第二十八話 生きる為には
結局あの後、僕は適当に相槌しながら無理矢理ギルドを脱出した。はいはいそうですねーは最強の鉾であり盾だ。
3日振りに帰った春風亭でまずは延長料金を支払う。知人割りは本当に助かる。
ダニエラと別れて部屋に戻る際にミゼルさんとすれ違った。
「あらぁ、アサギさん。お久しぶりですぅ」
「お久しぶりです、ミゼルさん」
「森に篭ってたそうじゃないですかぁ。元気そうで何よりですぅ」
「あはは……五体満足に帰ってこられたのがラッキーです」
そうなのですかぁ? と首を傾げるミゼルさん。そうなのです。と答えて苦笑する。あった事を話してたら長くなっちゃうし、長くなるということは彼女がマリスさんに怒鳴られるということだ。そこは彼女も弁えているみたいで、
「ふふ、色々気になりますが、ママに怒られてしまうので行きますねぇ。また今度」
「はい、頑張ってください」
ということで手を振って別れる。貸し与えられている2階角部屋の扉に鍵を差し込み、捻って開ける。久しぶりのベッドを目にした途端に睡魔が僕を誘ってきた。何だかんだで疲れが溜まっていたのだろう、ベッドの上に淫魔を幻視しながら真っ直ぐに倒れ込む。着の身着のまま、僕は気付く間もなく夢の世界へと旅立っていた。サキュバス的な輩も現れない程の深い眠りは、邪魔するものもなく朝まで続いた。
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規則正しい生活というのはどんな状況でも発揮されるようで、あれだけ疲れていたのに朝日とともに目が覚める。夜勤時代の僕であれば二度寝と洒落込んでいたのだが生活リズムがそれを許してくれない。悔しいがここはベッドから出るしか無い。
着替えを持って階下へ降りる。いつもの、でも久しぶりの共同浴場だ。日本的に言えば銭湯だな。温泉ではない。いつもより多い朝帰りの冒険者諸君に軽く会釈して体を流す。なんだか掛け湯だけで愉悦の声が漏れる。しかし3日振りだ。しっかり洗ってから湯船へ入るのだ。湯船ちゃん待っててねぇと心の中で呟きながらしっかり洗う。
そして待望の湯船だ。まずはつま先から。痺れるような熱さが脳天へと駆け上がる。短く、浅い呼吸を繰り返しながらそっと沈めると、まるで柔らかな女体に挟まれているかのような錯覚を覚えた。挟まれたことがないので分からないが、自然と口が開いてしまう。刺激が強すぎる。ゆっくりだ、ゆっくりいこう。もう片方の足も湯船へ沈める。くっ、駄目だ! 立っていられない! だがここで倒れては駄目だぞ、上社朝霧。気をしっかり保て!
震える足で何とか対岸の壁際へと移動する。壁を背に、支えに、慎重に、体を湯の中へ沈める。あっ、駄目だ。
「あぁぁぁああぁぁぁ……」
声が出てしまった。ビクンビクンと悶えながら全身を沈め、脱力した四肢が湯に溶ける。
「うるせぇな。普通に入れや!」
怒られた。僕は呂律の回らない舌で謝罪しながら、そんな注意もすぐに忘れて久し振りの風呂を楽しむ。全く、彼らには情緒というものがない。前にも言ったが風呂に入って声が出るのは生理現象だろうが。ていうか大体いつも声出てるけど普段は怒られないよなぁ。何かあったんだろうか。冒険者を眺めると眠そうな顔と疲れた顔が入り乱れている。
「何か、疲れてますね。何かあったんですか?」
先程怒ってきた冒険者に聞いてみると、その場にいた他の冒険者達も口々に語りだす。
「あぁ……何かあったなんてもんじゃねぇよ。訳が分からねぇ。いきなりフォレストウルフ共が南の森に現れたんだ」
「昨日の夜に監視役の衛兵が見つけてよ、冒険者達は慌てて武器持って招集さ。警戒してたが移動しただけで特に何かあった訳じゃあないんだが……強いて言えば追い出されたゴブリンが町の方に走ってきたのを何匹か仕留めたくらいか?」
「そうだな。結局何だったんだ?」
