第二百六十二話 慣れない店と今後の予定
宿に着いた時には既に日もとっぷりと暮れて、繁華街でもあるこの宿場街周辺は昼間以上に賑やかなものとなっていた。1日の仕事を終え、ジョッキ片手に騒ぐ男達や、そんな騒ぎに釣られてやってきた宿泊客達を縫うように歩くのはなかなか大変だった。
「夕方には戻ってるんだぞ、と言った自分が遅刻とは笑えない……」
今朝、別れる前にダニエラに言ったセリフを思い出し、はぁ、と溜息を一つ。自分が出来ない事を他人に言うのはよろしくないだろう。アルバイト時代を思い出し、もう一度溜息を吐いた。
「こんなに溜息ばかりだと幸せが逃げるなぁ」
ぽつりとそんな信じてもいない迷信を思い出し、宿へ入るとエントランスに見知った後ろ姿。白金のアシンメトリーで癖のない短髪。ダニエラだ。
「ごめん、遅れた」
「ん……私もさっき帰ってきたばかりだ」
振り返ったダニエラは両手に串焼きを握りながら応える。
「まさかその腕輪の中は串焼きばかりじゃないだろうな?」
「はっはっは」
「何で笑ってんの? ねぇ?」
何処と無く余所余所しい笑いを垂れ流しながらダニエラはエントランスを横切って宿泊している部屋へと歩き出す。嫌な予感しかしなかったが、まさかだよなぁ。
カウンターで鍵を受け取り、ダニエラの後を追って階段を登るとダニエラは既に部屋の前だ。両手の串焼きは既に胃の中。串は腕輪の中に仕舞ったのかな。ゴミ箱じゃないんだぞ。
「着替えたら飯でも行くか」
「おばあちゃんはさっき食べたでしょ」
「おいアサギ、それは殊の外腹が立つからやめろ」
年齢の事を指摘されると怒る長命種、エルフ族。
「んで何処行く? 肉はもう嫌だぞ」
帝都に来てからはほぼ『肉肉肉肉』だった。体臭が焼肉になっちまう。
「そうだな。久し振りに静かな酒場とかどうだ?」
「ん……良いな」
ダニエラにしては珍しい提案だった。酒より肉なのにな。
鞄を下ろし、ラフな格好に着替えた僕とダニエラは町へと繰り出した。今までは小さい鞄を虚ろの鞄から出してそこに財布を入れていたが、今はダニエラが皇帝様から受け取った『虚ろの腕輪』の中にある程度の金額が入っている。元々虚ろの鞄の中に入っていたのを半分にした形だ。手ぶらで歩けるのは思っていたより快適だった。
「武器も腕輪の中なんだから便利だよな」
「アサギは流石に帯剣か」
「まぁな」
手ぶらとはいえ、鎧の魔剣は腰に下げている。治安は良いかもしれないが、万が一ということもある。素手でも負ける気はしないが、万が一というのは起こり得る確率だから、万が一なのだ。石橋は叩くためにあるのだ。
ダニエラと並んで夜の帝都を行く。賑やかさは今までの町の中で一番なのは勿論、人の多さも一番だった。そして人が多いので、店も多い。なかなかダニエラが行きたいような店は見つからないんじゃないかな……と、歩きながら思っていたのだが、ダニエラの足は迷いなく進む。ひょっとしてもう下調べは終わっているのだろうか。だとしたら僕は今、ダニエラにエスコートされているということだが、その辺の男としての甲斐性はどうするべきなのだろう。
「もう少し行った先を曲がると良い感じの店があるんだ」
「ふ、ふぅん」
「……どうかしたか?」
「ん? いやなにも?」
「……?」
人知れず自分との戦いを繰り広げていた僕は気もそぞろではあったが、なんとか最後の一歩で堪えた。
そんな小さな小さなプライドをポケットに仕舞い込んだ僕はダニエラの後を追って角を曲がる。すると其処は普通の路地だった。左右の扉と小窓からは柔らかな明かりが漏れていて何だか異国情緒を感じる。異国っていうか、異世界だけど。何となく海外っぽいのは僕が海外旅行をしたことがないからだろうか。
ダニエラはそのうち、手前から数えて4つ目の扉を押し開く。ふわりと明かりが強みを増す。
「いつまで立ってるんだ。早く入ろう」
「うん」
振り向いたダニエラが呼ぶので意を決して入る。店内はシックな雰囲気の、まさにバーと言われるスタイルだった。カウンターと、小さなテーブルが幾つか。如何にもオシャレな感じに自分の服装を恨んだ。風龍インナーに風龍ズボンとはいえ、ラフ過ぎる。ジャケットとネクタイを求む。ダニエラはダニエラでラフながらも着こなしているが憎い。これが差というやつか……。
「いらっしゃいませ」
「甘い酒を2つ」
「畏まりました」
如何にもバーテンダーって感じのイケメン青年がゆっくりと酒を準備する。ダニエラは既にカウンターに座って隣の椅子を手で軽く叩く。
「いつまで立ってるんだ。早く座れ」
「うん」
