第百七十八話 湿地の町
タンジェリンさんは商人である。しかし大規模なキャラバン等ではなく、小さな馬車一つでやりくりする個人業だとか。僕を轢きそうになった御者の彼の名はラプターというそうだ。
雨宿りの木の下で待機していたダニエラの元に馬車で立ち寄り、回収して幌の中で濡れた体を拭く。
「いやホント、助かりましたよ!」
「こっちも助かりました。お互い様ってやつですね」
バサバサと布で座ったダニエラの髪を拭いてやる。チート系主人公ならここで手から温風を出すところだ。が、生憎僕は足からしか出ない。
「アサギさんは雨で立ち往生。私は魔物に襲われ命の危機。釣り合いが取れませんな!」
「いやぁ、あはは」
広い目で見れば僕も落雷の危険とかあったりしたが、こじつけだ。何とも言えない。
「せめて、町までは送り届けさせてもらいますぞ!」
「それだけで十分です。ありがとうございます」
「助かる」
こういう時、ダニエラは一言だけ言う。しかしその中性的な美形が柔らかく微笑みながら言う言葉はそれだけでハートを射止めてしまう。罪な女だ。ましてや今は水も滴るイイ女。罪な女である。
「ところで私、風の噂というか、小耳に挟んだ程度の話なのですが、お二人の事、以前聞いたことがあるような気がするんですよね……」
あぁ、商人とは耳の早い生き物だ。情報が金に繋がる生き物だから、きっと僕達の悪評も耳にしているのだろう。
「あー、はい。不本意ながら、それなりに悪目立ちしてきた感じですね……タンジェリンさんの思ってる人物で多分、間違いないです」
「あぁ、やっぱり! ワイバーンを屠り、スタンピードを鎮圧し、村を滅ぼしたオークの群れを撃退し、そして町に巣食う盗賊を排除してあのウィンドドラゴンを一刀両断にした伝説の冒険者! 『銀翆』と『白風』の二つ名を持つ名コンビ! 『白銀の風』!!」
やったことは間違いないのだが、どうにも選んだ単語に悪意があるというか……伝説って何だ、伝説って。『白銀の風』も初耳だぞ。どこから湧いて出たコンビ名だ。
「『白銀の風』は私達のパーティー名だろ」
「知らん。初耳だぞ?」
「私が申請しておいた。スピリスで」
「……」
そんなこっ恥ずかしい名前を、しかもスピリスで申請していただと? 相当前じゃねーか!
「そんなお二人に出会えるとは、私も運が良い!」
「偶々ですよ、偶々」
「偶然とは必然的に起こる運命ですよ! いやホント!」
テンションが上がりっぱなしのタンジェリンさんではあるが、本当にただの冒険者なんだけどな。雨が振って立ち往生してしまうくらいには平々凡々な冒険者だ。
「それでも私はこの出会いを大事なものにしたいのですよ」
「それは僕も同じですよ。いやホント」
大雨の中、馬車は進む。テンションの高い商人と濡れた冒険者2人を乗せて。御者のラプターさんは後でこう聞かされた。
『あんなに元気なタンジェリンさんを見たのは初めてですよ』
と。
□ □ □ □
町の明かりが見えてきた。空も雲で覆われて真っ暗なので明かりを付けたのだろう。雨の中でもうっすら見える。距離と速度から、多分もう十数分で到着するだろう。僕とダニエラは降りる準備と、町へ入る為の始める。
「そろそろですな」
「えぇ、本当に助かりました」
「いえいえ、此方こそですよ!」
すっかり乾いた手でタンジェリンさんと握手を交わす。突然の出会いだったが、本当に助かったし、助けられて良かった。
揺れる馬車をのそのそと移動し、少し幌を開けて御者席に居るラプターさんにも声を掛ける。
「雨の中、本当に助かりました」
「いえ、お気になさらず。此方こそ最初は轢きそうになってしまって申し訳なかったです」
「あれは仕方ないことですよ。事故みたいなものです」
「いやはや、そう言ってもらえると気持ちが軽くなります」
ラプターさんも逃げるのに必死だったのだ。危ない場面はあったが、結果的に誰も怪我していないので、何の問題も無かった。
「そろそろ町に着きます。それまで僅かではありますが、ゆっくりとお休みください」
「ありがとうございます」
会釈して、顔を引っ込める。
もう少し、馬車に揺られることにしよう。
□ □ □ □
「そこの馬車、止まりなさーい」
雨の中でも良く通る声が聞こえてきた。珍しく女性の声だ。思わず幌の隙間から外を伺う。
「はい、此処で止まってね」
