第百八十五話 ユッカの町並み
風呂で体の疲れを癒やし、ベッドで心の疲れを癒やす。そうすることで僕は心身共に、完全健全無敵に戻れる。しかしそれには時間が必要で……。
「アサギ、いい加減起きろ」
「んぇー……まだ怠い……」
「いい加減にしないか……」
気付けば5日目の昼だ。なんてことはない。久しぶりにゆっくりしてしまったので怠け癖がついてしまったのだ。
だが、そうと分かっていてもどうしようもない訳で。つまり僕はこの大きなベッドの上がある5.5階とリビングがある5階の行き来以外に労力を使わない生活に嵌っていた。最近はたかだか数段の階段を上がるのも面倒で《森狼の脚》でスィーッと上昇してベッドにダイブしているくらいだ。
そういえばこの宿に来た次の日くらいだったかな……支配人を名乗るおじさんがやって来た。何でも、従業員の不手際をお許し下さいとか、そんなことを言っていたらしい。僕は寝ていたので対応したのはダニエラだった。
それからは特に来客もなく、平和な日々が穏やかに緩やかに、この部屋だけを世界と決めた僕の中で流れていた。
が、それも今や崩壊の危機だ。ダニエラがお冠なのである。
僕は必死に掛け布団にしがみついて抵抗する。
「外行ったって緑色じゃないか!」
「観光するって約束だったろう!」
「ぐっ……」
約束と言われると弱い。抵抗する気持ちと共に弱くなった握力から掛け布団が奪われた。それをグルグル巻きにして脇に抱えたダニエラがフンスと鼻息荒く僕を睨む。
「行くぞ。まずはそのボサボサの頭をどうにかして来い」
「分かったよ……」
仕方なく僕はベッドを降りる。
「悪かった。あんまり此処の居心地がいいもんで怠けてた」
「気持ちは分かる。そのベッドのふかふかっぷりといったらもう、最高の一言だ」
苦笑を浮かべるダニエラに釣られて僕の頬も苦い笑いの形に歪む。
「ま、そこはそれ。私とのデートも最高の一言に尽きるんだ。一緒に行こう。な?」
「あぁ、すぐ準備してくるよ」
ギュッと抱きしめてくるダニエラの背中に腕を回してポンポンと軽く叩きながら撫でてやるとゆっくりと名残惜しそうに離れる。そのダニエラの頬に唇でそっと触れてから僕は5階に置いた虚ろの鞄から『白百合服飾店』で買ったおニューの服を取り出す。今日は上下黒だ。ガイアスタイルで行こう。
「アサギ」
「うん?」
「早くな」
服を持って振り返ると5.5階からダニエラが手を振る。手を振るような距離でもないのに、変な奴だ。だが可愛い。
「うん、急ぐよ」
「ん……」
変にしおらしいダニエラを残して僕は風呂場で体を清めて、新しい服に着替える。設置された鏡の向こうには夜勤時代のような青白い顔の男は居ない。うん、ダニエラと並べば釣り合わない感が凄いが、僕は僕だ。精一杯、今日はダニエラと楽しむことにしよう。
と、気合を入れて風呂場を出るとそこにダニエラの姿は無かった。
なんて、展開がありそうだが、現実にはそんなことはなく。同じく白百合服飾店で購入した服に着替えたダニエラが窓の向こうを眺めていた。今日のダニエラはパンツスタイル。安産型のお尻がいいね!
