第二百十三話 忙しい日
寝て起きて翌日。今日は忙しいので早起きして風呂入って着替えてとっととダニエラを起こす。
「ほら、起きろって。今日は忙しいんだから」
「んぁぁぁぁ…………」
「唸っても許さないからな。お前はその朝弱いのを克服しろ」
「うぅ……」
シーツを引っ張って転がす。それでも抵抗しようとしたのが、此方も負けじと掛け布団を取り除く。これ、母親にもよくやられたよなぁ。逃げ場がなくなるから起きるしかなくなるんだよな。
ダニエラは勿論、起きまいと隠れる場所を探すが、もうベッドの上は何もない。目を開ければ後は起きるしか無い。
「くそ……」
「くそって言うな、くそって」
まったく……僕はお前のお母さんじゃないんだぞ。
そんな愚痴を漏らしながらダニエラの腕を引っ張って無理矢理起こし、ずりずりと引き摺って洗面所へ連れて行った。引き摺られている辺りで観念したのか、立ち上がって歩き出したので後は任せることにした。
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ダニエラも着替えて準備が完了したので僕達は宿泊施設を後にした。カウンターにはハイペリカムさんが今日も机とにらめっこしていたので邪魔しないようにそっと前を通り過ぎ……ようとしたら声を掛けられた。
「アサギ君、気遣ってくれるのは嬉しいけど、一応声掛けてね」
「……すみません。腕輪の交換とギルドへの顔出し、あとは武闘会の出場手続きをしてきます」
「別にそこまで詳しく言う必要はないよ。ちょっと出てくるわー程度で良いからね」
「分かりました。じゃあ行ってきます」
「うん、行ってらっしゃい。ダニエラさんも気を付けてね」
「ありがとう。行ってくる」
この間、ハイペリカムさんは一度も顔を上げていない。どうやって此方を見ているのか、認識しているのか非常に気になるが、まぁそういう能力なのだろう。気にしても仕方ないのかもしれないね。
そんなやり取りがあった後、外に出た僕達は一先ず中央詰所へ向かうことにした。背中の鞄の中の帝国軍人優先券を腕輪へと交換してもらう。色々立て込んではいるが、まずはこれをどうにかするのが最優先だろうと昨日の夜、ダニエラと相談して順番を決めた。
腕輪の交換、僕のランクアップ、そして出場手続きだ。出場の際にランクによる階級変更なんかがあったら僕はズルになってしまうからな……そんなつまらないことで失格にはなりたくない。まぁ、事前に調べるとは思うが、調べた結果、ランクアップが必要ですと言われた場合も、このランクアップの手続きをしておけば何の問題もない。
ということでやっぱり出場手続きは最後だった。
「多分此処が中央詰所だな」
「帝都だけあって大きいな……」
2人して目の前の建物を見上げる。5階建てくらいだろうか……結構な大きさだ。こうして見ていても仕方ないので意を決して中へ入る。扉を押し開けて入ったらまぁ、造りはどこも似たり寄ったりだなぁって感じだ。エントランスがあって、待合室や簡単な椅子とテーブルがあって、奥にはカウンターがあって、結構ざっくりとした看板が下げられていた。
「さて、僕達は何処へ行くべきか」
「あれじゃないか?」
ダニエラの指差した先には『各種手続き』と書かれた看板が下がっていた。ざっくりしてる。けれどまぁこれが正解だろうなと2人でカウンターの前に立つと、受付のお姉さんが顔を上げた。
「御用は何でしょう?」
「この優先券を腕輪に変えて貰いたいんですけど」
「帝国軍人優先券ですね。少々お待ち下さい」
席を立ったお姉さんが奥にある棚の籠から手頃なサイズの腕輪を取り出して戻ってきた。
「はい、此方になります」
「ありがとうございます」
優先券をカウンターの上に置いて腕輪を受け取る。勿論、ダニエラと僕とで2つだ。
腕輪はこれと言った装飾は無いが、幅は3cmくらいだろうか。ちょっと大きめの腕時計くらいだな。それをダニエラに渡し、僕も身につける。何となく右手に付けた。
「他にご用件はありますか?」
「あー……えっと、帝剣武闘会の出場手続きは何処でやれば良いんですかね?」
「それでしたら会場で行っております」
「会場?」
そういえばどこでやるとか聞いてなかったな……帝都としか僕は聞かされていない。