「雨の中、ご苦労様です」
「貴方もね」
お互いに労いながら衛兵さんが何かの紙をラプターさんに渡す。それにサラサラと何かを書くラプターさん。
「あれは商人の名前と所属名を書いているんですよ」
「ということはタンジェリンさんのお店の名前ですか?」
「そうなりますね。ちなみに店名は『サングロー商店』です」
「そういえば聞いてなかったですね……扱ってる物は何なんです?」
「主に各地の名産品を他の町で売ってますね。各地域の宣伝にもなって感謝されたりするんですよ」
こういうの、貿易商っていうのかな。その辺は門外漢なのでさっぱりだ。地域の名産品か……僕も各地域の屋台飯は大好きだ。
「では馬車の中と調べさせてもらいますね」
「お願いします」
と、外から聞こえてきた。衛兵さんがこっちに来るようだ。
「……と、お客さんかな?」
「拾ってもらった者です」
衛兵さんと目が合ったので成り行きを説明しながらステータスカードを渡す。
「なるほど……タンジェリンさん、大変でしたね」
「えぇ、でも彼のお陰で助かりましたよ。いやホント」
どうやら2人は顔見知りらしい。そんな雰囲気だ。
「ではステータスカードの読み取りをしてくるので少々お待ち下さいね」
「お願いします」
衛兵さんがカードを持って顔を引っ込めた。暫くは帰ってこないだろう。
「タンジェリンさん、衛兵さんと顔見知りなんですね」
「えぇ、まぁ。この町は帝都に行く為に通る場所なので結構通るんですよ。彼女、ああ見えてこの町の衛兵のトップなんですよ」
「へぇ、若いのに」
優秀なんでろうな。僕みたいなボンクラとは大違いだ。
「いや、若くはないぞ」
「ダニエラ?」
「あれはエルフだ」
壁際で背を預けていたダニエラが言うには彼女はエルフらしい。
「灰エルフだな」
「灰エルフ?」
確かに兜から出ていた髪は灰色だったが。
「髪色で大体の判断は出来るな」
「ふぅん……」
エルフって色とりどりなんだな。
「他にはどんなエルフが居るんだ?」
「んー……私も全ての種族を知ってる訳ではないが、会った同族は白、黒、灰、桃、赤、青だな」
「結構カラフルだな……」
僕も黒エルフって間違われたりするのかな。いや、無いか。イヴは褐色だった。黒は色味が強いから肌にも影響が出るんだろうな。ダニエラも結構白いが。
「はい、終わりましたよー。いやぁ、同族さんに会うのは久しぶりです!」
「そうなのか?」
「はい、私、此処で仕事詰めなので……」
「大変だな。まぁ、頑張ってくれ」
「はい、先輩!」
「先輩……?」
ダニエラ先輩はやはり誰からも先輩扱いされてしまう。先輩風が吹いているのだろう。
「私、レモンフロスト=グラシルフと言います。よろしくお願いしますね、ダニエラ先輩!」
「あ、あぁ……よろしく」
「はい! ようこそ、湿地の町『アルカロイド』へ!」
レモンフロストさんの元気な声とは裏腹に雨は続く。晴れていればさぞ美しいのだろうなと、あの湿地の風景を思い出した。抜けるような青空が今は恋しいぜ……。
馬車は泥水を跳ねながら進み、一見の家屋の前で停車した。
「此処は?」
「私がいつもお世話になってる宿です。サービスも良いし、値段も安いしでオススメなのですよ」
「有り難い。風呂はあるのか?」
「えぇ、共同のがありますよ」
「其奴は助かる。さぁ行くぞアサギ」
「ちょ、っとと、タンジェリンさん、ありがとうございます」
腕を引くダニエラ。少し踏ん張りながらタンジェリンさんに此処まで送ってもらった礼をする。
「いえいえ、冷えた体では風邪を引いてしまいますからね。私は商談があるので今回は別の宿を取りますが、お気になさらず今日はゆっくり休んでください!」
「何から何まですみません。本当に助かりました」
「私達も助けてもらいましたから、その御礼ですよ。いやホント!」
馬車から引きずり降ろされて宿の屋根の下に転がり込むと、ラプターさんが会釈して馬車がゆっくりと走り出した。荷台から手を振るタンジェリンさんに手を振り返す。それもやがて、雨の中に消えていった。
「楽しい人だったな」
「あぁ、あれは良い商人だ。将来は豪商になるだろうな」
「そうなのか?」
「そんな気がするだけだ。さ、入ろう」
「あぁ、だな」
ダニエラと2人で扉を押し開ける。さぁ、風呂に入ろう。早く入ろう。