「ん? 出たか」
「おまたせ」
「じゃあ行こうか」
ダニエラが玄関に向かい、僕は虚ろの鞄を背負って後に続く。扉を開けてくれたダニエラにありがとうと言いながら部屋を出て、鍵を掛ける。
並んで階段を降りてエントランスに行くと、分かってはいたが宿泊客の視線が集まった。ダニエラがちょっとムッとしているのが分かったので、ポン、と肩を叩くと溜息を吐いた。
「怒っても仕方ないだろう?」
「まぁそうだが……」
それによく見れば初日の嫌なものを見る視線ではなく、好奇の目のように感じる。若干頬を染めた女性がダニエラに見惚れていたり、宿泊客の息子がダニエラを見て嬉しそうに両親に報告していた。僕に集まる視線もまぁ、恥ずかしいが好奇の目だった。
「あのやり取りのお陰で見る目が変わったんだろう。ダニエラのお陰だな」
「はぁ……そういうことにしておこう」
腕組みしながら歩き出したダニエラの足取りは心なしか、軽く見えた。
□ □ □ □
カウンターの従業員に鍵を預けて久しぶりにユッカの町に繰り出した。というか、ちゃんと町並みを見るのは初めてだな。窓の向こうに広がる町並みと、地面の上から見る町の景色はやはり違って見える。
2人で特に宛もなく歩く。淡いグリーンの壁はどれも石組みで、わざわざ塗っているのだからご苦労な事だ。
そんな町を眺めながら歩いていると大きな通りに出た。ここがメインストリートなんだろうか。でも多分そうだと思う。何故なら、良い匂いがしてくるからだ。腹が減る匂いだ。
「彼処の店から良い匂いがするな」
「寄ってみるか?」
なんて、聞いてくるダニエラではあるが、うずうずとした様子は『行きたい』という気持ちを如実に表していた。
「そうだな。腹も減ったことだし行くか」
「アサギならそう言うと思った」
うんうん、と頷きながら歩きだすダニエラの後ろを苦笑を浮かべながら付いて行く。
「いらっしゃーい」
「2人だけど、席空いてる?」
「あぁ、好きなとこ座りな」
髭のおじさんが気さくに接してくれるお店のようだ。この店からは香ばしい肉の焼けた香りが漂ってきていた。それが見事に僕とダニエラの胃を掴んで離さない。ならば、当然注文するのは肉だ。
「さっきから良い匂いをしてるそれを二人分頼むよ」
「はっはっは! 匂いだけじゃないぞ? 味も良い!」
ジュゥ、とフライパンの上で肉の焼ける音が二人分。
「肉のデュエットだな」
「大丈夫か? アサギ」
思ったことを何も考えずに呟くとダニエラに心配された。多分、頭の心配だろう。
「なんでもない」
「そうは見えなかった。なんだって? 肉のデュエット? だいぶ知能が衰えてるとみえる……」
さも心配そうな顔で僕を見てくるが、よく見ると口端がピクピクと痙攣している。此奴、馬鹿にしてるな?
「良いだろう。肉は僕が二人分食べるとしよう。ちょうど腹も減ってることだしな」
「私が悪かった。許してくれ」
ダニエラが居住まいを正して頭を下げる。お肉様の力というのは偉大である。
「何馬鹿なことやってんだ。ほら、肉食え、肉!」
「「いただきます!」」
いただきますのデュエットが店内に響き、後には無言で肉を貪る男女の姿がそこにあった。
分厚い肉にはソースは無く、しかしシンプルに焼いた訳ではない。香ばしい肉の香りに負けず劣らず数種類の香辛料の香りが僕の鼻孔を刺激する。ナイフで大きめに切った肉からはジュワッと肉汁が溢れ出す。それを大きく口を開けて虚ろの口に収納する。ナイフを通した時にも感じたが、凄く柔らかい。しっかり火も通ってるし、薄くもない。それなのにこの柔らかさは何だろうと不思議に思うが、零れ出る肉汁がそんな疑問を洗い流す。
気付けば皿の上は空っぽ。顔を上げるとダニエラも同じ状況だったようで、思わず笑みが溢れる。
「「おじさん、おかわりだ!」」
おかわりのデュエットが店内に響き、肉の焼けるオーケストラが再演された。
□ □ □ □
「いやぁ、食った食った」
「久しぶりに腹いっぱい肉を食った気がする」
膨れた腹を運びながら食後の散歩と洒落込んだ僕達だ。結局あの後もう1回おかわりをして、3皿も平らげてしまった。柔らかい肉というのは胃への負荷が少ないようだ。まぁ、塵も積もれば……なのだけれど。
ふぅふぅ言いながら歩いていたが、それも時間とともに慣れてくる。気付けば腹の重さも分からなくなっている。周りを見ると、観光客と冒険者が半々に見える。帝都に一番近い町って話だったっけ……。色んな人間が居るのも納得が出来る。
そんな人間を食い物にする盗賊……やはり許せない存在だ。今はもう落ち着いたが、あの時の戦闘光景は今でも思い出せる。
「そういえば、ギルド経由で報奨金が支払わる手筈になっていたっけ」
「じゃあ次の目的地はギルドだな」
2人で頷くと進路をギルドへととる。まぁ、場所が分からないので盛大に迷ったのだが……。




