第二話 アルバイター、丘に立つ
駅前に似た冷たさが肌を刺す。何だろう、肌もしっとりする。しっとりするが、チクチクもする。なんだろう?
夢現の中、目を開く。草が見える。草? 意味が分からないまま、ゆっくりと体を起こし、周囲を見回す。
気付いたらそこは霧煙る緑の丘だった。
「なん……だ、これ……どこよ此処……?」
そう、さっきまで僕はコンビニにいたはずだ。しかも強盗と一緒に。そこまで思い出して慌てて制服を捲り上げて腹部を見る。しかしそこに存在するはずのナイフは無く、おまけにそのナイフが貫いた制服にも傷はなかった。意味が分からない。分からない、が……思い当たる節がある。さっきの声だ。召喚対象って言ってた。
つまり僕は何か、何者かなのか何物なのかは分からないが、何かの意思によって召喚されたことになる。専門学校時代に読んだ小説で見た。
異世界転移。
これはそういうことなんじゃないか? 強盗に刺された可哀想な僕を大いなる意思的な何かが哀れんでくださり、この世界へ転移させてくださったんじゃ……?
まぁここが日本のド田舎でしたーなんてことだったら恥ずかしいが。それはそれでホラーではあるが……。
ひとまず、何か行動せねばならない。時間は早朝だろうか……この感覚は朝っぽい。いつまでもここには居られない。幸いにも霧がだんだんと晴れてきた。
「朝の霧か…」
何の因果だろうか、この僕、『上社 朝霧』の名と同じロケーションに放り出された訳だ。因果か陰謀か分からないが僕は丘を下る。低い草の生えそろった平原の先に森が見えた。
「森か……」
森。食物とか、あるなら平原より森だろうなぁ……思えば夜勤の休憩はまだだったし、何も胃に入れていない。木の実とか、果物とかあればいいんだけどな。
でも、もしここが本当に異世界なら、奴らがいるはずだ。
魔物。
もし奴らに襲われるなら僕はそれに抵抗しなきゃいけない。ならば必要なのは武器だ。森で適当な棒を拾えば何とかなるだろう。幸いにもポケットには納品された雑誌を纏める紐を切るためのカッターナイフがある。携帯電話は事務所に置いてきた。ちくしょう。だがこれで棒の先を削って尖らせれば棒は槍になる。
よし、そうとなれば早く動いた方がいい。相手は待っちゃくれないからな。
僕は早速森へと歩を進めた。
□ □ □ □
ふかふかとした落ち葉の上を歩く。途中、角の尖った石を拾い、適当な細い木を探す。
しばらく歩いているとちょうど良いサイズの木が生えていた。握れば手の中に納まる太さの木。その根本を石で叩く。ガツン、ガツンと音が木々に反射して森へ響く。ちょっと緊張するな……。
何度か打ち付ければ木はゆっくりと倒れた。僕はカッターを手に邪魔な枝を切り落とす。何度も線を引くように同じ場所を切るのがコツだ。ある程度切れ込みが入ったら剥ぐように折る。それからカッターの背を立てて切り口をヤスリがけする。滑らかにはならないけれど、持ちやすくはなるだろう。その後は先端を刃を折らないように慎重に削る。これで棒は槍に生まれ変わった。
「よし……出来た」
手にした槍を見て思う。死の間際に聞いた声に付与されたユニークスキル《器用貧乏》。あれのお陰で僕は木工が得意になったのだろうか。ま、考えても仕方ないか……。試しに槍を構えてみよう。
「えっ……!?」
その時、頭の中で自分が槍を鋭く突き出すモーションが浮かんだ。それはまるでバックヤードで見た防犯カメラのモニターのように、4分割されたそれぞれの動き。僕はそのうちの1つのイメージが槍を突き出す動きだ。それを真似て、足を踏み込み、槍を突き出す。
「ふっ……!」
空気を裂くような音とともに鋭い突きが放たれた。これだ、と思った。僕は槍なんて持ったことがない。もう一度力強く突き出す。真っ直ぐに、振れのない攻撃。
これこそが、ユニークスキルの能力だと確信した。
《器用貧乏》は手にした物を、それが初めて手にした物でも上手く扱えるようになるスキルなのだろう。
なら”器用”でも良いんじゃないだろうか? ”貧乏”の部分が気になる…。ひょっとして使えはすれど、上達するわけじゃないとか?
