第二百五十話 修羅場を迎えた僕の器用貧乏も素早さも頼りにならない
「此処に至るまでに数々の困難があったんだ……それでも私はめげずに頑張ったよ……でもその結末がこんなだなんて……」
ダウナーな店長が背中を丸め、まるで燃え尽きたボクサーのように項垂れている。
「別に昔からアサギ君を意識していた訳ではないよ。君は1人で夜勤を頑張る良い子だとは思っていたけれどね……男のくせにちょっと髪質が良いのは妬んでいたけれど」
更に背中を丸め、体を折りたたむ店長。両腕はだらりと下げられている。
「この世界に来て、君の存在を知って、日々を過ごすうちに色々考え始めた。それまでは生きるのに必死だったからね……余裕が出てきたってのもあるけれど」
「店長……」
店長がどんな生き方をしてきたのかは分からない。それでも大変だったろう……掛ける言葉が見当たらない。その折りたたまれた背中をそっと撫でて励ましたいが、どうにもこの雰囲気では追い打ちになりそうで手も出せない。無敵じゃないか……。
「あぁ、君は優しいね……気にかけてくれているんだろう? でもこれは私の勝手な感情だ。気にしないでくれ……気にしないでください……」
「気にしてくれって顔してるじゃないですか……」
大事なことなのだろう。言葉とは裏腹な表情で僕を見つめる店長。何だろう、庇護欲と罪悪感が重ね重ねで伸し掛かってくて押しつぶされそうになる。
「リンドウと言ったか。あまりアサギを誂わないでくれないか」
と、此処で沈黙を破ったダニエラ選手。僕の援護にまわる。ん? 誂う?
「アサギは優しくて気の利く人間だ。身の回りで困っている人間が居れば必ず助けようとする男だ。だからと言ってそんな態度でアサギを利用して私から引き離そうとするのは調子がいいのではないか?」
「え、店長ってそんな悪どいこと考えてたんですか……?」
「ふん、私だっていつまでも店長じゃないんだ。この世界に来て、良い面も悪い面も知った。欲しいものを手に入れる為に出来ることはある程度何だってやるよ」
ひぇ……店長が闇属性に染まっている……闇店長だ……。開き直った店長が背もたれに背中を預けながら悪い顔をする。
「あーぁ、でもこれだって君が欲しいからしていることなんだ。許してくれるよね?」
「いや、許さないなんて言ってはいませんけど……でも僕は」
「アサギ。耳を貸さなくていい。こんな強かな女だ。君が居なくても上手くやっていけるだろう」
「そうかもしれないけど……」
「君は、ずっと一緒に働いてた私を見捨てるのかい……?」
「お前はもう店長ではないのだろう。なら無関係のはずだ」
「はぁ? アサギ君にとっては私は恩師なのだが? 燻っていた彼を雇って世話していたのだが?」
「その事には感謝してますけど、でもですね……」
「所詮、お前にとってアサギはただの従業員だったはずだ。ならもう関係は絶たれているだろう」
「元の世界からの関係性は断絶してないから無関係ではないよ」
あぁぁ、僕の両サイドから険悪な雰囲気が……僕の声にも耳を貸してくれない。僕がしっかりしなければいけないのに、でも店長がずっと探してくれていた事とか、元の世界での事とかを考えると強く断れない。どうにも優柔不断が過ぎる僕だ。かと言ってダニエラを手放すなんてありえない。
いっその事、両手に花という答えは……いや、絶対にない。そんなの、フィオナに対する裏切りだ。彼女は僕の気持ちを汲み取って、引いてくれたんだ。それに、店長の事も助けてくれた。そんな彼女の事を裏切るなんて、そんなの許されるはずがない。
結局、僕は店長の想いには答えられないのだ。それを一言、口に出せばいいだけなのだが……この雰囲気がそれを許してくれない。
あぁ……ハインリッヒさんが駆け回ってる……アドラスもやっぱり強いんだなぁ……。
「おいアサギ、何とか言ってやれ」
「ねぇ、アサギ君。結局どうなんだい?」
「あぁ……はい、そうですね……すみません……」
ボーっと現実逃避をしながらの対応だったと、言葉を口にしてからハッとした。
「すみません、というのはアレかな。断られたってことかな……」
「あ……はい、すみません。えっと……ダニエラの事は本気で好きなので……店長とそういう関係にはなれないです」
取っ掛かりが出来たのなら、後は言うだけだった。最初の一言目というのは凄く勇気が必要だが、言うしかなくなったのなら、言うだけだった。
「店長が1人、この世界で生きてきて大変だったとは思います。僕も大変でした。見たことのない魔物相手に、持ったことのない武器を手に戦って……特別な魔法もありませんでした。現地の人間にはよく思われなかったし、苛められたりしましたけど……でも、そんな時に僕を助けてくれたのがダニエラだったんです」
彼女と初めて会った屋台街の事は今でもはっきりと思い出せる。
「それから、ずっと一緒に旅をして、魔物相手に戦って、心が磨り減った僕を、もう一度助けてくれた。それからはずっと彼女の事が大好きです」
「……そうか。君も、大変だったんだな。それなのに私ときたら自分の気持ちばかりぶつけて……情けないね」
「そうは思いませんよ。店長には沢山助けてもらいました。その恩を忘れたことはないです」
ゆっくりと顔を上げた店長。その顔は先程のダウナーな雰囲気はなく、憑き物が落ちたような柔らかさがあった。
「……ありがとう。そう言ってもらえると嬉しいよ」
「店長……」
「思えば、これも一過性の物かもしれないしな。縋るものがなかったこの世界で見つけた唯一の同郷の人間。思い、高ぶって好きになってしまうのも無理はない」
「いや、日本人はまだ居ますよ」
「はぁ!?」
おかしいな。ランブルセンを通ってきたなら松本君の話は耳にしてると思ったんだが……。と、日本人でもあり、勇者でもある松本君の話をする。
ちなみにレイチェルの事はとりあえず伏せておいた。出自がややこしいし、神出鬼没だしな。何かあった時は頼る相手として紹介するつもりだが、それはまた今度じっくり教えることにしよう。
「なんだ……ならもっと若い子の方が良いな」
「店長……」
「はは、冗談だよ。それとダニエラさん」
「なんだ?」
「先程はすまなかった。勝手な言い分だった」
「気にしてない。前もこういう事はあったからな。それに、ダニエラでいい。私もリンドウと呼んでいいか?」
「勿論だとも、ダニエラ。これからよろしく」
僕を挟んで2人が握手をする。何だかんだあったが、仲良くなれたようで安心した。今回は丸く納まった……と言えるだろう。フィオナの時は彼女が幼いのもあって感情的になってしまったが、あれから月日も過ぎ、僕のダニエラに対する想いも確固たるものになった。感情的になって揺らぐことはもうないだろう。
「それで、前にもこういう事があったと言ったね……詳しく教えてはくれないか?」
何はともあれ、修羅場は脱した……ってことで良いのかな。いつの間にかびしょ濡れになったハインリッヒさんと涼しい顔のアドラスが戻ってきている。舞台には槍の名手、バンディ=リーと戦闘狂の『白露』レヴィ=バディが戦っていた。
アドラスの戦い方とかきっちり見ておかないといけないと思っていたのに、予期せぬ修羅場の所為で完全に見逃した……。ダニエラならしっかり見ているかもしれない。後でちゃんと聞いておくことにしよう……。
大人対大人ということもあって修羅場修羅場した雰囲気はあまり出しませんでした。
それにしても店長人気過ぎやしませんかね……。意外な人気に驚きです。




