第二百七十七話 束の間の休息、扉の向こう
テントを2つ用意するのにそうは時間は掛からなくなった。1つ建てるのでも慣れたものだ。簡単に、向かい合うように設置して間に焚き火を用意する。薪は虚ろの鞄にいくらでも入っているので問題ない。問題ないと言えば、この空間もそれなりに広いし、通路もあって空気の出入りは出来ているので火を焚いても問題ないはずだ。
ダニエラに頼んで土魔法で風呂と衝立を作ってもらい、僕が水魔法で水を張る。設置した風呂釜の下でまた火を焚いてお湯の準備もする。今日は返り血や虫汁を浴びすぎたので不快感が半端ない。
「火魔法が使えればな」
「得手不得手というものがある。魔道具で補えるのだから気にしても仕方ないだろう?」
「まぁそうだけどさ」
燃える火と揺らぐ水面を眺めながらはぁ、とため息を吐く。僕の中に宿る小さな小さな種火。どうにか此奴を上手く利用したいのだが、今の所は水魔法と氷魔法のジャンクションとしてしか活用出来ない。素早い魔力属性の切り替え。これが僕の魔法の強みなのだが、何となく形として捉えやすい氷魔法ばかり頼ってしまっている。アドラスのような流麗な水魔法を使いこなせれば戦略の幅が広がるんだけどなぁ。《器用貧乏》先生と一緒に勉強しているが、上手くイメージが出来ない。《器用貧乏》先生でもイメージ出来ない事は実現出来ないのだ。
お湯が沸いた所で女性陣を優先的に風呂場へと押しやる。きゃっきゃきゃっきゃと騒いでいる間に僕は夕飯の用意だ。と言っても、いつものスープだ。味の濃い干し肉は出汁代わりに、香辛料、ぶつ切りにした肉、葉野菜をぶち込んで煮る。灰汁はその辺に捨てつつ、やっぱり汁だけじゃなぁと串を用意して肉を突き刺して焚き火の傍に持っていって……
「……そうだ、土じゃないから刺さらない」
いつもの野営の感覚で串焼肉を作ろうとして困った。今日は屋内。床は石だ。これじゃあ串は刺さらない……。
「ふんッ!」
鉄製の串を無理矢理石の床に突き立ててみる。うーん、突き刺さったが串がちょっと曲がった。これでは見た目が……今度からは鋼鉄製の串にしようか。ていうか全部が古代エルフの建材じゃないのか……と、今更ながらに思う。まぁ、これで準備は完了だ。あとはスープが煮えて、肉が焼ければ夕飯だ。
「アサギ君、お風呂空いたよ」
「あ、はい」
店長の声に振り返る。其処には男が居るにも関わらず一糸まとわない店長の姿……などなく、湯上がりでホカホカしつつもちゃんと服を着た店長が立っている。ラノベじゃないんだから。
どっこいしょと腰を上げて虚ろの鞄から着替えを出して風呂場へ向かう。ラノベの主人公みたいに無防備に風呂場へ突入するようなこともなく、一声掛けるとダニエラとレモンの声が返ってきた。
「今着替えてるからちょっと待ってくれ」
「急がなくていいよ」
「ん……レモン、アサギを待たせたら悪いだろう」
「あ、ちょ、もうちょっと待ってくださいーっ」
「急かしてないからいいってば」
苦笑しながら慌てるレモンにも声を掛ける。ラノベだったら此処で慌てたレモンが衝立にぶつかって衝立が倒れ、レモンの非れもない姿が露わになるだが、此処ではそんなしょうもない事故は起きない。勿論、起こさせない。万が一に備えて風呂場に背を向けながらボーっと天井を眺める。
「高い天井だな……」
レゼレントリブルのダンジョンは古代エルフのダンジョンだった。それに気付いたのは多分、僕達だけだ。このダンジョンを攻略した人間だって、その事実には気付いてないだろう。と、思う。思う余裕も無かったかもしれないが。しかし何処の誰が攻略したのかは知らないが、無事だろうか……。
ダンジョンもだいぶ奥深くまでやってきた。普通の災害であれば、この先にある迷宮炉心を操作することによって反転は終わり、ダンジョンは地面の下へと戻っていく手はずだが、此処は違う。この先にある迷宮炉心は恐らく偽物で、本命は更に深層に隠されているだろう。
深い深い地の底を思うと、あの坑道跡を思い出す。彼処もなかなか深かったし、龍脈なんていう不思議な魔力の流れを感知出来た。このダンジョンの深層にも龍脈は流れているのだろうか……流れていそうだなぁ……。しばらく感知してないから上手く感知出来ない。
「いいぞ」
「お待たせしましたー」
「あ、うん」
ほかほかでほわんほわんとしたダニエラとレモンが衝立の奥から出てきた。考え事をしていて曖昧な返事をしてしまった僕を見て、ダニエラが首をかしげるが何でもないと首を振っておいた。
久しぶりでもない風呂は妙に気持ちよく、油断すると意識を持っていかれそうだったが、見事に耐えた。褒められてもいいぐらいの奮闘だったことをお知らせしておこう。
□ □ □ □
無難な夕飯を腹に収めた僕達は、焚き火を囲んでいる。唯一の出入り口である通路には結界の魔道具を設置し、モンスターの侵入を許さない。今日は久しぶりに見張りの交代無しで眠れそうだった。
「んじゃあ寝るか……」
