第百九十四話 ルーガルーの噂
「来たか」
「あぁ。此奴がレハティだ。よろしく頼む」
玄関空間のいつもの窓から中へ入るとレイチェルはいつもの部屋着では無く、毛皮を使った服を着ていた。これがレイチェルの正装なのだろう。
「よろしくするかは、お前次第じゃな」
「あぁ、その上で頼んでる」
「じゃあ、良いのじゃな?」
「良いも悪いもないだろう? ちょっと鞍替えするだけだ」
そう、結局はその程度のことなのだ。ベオウルフから貰った付与の上位互換のレイチェルの付与を上書きする。与えられたスキルも上位のものとなり、めでたく僕はレベルアップを果たすのだ。ゲームと同じだ。
「唯一、気になるところは……」
「気になるところは?」
「今度ベオウルフに会った時に何て言い訳するかだな」
折角くれた付与を上書きで消してしまうのだから、恩を仇で返すのと同じだ。その義理を欠く部分だけはどうにも心の中で蟠る。
「まぁ、その件についてはワシからベオウルフに会った時に話しておくよ。そのうち会うじゃろうし」
「そうなのか?」
「あぁ。ま、それはこっちの話じゃ。ほれ、早う座らんかい」
そういえば僕達来客組は棒立ちだった。慌てて座布団の上に腰を下ろす。
「あの、えっと……」
と、そこでレハティが何か言いたそうにチラチラとレイチェルを見る。
「ん? なんじゃ、人狼娘」
「えぇっと、その……貴女が、伝説の神狼様?」
「あー、まぁ、そんな風に言われたこともあるな……改めて言われると気恥ずかしいがな」
「ふぁぁ……!」
レイチェルがフェンリルだと知ったレハティはパァッと笑顔になり、レイチェルの傍で仰向けに寝転びお腹を晒した。何か聞いたことがある。あれって確か服従のポーズだったような……。
「バッ、やめいやめい! こんな所で!」
「す、すみません……」
と、お互いに顔を赤らめながら急急と座布団の上に戻る。何か意味合い違うような気がする。
「で? アサギはいつになったらレイチェルの眷属になるんだ?」
「おぉ、そうじゃったそうじゃった。ほい」
「ほい?」
レイチェルが掌を上に上げる。
「そいっ!」
そしてそれをそのまま僕の頬に振り下ろした。
「んふぅ!!」
「アサギ!?」
「うわぁ!?」
ノーガードで座っていた僕はそのままビンタの勢いでふっとばされ、障子に頭から突っ込んだ。凄く痛い……。
「うむ、これでオッケーじゃ!」
「いたい……いたい……」
「アサギ、大丈夫か? 怪我はないか?」
僕からは見えないが、腕を組んでうんうんと頷くレイチェルが容易に想像出来る。ダニエラの手を借りて立ち上がろうとするが、思いの外嵌った障子が抜けない。
と、意外と重い障子を首で支えながら両手を床に付くと、その手の先から銀色と翠色の粒が溢れ始めた。
「なんだこれ」
「それがワシの付与じゃな」
レイチェルの言葉に首を傾げようとするが、首が動かない。粒はどんどん溢れ、やがて僕の体を取り込んだ。そして光の粒は僕の体へ吸い込まれていく。
あの時のことを思い出した。森の中、ベオウルフに付与を貰った時だ。あの時もこんな光の粒が僕の中へ吸い込まれていったんだっけ……。
でもビンタはされなかった。
「これが神狼の付与ね……」
ユニークスキル《神狼の脚》《神狼の眼》。二つの新たなスキルが僕の中で生まれた。当然、使い方も僕の頭に叩き込まれているので、今からやれと言われてもある程度の動きは出来る。
「じゃあこれで僕もレイチェルの眷属という訳で、レハティのこと、頼んだぞ」
「あぁ、バッチリ送り届けてやるとも」
ダニエラの手助けのお陰で障子から首を抜いた僕はレハティと向き合う。
「正直、こんなに事が上手く運ぶとは思わなかったけど、一番良い結果になって良かったよ」
「ありがとう、アサギ。アンタに会えて本当に良かった。レイチェルお姉さまとも知り合えたし、私は今、一番幸せだ」
気になる単語はあったが、まぁ、幸せならそれで良いさ。
「向こうに行っても元気でな」
「あ、あありがとう。ダニエラもアサギと仲良くな」
「ん……うん」
チラ、と僕を見たダニエラの頬が朱に染まる。可愛い。
「よし、じゃあ全部終わったな。ほれ、帰れ帰れ!」
「え? まだレハティが行く所で手を振らないと……」
「幼児かお主は! またそのうち会えるんだからほれ、早う行け!」
「わ、分かったよ……」
こうして僕とダニエラは半ば、追い出されるように玄関空間を後にした。まったく意味が分からなかったが、僕は後に知る。
獣人が行う服従のポーズの意味を。
