第百八十四話 キレるダニエラ、ビビるアサギ
ダニエラが見つけてくれた宿というのは『森樹亭』というらしい。森の樹と書いてしんじゅ、だそうだ。陸なのに真珠とは中々遊びがある。洗濯してくれる宿ということで探してもらっていたが、そういったサービスをしてくれるのはこの宿だけらしい。そして、この宿は所謂『高級宿』だそうだ。まぁ、そんなサービスまでしてくれるのであれば納得出来る話だ。コインランドリーなんて無い世界だ。洗濯してもらえるのは実に有り難い。
「此処だな」
「おぉ……」
目の前には淡いグリーンの建物がそびえ立っていた。5階建ての宿。なるほど、儲かっているようだ。入る客も出る客も多い。最早これはホテルだな。
扉を押し開けて中へ入る。エントランスは天井まで吹き抜けになっていて、各階の窓から入る陽の光が屋内を優しく照らしている。その吹き抜けを囲うように通路と階段が繋がっている様はどこか幻想的だった。
上げていた顔を降ろし、正面を見るとローチェアやローテーブルが点々と置かれ、身なりの良い宿泊客達が各々の時間を過ごしていた。一部、僕の姿を見て眉を顰める人も居たが、まぁ、気持ちはわかる。仕方ないね。こんな姿は僕だって嫌なのだ。
「さっさと行こうぜ」
「だな」
ダニエラも僕に集まる視線に気付くと足早にカウンターへと向かっていく。それに続いて僕も早歩きで付いて行く。
カウンターでは従業員が立っていて、僕の事をジロジロと観察していた。まぁ、気持ちは分かるが見過ぎじゃない?
「すみません、部屋を借りたいんですけど」
「失礼ですがお客様はその……」
「何ですか?」
「身なりと言いますか、ちょっとその……」
あ、これ断られるパターンじゃないか……? 確かに僕の姿は酷いものだ。返り血で赤かった服は乾いて赤黒くなって、鉄臭い。だからこそ綺麗にしてもらいたいんだが……。
「当宿は料金設定も高めですので……」
「ちょっと待て」
「はい?」
言い難いからか、値段を理由に断ろうとした所でダニエラがズイ、と前に出た。
「今、ひょっとして私達は門前払いされようとしているのか?」
「あー……えぇっと……」
「どうなんだ?」
「あの、すみませんが……」
頭を下げてお引き取りを願われた途端、ダニエラのキリッとした目に極々わずかな殺意が滲む。気圧された従業員はビクリと肩を震わせて頭を下げる。
「そうか……そういうことなら此方にも考えがある」
「えっ……」
恐る恐るといった感じに顔を上げた従業員の顔が青褪める。
「ここに居るアサギはスピリスのギルドマスター『赫炎のボルドー』から二つ名を貰う程度には優秀だ。先のニコラ騒動の話もそろそろ聞いているだろう? あれを収めたのもこのアサギだ。盗賊の首領が召喚したウィンドドラゴンを一撃で屠ったんだ。お前に出来るか?」
「いえ、それは流石に……」
「ハッ、無理だろうな。そうそう。もう少し昔の話をしてやろう。レプラント周辺の村を襲ったオークの話は知っているだろう? あの軍勢を1人で押しとどめ、退けたのはアサギだ。最後の抵抗をしたオーク達へ単騎突入した時のアサギは凄まじかった。弓を構えた隊列に向かってお前は単騎で突っ込めるか? 無理だろう。だがアサギはそれを成し遂げた。この凄さが分かるか?」
「あの、はい……」
「これだけの偉業を為した二つ名冒険者を門前払いするんだ。それが、この宿にどういう影響が出ることになるか、分かるか?」
「はい……はい……っ」
「本当に分かっているなら、貴様が私達に言う言葉があるはずだ。分かるな?」
「はい……すみませんでした……!」
「すみませんでした?」
「申し訳ございませんでした!」
従業員の姿がカウンターの向こうに消えた。土下座したようだ。流石にちょっと可哀想な気もするが……。
先程以上の視線が僕達に注がれるが、視線に混じって『あれが銀翆……?』『ということはあの美女が白風か』なんて悪名が聞こえてくる。ダニエラのは褒め言葉だが。
その声が聞こえたのか、立ち上がった従業員は顔面蒼白にしながら深く頭を下げる。
「此方で最上級のお部屋を用意させて頂きます! お代も必要ありません!」
「ふん、見くびるなよ。私達は野蛮人じゃない。泊まる以上、それに見合った金は払う。アサギ、鞄貸せ」
「あ、はい」
僕はビクリと肩を震わせた。振り向かず、手だけ此方に伸ばすダニエラ。その手に降ろした鞄を渡す。ちょっと怖い。
それを受け取ったダニエラは蓋を開けて手を突っ込み、ウィンドドラゴンを捌いて得た金貨袋を引っ張り出して鞄を僕に返す。
鞄を受け取り、それをどうするのだろうと従業員と2人で見ていると、金貨袋に手を入れたダニエラがその手に金貨を鷲掴みにし、カウンターに広げた。それを繰り返すこと5回。カウンターの上には金貨の小山が出来ていた。
「とりあえず2週間だ。足りないなら後で部屋に来い」