既視感のあるやりとりにぎこちなく座る僕だ。緊張が頭の先から爪先まで僕を支配していて非常に居心地が悪い。ダニエラももっと僕の身の丈にあった店を選んでくれても罰は当たらないだろう。そりゃダニエラは似合うかもしれないが。今だけは少し恨む。勿論、これが逆恨みだと僕は理解しているとも。していても時に人は感情で動いてしまう場面があるのだ。
「お待たせしました」
「ありがとう」
「ありがとうございます。いただきます」
「アサギ……」
淡い赤色の酒が入った細いグラスを両手で受け取り、掲げて、そっと口を付ける。ダニエラが呆れた目で僕を見ている所為で味も素っ気もない。無論、ダニエラの所為ではない。
「大変美味しゅうございます」
「それは良かったです」
緊張が緊張を呼び、呼ばれた緊張が緊張を引き連れて押し寄せる。あぁ、もう、目が回りそうだ。
「アサギにはまだ早かったか……」
そんなダニエラの言葉を耳にした僕の、その後の記憶は曖昧だった。
□ □ □ □
極度の緊張の所為で酒を一口飲んだ僕は目を回したそうで、ダニエラは呆れ半分恥ずかしさ半分で僕を担いで宿まで戻ってきたらしい。
「二度と連れて行かん。行く時は私だけ行く」
「そう言うなよ……悪かったよ……」
夜勤に明け暮れていた僕はそんなお店に行く余裕なんて無かったんだ。世の中仕方ないことだって沢山あるんだ。
しかしダニエラは腕を組んで断固拒否の姿勢だった。なんとかそれを宥めすかしてゴキゲンさんに戻した頃には日は空の真上までよじ登っていた。
「昼は普通の場所で良いか?」
「普通って最高だよな」
はぁ、と溜息を吐きながら額を抑えるダニエラだった。
朝食兼昼食を取りながら、僕とダニエラは今後の予定について話し合う。
「……んで、そのレゼレントリブルにはどれくらいで着くんだ?」
「徒歩で3日くらいの場所だったかな……ただ、間に深い森がある」
普通、旅程に合わせて食料を買い込むもんだが、僕達は重量制限がないから買い込んでから相談が出来る。
「森か。久し振りな気もするな……」
「あぁ。此処ではゴブリン種の他、コボルト種も棲みついているらしい。深くて暗いからだろうな」
ダニエラは手元の紙を読みながら言う。コボルトと言えば坑道跡で退治した魔物だ。彼等は暗くて狭い地面の下に穴を掘って棲む性質がある。森はそれ程に深いようだ。
「他にはトカゲ等の小動物系の魔物が何種類か……だな。まぁ、危険といえる魔物は居ないそうだ」
「だけど、ダンジョンが活性化した所為で魔物の性質や生態も多少は変化があるんじゃないか?」
ダンジョンから這い出した魔物なんかが森に棲みついたりとか、そんな光景は想像に難くない。
「どうだろうな。ちょっとギルドで情報収集しただけだが、そういった変化は見られていない。まだ、な」
「ふむ……」
町の半分が飲み込まれたという情報は、町の7割という情報に上書きされた。ダンジョンに飲み込まれたこと自体はいつ頃の話かは分からないが、情報というのは随時新しいものが出回る。ダニエラの入手した情報の鮮度が良いものならいいんだが……。
「ま、詳しくは行ってみないと分からないな。準備だけはしっかりしておこう」
「そうだな。食料、魔道具に関しては問題ないだろう」
「本当にか? まだその腕輪の中の野菜と魚の存在を僕は確認してないんだが?」
「うるさいなぁ……買ったって言ってるだろう?」
「本当かよ……」
頬を膨らませながらパンを囓るという芸達者なダニエラ。それを僕はジト目で見ながらサラダを口に運ぶ。
「ん……もぐもぐ……。そうだ、ポーションとかの薬品を買っておきたい」
「金はあるし、各種揃えておいて損はないだろう」
「回復系は勿論として、状態異常回復系も欲しいな」
この先生き残る為には色んな場面にも対処出来るようにしておいた方がいいだろう。
「例えばやけどに効いたり、眠気を覚ましたりか?」
「そうだな。僕の知識不足で申し訳ないんだが、石化に対するポーションとかはあるのか?」
「高価だが、ある」
僕が石化に対して対処をしようと思ったのは先日のオークションで『石化の盾』という盾を見たからだ。この盾で防いだ剣は金属だろうがなんだろうが普通の石に変えてしまうという魔法の盾だそうだ。デモンストレーションでは確かに鉄の剣が石の剣へと変化していた。その盾は、何でも魔物の眼を加工した物だそうだ。
ということは、石化の眼を持つ魔物が存在しているということに他ならなかった。
「じゃあこれ食べたら買いに行くか」
「場所が分からない。ギルドに寄って聞いてみるか」
「だな」
とりあえず目先の予定が決まった僕達は急ぎつつも味わいながら目の前の皿を綺麗にしていった。
次回の更新は12月3日21:00の予定です。
※旅の日数を変更しました。2日→3日