だったら悲しすぎる。スキルがあるんだ。ステータスもあるだろう。もしかしたら気付いてないだけで魔法なんかも使えるのかもしれない。頭の中で思い浮かべるが、特にそういうのは表示されない。なら、なんかそういうのが調べられる所に行きたいな。
……そう、町だ。町を目指そう。此処が異世界ならこう、冒険者的な方々の組合的な施設もあるだろう。完全に妄想だが。
そんな時、背後でがさり、と音がした。魔物か? ゆっくりと振り返る。
「グギュルル……」
「うわ……」
そこに立っていたのは小柄な人型の魔物だった。肌が薄い緑。尖った耳まで裂けた口から乱杭歯が覗いている。手足は短いが、爪は鋭い。下半身は申し訳程度の腰巻きで隠されている。
分かるぞ、此奴は……ゴブリンだ。
「グギャァァァ!!」
雄叫びをあげ、手にしたボロボロの鉈を振り上げるゴブリン。
「わ、わわっ……!」
僕は手にした槍を構える。走り込み、勢いのままにゴブリンは鉈を振り下ろす。慌てて横っ飛びでそれを躱すが、足に痛みを感じる。
「う、そだろ……」
ズボンの裾が中途半端な位置で切られている。その奥の足からはプツリプツリと赤い雫が溢れてきた。かすり傷、とは分かっていても、痛い。
「くそっ!!」
足から視線を外し、ゴブリンを見ればニヤリと笑う顔が見えた。獰猛で、僕を餌としか思っていない顔だ。ちくしょう、こんな所で殺されて堪るか!
「ギャギャギャギャ!!」
「食らえ!!」
再び鉈を振り上げて走ってきたゴブリンに向かって槍を突き出す。スキル補正による脳内でのイメージ通りの動きだ。真っ直ぐその先端が、走ってきたゴブリンの腹に突き刺さった。自身も腹を刺されておきながら真っ直ぐに腹を狙うのが何とも言えない。
素早く刺し、素早く抜く。先端は青い血で濡れていた。
「ハ……ギャ……ッ」
振り上げた手から鉈が落ちる。それを槍でゴブリンの手が届かない場所を弾く。落ち葉の上を滑った鉈は木の根にぶつかって止まる。
どくどくと流れるゴブリンの血を見ながら油断なく槍を構えていると、ゆっくり、ゴブリンは膝から崩れ落ちた。今がチャンスとばかりにうつ伏せに倒れた其奴のうなじに槍を当てる。
「これで……終わり……!」
ずぶ、と首を貫通する槍。びくんびくんと痙攣するゴブリンの背を踏みながら力尽くで引き抜く。一瞬、水鉄砲のように血が噴き出すがそれもすぐに終わり、背を押さえていた足を青く斑に染めた。
「はぁ、はぁ……」
は……初めての殺し、だな……。何とも言えない気持ちになる。日本人らしく『正当防衛』だと思い込ませても、やっぱり思うところはある。動物の命すら奪ってこなかった人生だ。いきなり魔物の命を奪うのは結構、くる。
しかし僕も一度は殺された身。もう一度殺されてやれる程お人好しでもない。ここは割り切って生きていくしかない。僕は頭を振ってネガティブな思考を霧散させる。
ふと、ゴブリンが鉈を持っていたことを思い出した。確か……あったあった。木の根の傍に落ちていた。
「よっこいしょ……うわ、汚いな。……え?」
それを拾った瞬間、脳内にまた例のイメージが映る。4分割で振り上げて振り下ろす映像が再生されている。まぁ、それ以外に攻撃手段が無いから1カメ、2カメ、3カメ、4カメと角度を変えて映しているだけだが。それもそうだ。剣のように突ける訳じゃない。これが剣鉈とかなら話は変わるのだが、今はいい。ボロボロで僕の血付きの鉈とカッターナイフで削った木の槍を手に、僕は森を進んだ。心許ねぇ……。
□ □ □ □
しばらく歩いた僕は現在、茂みの裏に隠れている。何故隠れているのかって? 理由はその茂みの向こうにある。草を掻き分けて状況を確認してから小さく溜息を吐いた。
「ギャッギャギャ、クギュゥゥゥゥ!」
「ゲギャギャギャギャ!」
「ギャッギャッギャ!」
先程倒したゴブリンが現れたのだ。それも群れで。見た限り10匹はいるんじゃなかろうか……。
最悪だ。いくら槍と鉈が使えるようになったからってあの数は無理だ。どうしようもない。何とか過ぎ去ってもらうのを待つしかなかった。
しかしそう簡単にはいかない。最悪な事に、1匹のゴブリンが僕が隠れている茂みに近付いてきた。鼻をひくひくさせてだんだん近寄ってくる。何だ? もしかして匂いか……? あ! この返り血……! このゴブリンの血が誘き寄せてるのか!
「くそ……!」
口の中で悪態をつきながら慌てて後ずさる僕。どうする……もうゴブリンは目の前。為す術は殆ど無かった。