「会場は帝都北西の帝都闘技場です。そこで手続きをしてますので、そこでよろしくお願いします」
「分かりました。ありがとうございました」
北西ね……北は軍部だ。そして西は主に冒険者の為の区画となっている。ギルドもあるしな。つまり、軍人と冒険者を纏めて管理出来る場所。それが北西となるのだろう。
と、椅子に座って案内図を取り出してふんふんと頷きながら眺めていた。ダニエラは腕輪をじーっと見ている。
「ダニエラってあんまり装飾物って身に付けないよな」
「そうだな。あんまりジャラジャラしたのは好みじゃない」
ピアスも指輪も見当たらない。ダニエラはアクセサリーが嫌いなのか……こうなると、こっそり貰ってきたウィンドドラゴンの鱗と牙のペアネックレス計画が破綻してしまうな……。折角貰ったのに。
「ん? 何か贈り物でもしてくれるのか?」
「え!? いや、まぁ……あははは」
「何だ、アサギにもそんな甲斐性があったんだな?」
「あ、馬鹿にしたな。僕はいつだってダニエラの事を考えてるぞ?」
「ふふ、冗談だ。伝わっているよ」
まんまとダニエラの掌の上で転がされる僕だった。
「装飾物は苦手だが、アサギがくれる物なら何だって私は嬉しい。楽しみにしてるぞ?」
「ん……まぁ、そのうちな」
照れくさい。僕はついついそっぽを向いて痒くもない頬を掻いたのだった。
□ □ □ □
場所は変わってギルドへとやってきた。北区から西区へ行くには別に何も手続きはいらない。これは東区も南区も変わりない。あるのは貴族街へ入る為と、そこを抜けたレヴァンス・レーヴ帝城へ行く時だけだ。ま、僕には何の関係もない場所だ。何処かの外国の観光地だったら見に行くのも吝かではないけれど、実際に此処には貴族が居て、皇帝が居るのだ。おいそれと入ったら問答無用で死刑にされる。多分。
ギルドは今日も賑やかだ。帝国各地からやってきた冒険者の間を縫いながらカウンターを目指す。
「おっとすまんな」
「いえ」
途中で肩がぶつかったが、帝都ともなればこの程度のやり取りで済む。行き届いた教育の賜物か。
「待て」
しかしダニエラがぶつかった彼を呼び止めた。振り返ってダニエラを見ると怖い顔をしている。そんなに怒ることなくない?
「今、アサギから盗った物を出せ。そうすれば大事にはしない」
「ダニエラ……?」
盗った? 盗られるような物は……ん? んん!?
「あ、財布がねぇ!?」
ちょっとした買い物用にと銀貨や銅貨を入れていた小さめの革袋がポッケから消えていた。
「アサギ、帝都だからって油断するのは感心しないな」
「まったく情けないね」
「何だよ、俺が悪いってのか?」
悪びれない冒険者が開き直って此方を睨んでくる。言い方は悪いけれど、端金だから僕の授業料としてくれてやっても良いんだが……ちょっと態度が気に食わないね。
僕は《神狼の眼》を発動させた。千里を見通す神狼の眼は別に遠くだけを見る眼じゃない。近くだって見ることが出来る。例えば、彼の尻ポケットの膨らみとか。
「尻のポケットに入ってるな」
「チッ……!」
拙いと思ったか、振り返った冒険者が走り出す。うん、尻のポケットが僕の財布の形に膨らんでる。
あの財布は僕が自作した物だ。針と糸、それから革で作った折りたたみ式の物だ。この世界には紙幣が無いのでいくらか分厚くなる。それでも綺麗に折りたためるように《器用貧乏》先生に設計してもらった品だ。だから、あんな風に四角く膨らむのは僕の財布以外あり得ない。
「貸しだぞ」
「悪いな」
ダニエラとの短いやり取り。ダニエラが冒険者に人差し指を向ける。
「『風弾』」
「どぅおわ!?」
ダニエラオリジナルの魔法。僕の『氷弾』を参考に編み出したそうだ。それは真っ直ぐ盗人冒険者の背中にヒットする。当たったと同時に小規模な暴風となった弾丸は見事に盗人冒険者を転がした。
「はぁ、おいギルド員。窃盗だ」
「は、はい!」
溜息と共に振り返ったダニエラが適当なカウンターのギルド員さんを呼び出した。標的にされたギルド員さんは声を裏返しながらも複数のギルド員を呼び、転んだ冒険者を取り押さえた。そして僕のもとに財布が帰ってきた。
まったく、何でギルドに来ただけでこんなことになるんだろう。絡まれ体質じゃないはずなんだが……そういう主人公補正は勇者である松本君にくれてやったはずなのに。解せぬ。