「ふわぁ……おやすみなさいです……」
レモンが瞼を擦りながらテントへと入っていく。今日はかなり疲れたからな……レモンは特にそうだろう。後方サポートとして荷物を持ってくれたり、殿として背後の警戒もしてくれていた。無事にダンジョンを出たらねぎらってやろうと心に決めながら僕も立ち上がる。
「じゃあおやすみ」
「あぁ、おやすみ。私とリンドウは少し歓談してから寝るよ」
「分かった。でも酒は無しだからな」
「分かっているさ」
「おやすみ、アサギ君」
「はい、おやすみなさい」
手を振るダニエラと店長に軽く振り返し、レモンが入っていたのとは別のテントへと入る。虚ろの鞄から水筒を出して、ゴクリと水を飲み、再び鞄に仕舞ってから僕は寝袋の中で丸まり、程なくして夢の国へと旅立った。
□ □ □ □
翌朝……なのかは分からない。此処には陽の光は入ってこないからだ。一先ず十分な休息をとれた僕達は野営セットを片付けて、奥の扉の前に立った。
「さて……いよいよ中に入るわけだが」
「入った途端にトラップ、なんてのを警戒してる僕なんだが、有り得るのか?」
腕を組むダニエラに問い掛ける。
「有り得なくもない。相手は古代エルフだ。何が起きても不思議じゃない」
ダニエラにそう言わせる古代エルフさんは流石の一言に尽きるが、それは誰でも言えることだった。正直全体像も見えないから全く想像も出来ない。超魔道時代を謳うだけの実力が、僕の居た現代日本を越えるレベルかは比べるのは難しい。
こうして突っ立っていても仕方ない。この扉を、開ける以外に選択肢はないのだ。一応、もしもの時は一目散に逃げる事を打ち合わせ、万が一襲われる場合の事も想定して剣を手に、ダニエラと共に扉の前に立つ。
「開けるよ」
「はい!」
店長の合図に頷く。不安でいっぱいだ。いっぱいだが、扉に掛けた手に力を入れるのを止めることは出来ない。両開きの扉の左右に店長とレモンが立ち、グッと扉を押し開く。その間で僕とダニエラがいつでも対処出来るように武器を構える。
押された扉は少しの抵抗を見せるが、それはただの重さだ。更に力を込めた店長とレモンの手によって開かれる。開いた扉の隙間からは明るい光が漏れ出し、僕とダニエラの足元を照らしていく。広がる扉。差し込む光。足元から下半身、上半身と包み込み、やがて真っ白な光に僕達は武器を持っていない方の腕で目元を覆った。
「眩しい……っ」
言ってどうにかなる訳でもないのに自然に溢してしまう。まるで長くて狭いトンネルを抜けた先の光のようだった。光に怯むダニエラ達の声以外の音は扉が軋む音だけだ。その音が止まり、長いようで短い時間が過ぎ、やがて目が光に慣れた。そっと腕を下ろし、武器を油断なく構える。
「これ、は……」
ダニエラの声が聞こえた。隣を盗み見ると驚いた顔が目に入る。ダニエラの視線の先、扉の向こうに視線を戻す。やはり予想通り、黒い部屋が拡がっていた。古代エルフの建材の部屋だ。青い光のラインが走る壁、床、天井。その部屋の中心に長方形の石碑のような物が鎮座していた。それ以外には何も見当たらない。迎撃装置も、守護モンスターもだ。勿論、古代エルフの姿も無かった。
「これが、中心部かい?」
「でも何も無いです」
扉の傍に立つ店長とレモンも呆気に取られたように室内を眺める。
「まずは入ってみるしかない。私から行こう」
「僕も行く」
「頼む」
先頭をダニエラ、その後ろに僕が立つ。
「店長達は万が一、扉が閉まった時に備えて外に」
「分かった」
「分かりました!」
外側からロックされた場合、僕やダニエラにはどうすることも出来ない。この古代エルフの建材を破壊出来るかどうかは分からないが、全員で閉じ込められるような事は避けるべきだった。
「では、行くぞ。アサギ」
「あぁ、ダニエラ」
ゴクリと口内の唾液を飲み込み、ダニエラの背中を見つめる。長いこと見てきた背中だが、いつだって頼りになる背中だった。この背中を守れるのは僕だけだ。何が起きても、ダニエラだけは死なせない。
気を引き締めたダニエラが部屋の中へ一歩踏み出す。何も起きない。そのまま二歩。全身が部屋の中へ入る。何も起きない。
続いて僕が足を入れる。何も起きない。そーっと爪先で床をノックするが、やはり何も起きない。儘よとばかりに全身で飛び込み、ダニエラにぶつかるが何も起きない。あ、や、ダニエラに睨まれた。ごめんなさい。
「大丈夫そうだな……」
「罠的なものは……ッ!?」
ないようだ。そう答えようとした時、部屋の中央の石へと光のラインが急速に収束していった。幾筋ものラインが石へと集まり、今度は青い光が視界いっぱいに広がる。ラインを走る光は石の上面に集まる。どんどん光は集まっていき、やがてその全ての光が石に集まったかと思うとラインの光は消える。しかし今度は上面の光が天井へと向けて放射された。
「うわっ!?」
「っ!?」
薄く青いその光の中に、人の姿が見えた。




