第二百七十二話 朝霧の失態、魔物とモンスター
通路の向こうの影から店長が出てくるのを見てちゃんと仕事してくれることに安堵した一瞬の隙。ラミアがただの蛇女だと侮っていた僕は虚を衝かれた。あの長い胴体から動きは鈍いと勝手に思い込んでいた僕の目の前に一気にラミアが接近した。
「う、わっ!?」
胴体へと向かって突き出される槍をなんとか躱すが、体勢が崩れる。踏み出した足の置き場に困った結果、蛇部分を踏みつけ、さらにちょっと強い弾力に弾かれて更に体勢を崩す。結果、Aランク冒険者『銀翆』上社朝霧は転んだ。
「情けない……」
ダニエラの溢した呟きに耳が赤くなる。何とか挽回しようと目の前の蛇部分に剣を突き立てる。ブツリとやはり強い弾力を切っ先が貫き、赤い血と共に絶叫が通路内に谺した。今度は僕が返り血を浴びる番だった。
畝る胴体が激しく通路をビシバシと叩き、離すもんかと柄を握る僕もビシバシされ、それでもズブズブと剣を中へと差し込んでいく。熱い血の勢いがなくなっていくと共にラミアの元気もなくなり、しこたま体中をビシバシされてそろそろ泣きそうになった所でラミアの体が通路に倒れ込んだ。
「いてて……」
「それでも二つ名持ちかい? キミ」
「ダンジョンは初めてなんですよ……言ってみればダンジョンGランクですよ」
呆れ顔の店長に口を尖らせてぶつくさと反論するも、それによって状況は良くならない。無様以外の言葉が見当たらなかった。顔中にべっとりと張り付く血を手の平で削いで床へ投げ捨て、あらかた落とした所で生成した水魔法の水球に顔を突っ込む。ついでに両手も突っ込んでワシャワシャと髪に付いた血も洗い落とす。それを3回程繰り返してすっきりしてから3人に向き合う。
「ごめんなさい。めっちゃ油断しました」
「ダンジョンは初めてだし、どういう戦い方をしたら良いか教える暇もなかった。まぁあれくらい、アサギなら何とかなるだろうと踏んだ私にも責任はある」
「ダンジョンなら私は何回も潜っているから色々教えられるよ。まぁ、あんな情けない姿を見るとは思わなかったけれどね」
「で、でも無事に倒したんだから凄いと思いますっ!」
ダニエラに謝り返され、店長に呆れられ、レモンにフォローされる。自分が特別強いとは思っていないし、優れているとも思っていないが、まぁその辺の冒険者よりはまぁまぁ動けるかなーなんて思い上がっていた自分が恥ずかしいね……。3人とも期待していてくれただけに情けない。フォレストウルフに追いかけられ、フィラルドに滑り込んだ時以来の恥ずかしさだった。
その後は適当な部屋を見つけて、店長とダニエラからダンジョンという狭い空間での戦い方を教わる。レモンと一緒にお勉強だ。
「……つまり、アサギのような立体的な動き方を得意とする戦い方ではダンジョンは不利なんだ」
「しかし一口にダンジョンと言っても千差万別だよ。縦に長いタワー型や、果てしなく広いワンルーム型のダンジョンもある。ま、こうした通路系のスタンダードなダンジョンが主だけどね」
確かに……僕は《神狼の脚》による立体機動が主な戦い方だ。『上社式・空間機動剣術』なんてその境地と言ってもいい。拙く低い頂ではあるとは思うけどね。まだまだ上はあるはずだ。
今回のダンジョン探索ではその積んできた経験が逆に邪魔をしていると言う。皮肉なもんだ。まだこのスキルを熟知せず使いこなしていなかった坑道跡の探索の方がまだ動けていた。
「それに外の魔物と違って、こういったダンジョンの魔物はモンスターと分類されている」
「モンスター?」
久しく聞かなかった名称だ。魔物とモンスター。その違いは何だろうか。
「魔物とは魔素に侵された動物という意味合いが強い。フォレストウルフやブラッドエイプだな」
「ゴブリンは?」
「アレは元々ダンジョンに多く住んでいたモンスター寄りの存在だ。知っての通り繁殖力が強く、ダンジョンの外に出て多く広まった。オークも似たようなものだな」
へぇ、初めて知った。思えばこの世界に来た時に真っ先に警戒したのがモンスターではなく魔物だった。呼び方的にモンスターより魔物の方が、僕はやってきたゲームや読んできた小説とかの経験上、言いやすかったし、それで違和感なく伝わったからそれで定着していたがそんな秘密があったとは。
「ダンジョンに住むモンスターは、動物とは違ってより原始的な存在になる。元動物では説明がつかない容姿や能力を持った魔物……それがモンスターだ。だから、今までのような直線的だったり単調だった動きとは違い、器用に武器を使い、知恵を使った攻め方をしてくる。単純な強さなら当然、私達の方が上だが油断は禁物だな」
モンスターという存在が、ただの魔物ではないと改めて知る。確かにあのラミアとの戦闘。通路で一直線だし、蛇に人間がくっついた姿なんて鈍くて弱いと勘違いしていた。それこそ思う壺という訳だ。森で戦ったミノタウロスなんかは普段の動きで倒せたが、この空間ではそうもいかない。より綿密な作戦と、狭い場所に特化した動きが必要になってくる。
「ま、とりあえず戦ってみて、経験することが必要だ。いざという時は魔法で一方的に倒してしまえばいい」
「それは本当に最終的な手段になるな」
今後もダンジョンに潜るつもりなら、この機会を逃すわけにはいかない。モンスターとの戦闘訓練。僕の新たな経験値となり、《器用貧乏》の肥やしにしてくれるわ。
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気を取り直して店長が斥候。僕が中衛。ダニエラが後衛。レモンが殿という形で通路を進む。中途半端な位置に埋め込まれた窓から外の光が入り、薄暗い通路を少しばかり照らす。壁も石造りだったり木造だったりで本当に町が巻き込まれ、ダンジョンとして再構築された事が伺えた。通路の途中にぽっかりと空いた穴の先に道があったり、かと思えば家屋に使われていた扉がそのまま扉になったり。開けてみたら通路だったり、誰かの家の中だったり。
「私の人生でここまで奇妙で迷いやすいダンジョンは初めてだよ」
と店長が言う。ダニエラもそれに相槌を打つ。
「これ程のダンジョンはない。迷宮災害が起きたダンジョンに乗り込んだのはこれが初めてだが、ここまでとはな……」
ベテラン冒険者のダニエラが言うのだからこれはとんでもない異常なのだと再認識させられる。確かにこんなのまともな思考回路の冒険者は入ったりしないよな……少なくとも僕1人だったら来ようなんて考えもしなかった。こうして頼れる人間が居るから行こうと決断出来た。
「む……後方からモンスターだ」
僕より後ろに居るダニエラが逸早く《気配感知》でモンスターの動きを察知する。間もなく僕の感知エリアにも複数のモンスターの反応だ。振り向いた僕の後ろで店長の気配が消え、一瞬でレモンの前に現れる。チート羨ましい。
複数の反応がやがて僕達が曲がってきた通路とは反対側の通路から顔を出す。僕達とほぼ同じ高さの位置に顔。肌の色は青緑。引き締まった体ではあるがオークのような筋肉ダルマとは程遠い。それが3体だ。
「見た感じゴブリンっぽいが……」
「ホブゴブリンだ。ゴブリンの上位種だ」
「上位種……初めて見るな」
今までは小さなゴブリンが沢山居る景色しか見てこなかった。この閉鎖されたダンジョンという環境では自然に弱い者が淘汰され、強い者だけが生き残る。外は広いからそれが起こり難いという事らしい。ゼロではないと思うけどね。
「さて、まずは私が行こう」
矢を番えたダニエラの強弓が先頭のホブゴブリンの眉間を射抜く。続いて店長の両手に握られた6本の影短剣が後続のホブゴブリンを切り裂く。そのホブゴブリンの影からホブゴブリンが剣を振り上げるが、同じく店長の影からレモンが槍を突き出し、牽制。そして最後に天井スレスレに飛んだ僕がホブゴブリンの脳天に黒帝剣を叩きつけてかち割った。うん、今度は失態なくスマートな討伐が出来たぞ。《神狼の脚》で天井から逆さまに垂れながらグッとガッツポーズを決めた。
「やるじゃないか。さっきの姿とは大違いだな」
「僕だって学習するんだぞ、ダニエラ」
「はっは。ほらさっさと降りてきて左耳を回収しろ」
「はい」
モンスターにも討伐証明は存在する。ホブゴブリンはゴブリンと同じく左耳だ。しかしゴブリンとは微妙に形が違うから被らない。因みにミノタウロスはその立派な角。ラミアは鱗だ。ミノタウロスだけは忘れたけれどラミアはちゃんと回収した。
腰に装備した足切丸で左耳を切り取る。これで足切ったことってあったっけ……。