ふぅん、不思議な事もあるんだな。僕は額を流れる湯の熱さとはまだ別の汗を手の甲で拭いながら彼らを労う。
「謎ですね。でも何事もなくて良かったですよ。今日はゆっくり休んだ方が良い。じゃあ僕はこれで。お疲れ様です」
一息にそう言って風呂を上がる。おーぅという冒険者の声に会釈を返しながら僕は浴場を後にした。
さて、今日の予定は休日だ。と、ダニエラには昨日のうちに連絡しておいた。各自好きに過ごすのだ。各自っつっても二人だが。
という訳で僕は大将の鍛冶屋へ来ていた。
「大将、いますかー」
「アサギか! おめぇ、待ちくたびれたぞ!」
濛々と熱気を垂れ流しながらアラギラが鍛冶場から現れる。
「武器貰いに来ました」
「おうよ、これが俺謹製の鋼鉄の剣だ。ちょっとやそっとじゃあ壊れねぇから安心してたたっ斬れ」
「僕、技巧派なんで丁寧にたたっ斬りますよ」
適度に矛盾した返しをしながら予約カードを大将に渡して、代わりに立て掛けてあった剣を受け取る。前の剣よりは多少重い。以前の鉄の剣の時は重さは同じような物を選んでいたが、基礎は終わり、次は発展だ。その辺は調整していくしかない。何せ何でも使えるようにが目標だ。重いのも軽いのも振れなきゃ話にならない。
「ありがとうございます。抜いてみても?」
大将はどうぞとばかりに顎でしゃくる。頷いて、鞘から抜く。見事な剣身だ。両刃直剣、綺麗な銀色だ。お弟子さんの鍛えた剣とは違い、鍔の部分にちょっとした意匠がある。剣と金槌のエンブレム。
「それが、この俺アラギラが鍛えたという証拠だ」
なるほど、アラギラ工房製の証拠みたいなものか。それを聞いた途端、何故か誇らしい気持ちになる。カウンター前から移動し、周りの安全を確認してから振ってみる。縦に、横に振るが持って行かれる感覚はない。僕自身の腕が上達している証だろう。安心した。スキルに振り回されるのは御免だ。
剣を鞘に戻し、腰に下げる。カウンターに戻って大将に頭を下げる。
「ありがとうございました。良い剣です」
「ったりめーだろう! それと此奴はサービスだ」
「お?」
大将がカウンターの下から短剣を取り出した。見た感じ、鋼鉄の剣と同じだ。意匠も大将謹製。
「鋼鉄製の短剣だ。短剣だけ鉄製ってのも味気ねぇだろう?」
「ありがとうございます……大将に頼んで良かったです」
「そうだろうそうだろう!」
満面の笑みで大将が僕の肩を叩く。曲がりそうになる膝に力を入れ、歯を食いしばりながら僕も笑い返す。
「しかしおめぇ、聞いたぞ。古代エルフの武器を手に入れたらしいじゃねぇか」
「あ、もう聞いてます?」
「ちょっとした噂にはなってるな」
昨日の今日なのに冒険者界隈にはもう広まっているらしい。全く口の軽い奴等だ。
「昨日まで森で合宿してたんですけど、その時見つけた遺跡の小部屋に隠されてまして」
「ほぉ……で、ブツは?」
「ギルドに預けましたよ。流石にあんなもん持ってうろつけないですよ」
「あんだよ、持ってこいよなぁ」
がっかりと肩を落とす大将。しかしすぐに立ち直り、興味津々といった感じで質問してくる。
「切れ味はどうよ?」
「まだ使ってないです」
「……」
またがっくりと肩を落とす。迫力の塊が落ち込む様は見ていて面白い。
「まだ剣を習得した訳ではないですし、それにほら、大将に頼んだ此奴がありますから」
そう言ってぽん、と鋼鉄の剣を叩く。大将はがっかり半分、嬉しさ半分の表情で顔を上げる。
「……だな。おめぇのそういう所、気に入ってるぜ。武器ってのは使ってなんぼだが使われてちゃあ意味がない。アサギ、武器に頼るな。だが、武器に頼れ。其奴がお前を守ってくれるんだからな」
頷いて、剣を見る。深夜アルバイターがこの世界で生き残るには此奴がなくちゃいけない。改めてそれを実感した僕は身が引き締まる思いで大将の店を後にした。




