第百九十八話 討伐隊編成
ふらつく体。重い足。此処に来る前は感じもしなかった両の剣の重量が合わさり、ずしりと体にのしかかる。このまま前のめりに倒れてしまえばどんなに楽か……なんて、思ってしまう程には辛かった。
だが、何が起こるか分からない。あの3枚おろしになったルーガルーがひょっとしたら生き返るかもしれない。そう思うとこの歩みは止められなかった。
ふと、違和感を感じて自身の両足を見る。
「うーっわ……マジかよ……」
今まで全く気付かなかった。ちょっと涼しいなと思うこともないくらいに。
ウィンドドラゴン謹製のズボンがズタズタに裂けていた。《神狼の脚》の代償だろうな……。
「はぁぁ……良い素材だったのにな……」
まったく、幼体とはいえ、竜種の素材を裂くか。この風は。いや、全力を出したつもりだったから、尚更だろう。もっともっと本気になっていたら皮膚まで持っていかれるんだろうか。眷属の身で主の力に殺されるのは誠に遺憾だ。守れよ、主人。
しかし嘆いた所でどうしようもない。半ズボンのまま僕はルーガルーの元へとノロノロと向かった。
□ □ □ □
「……うん、死んでくれてるな」
最後に視界に入ったルーガルーは3枚おろしの上に冷凍されていた。傷口が凍りつき、くっつくこともなく血液すらもカチンコチンだ。それが地面へと叩きつけられれば、粉砕されて当然だ。素材としては残念なことになったが、どのみち僕が装備すれば恨みを買うことになる。他人が装備した際はどうなるか分からないが、まぁ、良いことにはならないだろうな。
まぁ、これで全部終わりだ。まだ使いこなしてない力を存分に使ったことで僕もだいぶ消耗した。とりあえずその場しのぎとして、ルーガルーの死体を纏めて氷漬けにする。アイスドラゴンの鎧の力で増幅させた氷魔法のお陰で疲労困憊の僕でもそれくらいは出来る。
がっちりと凍らえた氷の山が生成され、中で凍結保存されたルーガルーと目が合った。
「はぁ……」
疲れた。日ももう天辺を過ぎて下り坂だ。疲れたので氷山の天辺で休むことにしよう。此処なら、その他の魔物に襲われることもないだろうし、な。
最後の力を振り絞って《神狼の脚》で上まで登り、剣を突き立てる。それを背凭れにして僕はもう片方の眼を閉じた。恐らく来るであろう、討伐隊の来る方向を向いて。
□ □ □ □
「う……」
痛みと共に目が覚めた。目を開けば視界いっぱいに空が広がる。死んだか?
「あ、隊長。ダニエラさんが目を覚ましました」
「ん? おぉ」
声が聞こえたので、発生源へと視界を滑らせると、何てことはない。普通の衛兵の姿が見えた。生きてるようで安心した。
「ユッカ南門警備担当、隊長のサラギだ。会話は出来るよな。さっき起きてたし」
「あぁ……まだ全身が痛むが、口は回るさ」
「なら良い。今の状況を伝えるぞ」
サラギの教えてくれた状況は、とても良くなかった。途中までは私も記憶がある。殺したはずのルーガルーから黒い魔力が吹き出し、私は剣を抜いた。何が起きているのか分からなかったが、良いことではない。危険だと感じたが、どうすることもできなかった私はジッと奴を睨む。
すると、驚いたことに銀色の体毛が徐々に黒く染まっていった。聞いたことが無い現象だ。拙いと思い、流石に離れるべきかと思った私の目に飛び込んできたのは、黒い風だった。そこで私の記憶は途切れている。
それからすぐにアサギが衛兵隊を連れて戻ってきたらしい。そこからは私の集中治療が始まり、蘇った奴を野放しに出来ないとアサギは単身、ルーガルーを始末しに行ったらしい。多分、私の仇とか考えてるだろうな……アサギらしいことではあるが。
そして現在はユッカ上層部への報告、討伐隊の編成の為に帰還中だそうだ。
「それで……いつ、向こうに戻れるんだ?」
「おいおい、そんな傷で何を」
「いつ戻れるのかと聞いている」
「……早くても、夕方だ。ルーガルーの被害は増える一方だったから、上も討伐隊の草案だけは組んでる。あとは招集して、作戦を伝達。大所帯での移動。現場に到着するのは夜。早くて、日暮れ頃だな」
「それじゃあ遅すぎる。今もアサギは単身で死闘を繰り広げてるんだぞ」
思わず体を起こす。が、体中が痛みに軋む。
「そうは言っても、これが最速だ。お前の手当も行いながらの行軍だ」
「私のことはどうでもいい。早く討伐隊を」
「どうでもいいだと……? アサギはお前の為に、お前の為だけに奴を殺しに行ったんだぞ!?」
振り返ったサラギがキッと私を睨む。怯みはしないが、思いの強さが目に込められている。その思いは、自分も早くあの場に戻ってアサギの加勢をしたいと、雄弁に語っていた。