「じゅ、十分でございます……」
蒼白を越えて血の気の失せた顔でゆっくりと力無く頭を下げた従業員はそっとカウンターの下から部屋の鍵を取り出して僕達の前に置いた。
「512号室です……当宿の最上級の部屋でございます」
「そうか。分かった」
それだけ言うとダニエラは鍵を掴んで僕に振り返った。
「行くぞ、アサギ。連れてけ」
「連れてけって……? あ、おい、嘘だろ」
「私は5階まで階段を登りたくない」
ちょっと拗ねたような顔をするダニエラ。きっと僕を侮った従業員や宿泊客の前で僕が銀翆である所以を見せつけたいのだろう。拗ねているのは演技だ。
「あんまり騒ぎにはしたくないんだが……まぁ、ダニエラの頼みだしな」
鞄を背負い直した僕はダニエラの背と膝に腕を通して抱き上げ、お姫様抱っこをしてやる。周りに見られないように顔を綻ばせたダニエラがしっかりと腕を僕に回した所で《森狼の脚》を起動させる。そのままその場で真上に飛び上がり、何度か空を踏みつけて5階へと近道をした。勿論、無駄に風を巻き起こすこと無く飛んだので迷惑は掛けてないのだぜ。
□ □ □ □
廊下に降り立った僕達は目の前の部屋番号が『506』だったので壁に沿って歩く。次の扉が『507』だったので、止まることなく進み、『512』の前で止まって鍵を差し込んだ。ちなみに角部屋だった。
鍵を捻ってロックを外し、扉を引く。すると扉の隙間から木の香りがした。新築の匂いだ。ゆっくりと扉を引き、部屋の中を見る。
「ほう……」
「ひっろ……」
中は今までにない広さだった。芸能人の豪邸とかで見るような広さでビックリだ。壁や天井は木で出来ていて、色もまだ真新しい。じっくりと見回していた視線がとあるものに引っかかりビックリした。部屋の中に階段がある。
「おいダニエラ。階段があるぞ。ということは彼処は6階か?」
「いや、飽く迄も此処は512号室だ。だからあの上は5.5階だと思う」
なんて馬鹿な話をしながらダニエラと階段を登る。するとその先にあったのは大きなベッドだった。大きなベッドが、ドンと一つ。
「また一緒に寝れるな」
「寝かせてくれよ?」
ただでさえ疲れてるんだとダニエラの顔を覗き込むと実に悪い笑みを浮かべていた。
5.5階から降りて広がる窓の元へ行く。やはり5階だけあって町並みが見渡せる。そして見渡して気付いた。このユッカという町の建物は、全て屋根の色がグリーンだった。そしてそれだけだと建物自体の特徴が無くなる為、実に色々な形の屋根が出来上がっていた。遠くには盾の形をした屋根が見える。防具屋だろう。剣の形をしたのは武器屋。シャツの形をした屋根は服屋で間違いない。しかも、それが各1店舗ではない。剣は剣でも様々な種類の屋根が沢山並んでいた。
「これはまた壮大だな……深緑というより、混沌だ」
「歴史のある町なのだろう。だが最低限の景観だけを残して様々な形を取り入れる辺り、此処を治める人間は柔軟な発想が出来る人間なのだろうな」
確かにそうだ。景観を大事にするならあまり突飛な建物は建てられない。最低限の景観……屋根の色だけ統一して、あとは見事にバラバラ。個性的な建物が広がっている。なかなか思い切った町だな。
景色を堪能し、振り返り、改めて部屋を物色する。壁際には浴場とトイレが別々の部屋で用意されていた。お風呂とトイレの同居は嫌だからこれにはアサギ選手もガッツポーズだ。
ふかふかを通り越してふわふわの絨毯の上には綺麗な机とL字ソファが並んでいる。ここは団欒スペース。その傍にはまた別のテーブルと椅子が並んでいたので、食事はそちらでするのだろう。
あとは森樹亭ということだけあって観葉植物や花等が置かれていた。花からは素敵な香りがする。心が安らぐいい匂いだ。ダニエラの次にいい匂いかもしれないな。
「いい部屋だ」
「あぁ、ダニエラのお陰だな」
ソファに並んで座り、ホッと息を吐く。
「あれは、その……アサギの事を低く見られて頭にきてしまったんだ……」
「気にしてないのに。でも、ありがとうな」
そっと顔を寄せて久しぶりにダニエラにキスをする。顔を離せば蕩けた顔のダニエラが僕を見つめるが、ハッとして慌てて顔を伏せる。
「あ、アサギは疲れてるんだ。風呂に入って、着替えて休んだ方がいい。服や装備は私が従業員に渡してくから」
「うん。じゃあ、ちょっと風呂に入ってくる」
やっぱり疲れが溜まっていたのか、ダニエラに促されて風呂場に行き、身に付けていた衣服を全部脱ぐ。鏡に映された僕の体はやはり血で汚れていた。奇跡的に怪我は一つもなかったが、逆にこの血が全て他人の血だと思うと急に吐き気を催した。
「早く流そう」
1人呟き、見慣れた器具を使ってお湯を生み出す。それを頭からかぶってから綺麗な布でゴシゴシと体に付いた血を擦り落とす。全ての血が水に混ざって排水口に流れた時には、僕の体は摩擦で真っ赤になっていた。