□ □ □ □
無事とは言い難いが、何とかレハティを温泉島に送り届けることが出来た。……はずだ。はずだと思いたい。
「まぁ、悩んでも仕方ない。私達は出来ることをやったんだ」
「……だな。これで一生の別れでも無いんだし、今度は僕達の方から温泉島に行ってやろうぜ」
「そうだな」
でもまずは帝都だ。この先、何があるか分からないがダニエラと2人ならやっていけると、何となく、改めて思うのであった。
廃村から南門へ帰るのにそれ程時間はかからない。迷いようがない1本道だからだ。そんな道も、これからは人通りが多くなるはずだ。ユッカの市民を悩ませていたルーガルー騒動は終わった。それは、不幸な体質に悩まされる1人の女の子の物語。それを知るのは僕とダニエラとレイチェルだけ。
そういう風に話を持っていきたいのだけど、どう説明したら良いのだろう。もう南門が見えてきた。残り時間も少ない。
「それにしても……」
「ん?」
首を傾げるダニエラに、今まで抱いていた疑問をぶつけてみる。
「南門を出る時に言われたんだ。『ルーガルーが見たい。ルーガルーを仕留めたい。そう言って町の外に出た人間は誰一人帰ってこなかった』って」
「まさか、レハティが冒険者を殺した、と?」
そんなはずがない。確かにそれが出来る力はあるが、レハティはそんなことをするような奴じゃないと、直接話した僕とダニエラは確信している。
「なら、一体誰が、冒険者を……?」
その僕の疑問にダニエラが答える前に、割り込んできた声があった。
――ォォォォ……ン……
すぐさま剣を抜くダニエラ。僕は槍を仕舞ったままだったので腰の鎧の魔剣を抜く。
「おいおいおい、どういうことだ!?」
「どうもこうもない!」
焦ったようにダニエラが気配感知を広げて辺りを見回す。
「レハティはルーガルーじゃなかった……ルーガルーは別に居たんだ!」
叫ぶように声を荒げたダニエラが僕を突き飛ばす。無意識からの突き飛ばしに、僕は為す術もなく転がり、そして眼にした。
僕とダニエラの間に立つ、巨狼。白銀の体毛。3本の尾。
「ベオ、ウルフ……?」
「ほう、俺を知っているのか? 人間」
ギロリと僕を睨むその眼は敵意と殺意に満ちていた。
「久し振りだっていうのに、随分なご挨拶だな?」
「久し振りだと……? 俺はお前など知らん」
ガッ! と、爪を地面に突き立ててベオウルフは吼える。
「俺は、気に食わん匂いの元を断ちに来ただけだ! 死ね、人間!!」
ベオウルフの4本の脚に銀翆の風が纏わり付く。見慣れた風だ。随分とお世話になっていたが、それが僕だけの風じゃないと、思い出した。
「くっ……!」
見慣れた風。見慣れた速度。なら躱すだけなら出来ないこともない。
「ほう、躱すか……なら、これならどうだ!?」
銀翆の風が3本の尾を覆い、そしてベオウルフは尾を奮った。放たれるのは鎌鼬。僕はあまり使わなかったが。だが、知っている技だ。だから、弱点も分かる。
手にした剣で鎌鼬の横っ腹を叩く。そうすることで余計な風が発生し、鎌鼬は霧散する。これが鎌鼬の弱点だ。剣で戦うスタイルに鎌鼬を組み込めないかと《器用貧乏》でシミュレーションしたことがある。その中で、鎌鼬の弱点を知った。それからは多用することは少なくなった。そのお陰というか、影響で蹴りを多用することは増えたが、そこに鎌鼬は纏わなかった。牽制代わりに使うシーンはあったが、止めに使うには頼りない。
「ふん、所詮、風の刃か。ならば。俺の爪と牙で……」
「ちょっと待て!」
戦おうとするベオウルフに僕は待ったをかける。どうにも会話が通じない。
「お前、僕のことを忘れたのか? フィラルドで、和解したことを忘れたのか?」
「そんな話は知らん。そもそも、俺はお前を知らん。フィラルドも知らん。知っているのは、お前が気に食わないということだけだ!」
会話をする気もないと、ベオウルフが飛び出そうとした足元に、風を纏った矢が打ち込まれる。ベオウルフは難なく躱し、後方へとジャンプして距離を取った。
「アサギ、此奴に話は通じない」
「でも、ダニエラ」
「聞け、アサギ」
いつの間にか弓に持ち替えたダニエラが矢を番えて言う。
「あのベオウルフは別個体だ。私達が出会ったあの銀狼とは違う個体だ」
「そんな……いや、有り得ること、なのか?」
ギリギリと弦を引き絞る。
「有り得るとも。そして、あれが噂のルーガルーの正体だ!」
そして放たれた矢は真っ直ぐに、僕の知らないベオウルフ、ルーガルーへと突き進んでいった。