「……ポーションはあるか?」
「あるにはあるが、何を……」
「全部よこせ。すぐにだ」
傍に居た衛兵が恐る恐るといった具合に鞄を差し出す。それを掴み、開くとガチャガチャと小瓶が詰まっていた。その1本を取り、栓を開けて口の中に流し込む。じんわりと腹部が熱を持つのが分かった。しかしそれだけでは足りない。傷を治さないことには体力は戻らない。私は千切れかけの服を脱いで荷台の上でポーションを浴びた。
「おいおい……勘弁してくれ……」
サラギが目元を隠しながら明後日の方向を見るが、気にする暇はない。見たければ見るが良いと言わんばかりに、私は傷ついた全身をポーションで癒やした。
「これは消えないな……」
一番酷い傷だ。まったく情けないことに、胸と胸の間に一筋の傷がついていた。今まで上手くやってきたんだがな……綺麗な体を維持していたのだが、こんな体でもアサギは抱いてくれるだろうか。
「いや……問題ないな」
いつも抱くのは私だったな。抱かれる相手を心配をしても仕方がない。
さて、傷跡はついてしまったが、傷は塞がった。ならば次は体力の回復だ。
「サラギ、アサギの鞄はあるか?」
「ん? あぁ、邪魔になるからって、防具と武器だけ出して渡されたが……」
「寄越せ」
手を出すが、サラギはこっちを向かないままに指だけで指し示す。指先から視線を辿れば、私の後ろに転がっていた。何だ、そんなところに居たのか。ぐみちゃんもぶら下がっている。確かに虚ろの鞄だ。
私はそこから綺麗な布を取り出して、ポーションで濡れた体を拭く。それから自分の防具を取り出して身に付けていく。細剣と弓も回収していてくれたようで、しっかり入っていた。
最後に鎖縛石の小手を装備する。
「其奴は鎖縛石か? 珍しいな……まさか」
「下衆の勘繰りはやめろ。私がそんなことに使うと思うか?」
「ははっ、悪い悪い」
両手を上げて笑うサラギを睨みながら、鞄から屋台飯を取り出して口に詰め込む。まったく、私がか弱い人間を縛って奴隷にするとでも思っているのか? 心外だ。使うならアサギに使って楽しむに決まっているだろう。……存外、楽しそうだ。
私の周りに空き箱や紙くずの山だ出来上がってきた時、南門へと到着した。空を見上げればまだ昼頃か。色んな事が有りすぎて時間の感覚が無い。
「ダニエラは詰所で待っててくれ。最速で報告して隊を編成させる。2時間もしたら出発出来るはずだ」
「あぁ、早くしてくれ」
「分かってる。早まるなよ? 急いては事を仕損じるって言葉、知ってるよな?」
「勇者語だろう? 私も馬鹿じゃない」
かつて、この世界にやって来た勇者の口癖だった言葉だ。他にも沢山あるが、総じて勇者語として広まっている。
頷いたサラギは馬に跨がり、街の中へと駆けていった。しばらく門の外を眺めていたが、衛兵の指示で詰所の中へと入った。
それから暫くは精霊にお願いして、森の様子を聞かせてもらっていた。
『くろいおおかみがあばれてるのー』
『かぜがこわいよ……』
『くろいおおかみと、くろいかみのひとがたたかってるよ』
『きょうはもう、もりがこわいからいかないっ』
何度か往復してもらい、状況を教えてくれた精霊に礼を言うと窓の隙間から町の方へと飛んでいった。
「なるほどな……」
アサギは今も健在。黒化したルーガルーと戦闘中らしい。往復することで情報の鮮度は落ちてしまうが、無事で居ることを祈る。
と、窓の外を睨んでいると扉がノックされた。
「ダニエラ、居るか?」
「サラギか」
「あぁ、討伐隊が到着した。行くぞ。ルーガルー退治だ」
サラギの声に細剣を腰に下げ、扉を開ける。廊下にはサラギと、ポーションをくれた衛兵の女性が立っていた。
「準備は良いか?」
「勿論。あぁ、そうだ。さっきはポーションをありがとう。代金は後で払わせてもらう」
「いえ、そんな……」
慌てて手を振って遠慮しているが、払うべきものは払う。恩には感謝が生きる上での重要なコツだ。
彼女の肩を軽く叩いて微笑みかけながら、目で遠慮するなと訴えると小さく首を縦に振ってくれた。うん、これで問題ない。
「じゃあ行くぞ。皆が待ってる」
サラギの声に従い、廊下を歩く。ついにルーガルー討伐ということで、各部署の衛兵が此方の様子を伺っているのが見える。目が合った衛兵は敬礼をして私達を送り出してくれる。それに任せろと頷いてやれば、ビシリと再び敬礼した。
待っていろ、アサギ。皆を連れてお前の元に戻るから。
だから、無事で居てくれ。




