら……? 斬られた際に痛みで怯むこと無く、感触に反射して反撃してきたとしたら……。
「そうだとしたら厄介過ぎるだろ……ッ」
攻撃が全て反射される。不意打ちも意味がない。あの瞬発力と反射神経なら、店長の攻撃だって……。
「やばい!!」
慌てて《神狼の脚》で結界内部に突っ込む。僕の危険を感じて店長が攻撃していたら……!
「店長!」
雪煙の止んだ結界内に響いた僕の声にゴブリンが振り向く。そして影から半身を出して攻撃しようとしていた店長も。
「駄目だ!」
その声に短剣を振り上げたまま止まる店長。違う、止まらないでくれ。潜ってくれ……!
「其処に居たのか」
「あ……!」
ゴブリンが背後を見ずに後方を、店長を蹴り上げた。影からズルリと、無理矢理蹴り出された店長が宙を舞う。
弧を描いた店長は雪原へと放り出される。そして身動き一つしなかった。
「あ、あ……!」
「ハッ、よェ~」
雪原に沈んだ店長を眺めていたゴブリンが、わざわざ僕に振り向いて、そう言う。
瞬間、視界が真っ赤に染まったかと思った。
「てェェんめェェェェェェエエエ!!」
「こっわ!!」
雪煙を巻き上げながら風を溜め、一気に爆発させる。風速を暴風レベルまで引き上げて一瞬でゴブリンを追い越し、店長を抱きかかえ、結界際まで進む。
「はぁ? 其処はその女の仇を取る展開だろ?」
「ダニエラ! アドラス! 結界はもう良い、店長を連れて退却だ!」
キレ芸は昔やった。すぐに周りが見えなくなるような戦闘初心者じゃないんだ。
2人はやはり流石だ。僕が声を上げた瞬間に結界は消え、すぐに近くまで走ってきた。
「リンドウ!」
「ふむ、気絶だな。命に別状はない」
駆け寄ったアドラスが店長を呼び、虚ろの腕輪から取り出したのだろう、鑑定眼鏡を掛けたダニエラが店長の容態を鑑定で見定める。それに拠ると気絶だそうだ。生きているならまだ大丈夫だ。
ダニエラは吹雪ですぐに雪まみれになった眼鏡の弦を摘むとわざわざ外すこと無く腕輪に収納する。
それ程までに吹き荒ぶ吹雪の中、クイーンズナイトゴブリンが此方に来るのを感知しながらアドラスとダニエラに退却してもらうようお願いする。
「しかしお前はどうする?」
「1人で良い。いや、1人でないと駄目だった。多分、彼奴は痛覚無効みたいなスキルを持ってる。斬った瞬間、反撃してくるんだ。だから、それ以上の速さで攻撃しないといけない。それには僕1人じゃないと駄目だ。何人居たって意味がない」
「そうは言うが貴様、手段はあるのか?」
「……ある」
あれならばゴブリンの反射神経を越えた速度で攻撃が出来る。デメリットもあるが、それを気にしている暇はない。もうゴブリンがすぐ其処まで来てる。
「もう退いてくれ。夜明けまでには村に帰るから」
「……分かった。帰らなかった時は、悪いが帝都まで退かせてもらう」
「それで良い。頼む!」
「こっちも任せたぞ!」
アドラスに店長を任せ、ダニエラに視線を合わせ、頷く。それだけでダニエラは理解を示してくれる。頼れる恋人だ。ダニエラの為にも、店長の為にもゴブリンは殺す。ダニエラは限定的な結界を作り、3人を覆い、アドラスと2人で店長を抱えてすぐに村へと引き返してくれた。その背を見送り、剣を手に立ち上がる。
「俺を倒す為に吹雪を消して、不意打ち女を従えたっていうのに全部無くしちまったなァ?」
「アドラスが考えてくれた最高の作戦だった。でもそれよりもお前が強かった。それだけだ」
「褒めてくれるとは嬉しいねェ! んで? その強い俺を、お前1人で倒すってのか?」
「そうだな……そうかもしれない」
「かもだァあ?」
今も血を流し続けているゴブリンが僕の顔を覗き込むように睨む。今から僕は1人で戦うが、そうではない。この場を託してくれたアドラス、ダニエラ、一緒に戦ってくれた店長の思いを背負ってる。だから僕は1人じゃない。
「今から僕が、お前を殺す。お前を殺して、女王も殺す」
「はァ……?」
「居るんだろう? クイーンゴブリンが」
「……」
女王の騎士が居て、女王が居ないはずがない。先程まで饒舌だった此奴が黙りこくるのが決定的な証拠だった。
「なるほど。そうか。分かってたか。なら俺も、お前を殺さないとな」
「来いよ、魔物」
「良いぜ、殺してやるよ。遊びは終わりだ!」
2m先も見えない戦場で、1対1の死闘が始まった。




