第二百七十話 迫る町への危機
森の木々の間からヌッと顔を出した位置はまぁまぁ高い。僕達の身長を優に越えている。右手に持った両刃の戦斧には薄っすらしか見えないが、葉っぱ以外にも血のようなものがこびり付いているのが確認出来る。あの血の主は人か、魔物か……。
「まだ此方には気付いていないようだな」
「でも時間も問題だぞ」
弓を構えるダニエラがジッとミノを睨みながら言う。確かに奴の挙動を見るに、此方の位置がバレた感じはしない。あの巨体からどれだけの速度が出るのか分からないが、まだ時間的猶予はあると思う。
「すまん、ちょっと武器変更」
「アサギ君?」
そうと決まればアレを出そう。ミノを視野に入れながら後退し、テントの中へ腕だけ突っ込む。いつも入り口の傍に置くように心掛けている虚ろの鞄を掴んで引き寄せ、腕を突っ込む。そして握った柄を引っ張り出す。鞄から現れたのは漆黒の柄。
「よし」
素早くそれを剣帯に掛け、代わりに外した鎧の魔剣を鞄へと突っ込んだ。
「待たせたな!」
「また良い声で言う……」
「アサギ君、そのネタずっとやってたのかい?」
低音を響かせながら3人の位置に戻ってきて剣を引き抜く。黒帝剣ヴェルノワール……皇帝様から頂いたかつての皇帝の剣だ。
「アサギ先輩の剣、真っ黒ですね」
「そういう剣だそうだ。武闘会準優勝者の賞品だよ」
「へぇ! 凄いですっ。皇帝所縁の品ですね!」
「そういうことになるな。因みにダニエラの賞品はほら、これ見よがしに身に着けているあの腕輪だ」
「それとこのマントだな」
虚ろの腕輪からノーモーションでマントを取り出して羽織る。鞄は鞄なので手を入れて取り出す必要があるが、腕輪は手を入れる場所がない。身に付けたことがないからどういう仕組か分からないが、本当にあれ羨ましい。マジで今度何でも言うこと聞く条件でレイチェルに作らせる。マジで。
「昼間も見ましたけど、綺麗なマントですよねぇ……」
「ほんと、羨ましい」
「アサギ先輩のも綺麗ですよ?」
「お前達、無駄話してる場合じゃないだろう」
真面目な声色の店長の声に思わず背筋を伸ばす僕とレモン。そうだったそうだった。ミノが居るんだった。
そっと店長の隣にしゃがみ込んでミノの様子を伺う。何だろう、初めて外の世界にやってきたような挙動だ。辺りをキョロキョロと見回して、此方へ来る様子がない。
「一応、伝えておくが……森にミノタウロスは出現しない」
「え?」
ダニエラが此方を見ずに言う。いや実際森からミノタウロスが……いや、ちょっと待て。まさか……
「ミノタウロスはダンジョンでよく見られる魔物だ」
「マジか……」
「マジだ」
もう、反転は終了している可能性が大きくなった。町の人間の隙を突いて町から抜け出したミノタウロスの可能性もあるが……今彼処はそういう気配に敏感なはずだ。であれば町はもう10割飲み込まれたと言っても過言ではないだろう。
「ますます急ぐ必要がありますね……」
ぎゅっと槍を握る手に力が入るレモン。元々は僕のネガティブな思いつきだったが、本当に被害がどんどん広がっていくということが現実になりつつある。とっとと彼奴を葬って町へと走らねばならない。
「よし、じゃあ今の内に攻めるぞ。アサギは空から強襲してその剣で奴の武器を破壊。リンドウは魔法と剣で彼奴を翻弄してくれ」
「了解」
「分かった」
「私が援護しつつ、レモンの槍で止めだ。出来るか」
「問題ありません!」
司令塔ダニエラ先輩の指示に従って両足に白銀翆の風を纏わせる。店長は黒い魔力を体に漲らせ、レモンは走る準備をしている。
「じゃあ行くぜ」
その場で《神狼の脚》を行使し、上空へとジャンプする。風に押し上げられる感覚を感じながらある程度の高さまでに昇ると朝日が僕を照らす。この位置なら朝日を拝めるようだ。眼下では店長とレモンが走り出したところだ。それを確認した僕は一気に角度を付けて弾丸の如く空から落ちていく。
「さて」
脳内で《器用貧乏》先生を起ち上げてこの剣に拠る武器破壊の丁寧なやり方を再生する。角度、力加減、その他諸々。それを事前に学習した僕に隙はない。
「へぇい、ミノ!!」
剣を構えて上空から声を掛けてやると、のっそりとした動きで此方を見る。黎明の空に浮かぶ僕を確認すると、襲い来る僕へ対応するように斧を構えた。そう、その角度だ。下から振り上げる為のその角度。
両足の風速を3段階上げる。自由落下に速度を上乗せていたスピードは一気に加速し、弾丸よりも速く、ミノへと迫る。その速度にミノは対応出来ない。緩急は基本だ。
「せやぁ!!」
気合いと共に峰の部分の溝に斧の刃を差し込む。力加減は問題ない。気を付けないといけないのは角度だ。上手くやれば引っ掛けた部分だけでなく、大きく刃を抉ることが出来る。
結果、両刃の斧は大きく欠けて、片刃となる。バランスのズレた斧を即座に修正し、扱える技量が魔物にあるとは思えない。実質、奴の武器を封じたことになる。目的を果たした僕はホバリングしながら後続の為にミノの側面へと逃れる。
そして駆けつけてきた店長の影から影が伸び、周囲の木々へと接続される、すると木から太い影がまた伸びて、ミノへと接続された。そしてその影に店長の二振りの短剣が突き立つ。
「『闇魔法・影縫』」
「グモァ……ッ!」
影で縛り、短剣で縫い付ける。店長の闇魔法コワ格好良い。味方で良かったぜ……。しゃがみ、剣を突き立てた店長の頭上を矢が抜けた。ダニエラの矢はミノの手に当たり、手ごと斧を弾き飛ばした。一切の反撃も許さない。
最後に走り込み、直前でジャンプして勢いを付けたレモンが槍を構えて飛び込んできた。
「やぁああ!!」
使い込まれた槍は抵抗なくミノの胸に突き立ち、ブシュウウと噴水の如く血が槍の隙間から吹き出す。まるで全身の血が噴き出てるんじゃないかってぐらいの量だ。お陰でレモンが返り血ビッチョリだ。店長も半分くらい掛かってる。横に避けて良かった……。
「……」
「……」
無言で槍を引き抜くレモン。店長も無言で立ち上がり、短剣を引き抜くと同時に影を引っ込める。拘束を解除されたミノはそれでも動かない。もう既に息絶えていた。
「あの、大丈夫……?」
血を浴びた二人に声を掛けるが返事はない。が、レモンが応答するように槍を振るう。穂先に付いた血が遠心力で散り、最後に石突でミノの胸を八つ当たり気味に強打した。物言わぬミノは無抵抗でそのまま背中から地面へと倒れ込んだ。
「最悪……」
ポツリと聞こえたレモンの声にビクリと震える。めっちゃ低音だった……。
「よし、急いで着替えよう。血の付いた服はアサギに渡せ。代わりはあるだろう?」
遅れてやってきたダニエラの提案にため息混じりに服を脱ごうとする二人を見て、慌てて《神狼の脚》ぶっぱして野営地へと逃げ帰った。危ない危ない……苛ついてて僕への配慮が何処かへ行ってしまっていたな、あの二人。確かに多少の返り血は戦いには付き物だけど、あれだけ浴びるのはな……交代していたとはいえ、夜通しの見張りの後もあって気分は最悪だろう。
片付けているとちょっと質素な感じの服装に着替えたレモンと店長、そして何一つ汚れていないダニエラが帰ってきた。
「ミノは腕輪に仕舞っておいた。此処を片付けたらレゼレントリブルへ行くぞ」
「分かった」
ミノが出現した事でレゼレントリブルへの危機感が高まる。果たして町はどうなっているんだろうか。住人は無事なのか。町周辺の状況は。
焦る気持ちが片付けを荒くさせるが、終わる頃にはそれも落ち着いていた。
「……よし、行こうか」
風魔法で持ち上げた3人の代表のダニエラの手を掴む。その動きに合わせて連動して続く店長とレモンを確認して問題ないことを確認した僕は一気に上空へと駆け上がった。




