第百七十七話 雨の中の出会い
戦いの後、僕はクタクタだったが、見張りの順番が僕だったので泣く泣く朝まで見張りをした。幸いにも魔物の追加発注は無かったようで、お陰様で暇で暇で眠かった。ちょっと動くくらいが良いのだ。ジッと焚き火を見つめていると催眠術にでも掛かったような気になる。
明け方、催眠術師でもある焚き火の上に鍋を置く。その中を水で満たしたら鞄の中から野菜を取り出す。キャベツっぽい物だ。日本で見慣れている食材が外国に行くとちょっと違って見えるような、そんな感じの野菜。それを手で千切って適当な大きさに分ける。そしたらそれを放置しておいて水が沸いてきたらそこへ肉類をぶち込む。なんやかんや異世界調味料を味見をしながら入れていき、グツグツ煮ながら灰汁を取る。先日、市場で唐辛子っぽい如何にも辛そうな野菜を見つけたので切って入れてみたが、うん、辛そうだ。そして良い感じになったら最後に異世界キャベツを入れる。葉っぱの色が鮮やかになったら完成だ。
「ダニエラ、朝だぞ」
「んむぅ……わかった……」
もそもそと布団代わりの重ねた布の中から生まれでてくるダニエラ。そのまま這うようにテントから出てきたら用意しておいた桶の中に水を入れる。それでダニエラが顔を洗ったら朝食の時間だ。
「今日はちょっとピリ辛のスープにしてみた」
「いただきます……ん、からっ」
「だから辛い言うてるやん……」
まぁ分かってても辛い物を食べたら『からっ』って言うよね。分かる分かる。ずず……からっ。でも良い感じ。
食事が終わったら食器を洗って片付ける。それから一休みして、撤収作業だ。テントを畳み、火を消して、ゴミが無いか確認する。もう何度もやってきた作業なので手慣れたものだ。
最初に来た時と同じようにして、野営が終わる。そしたら目的地へ向けて出発だ。
これが日常となって結構経つ。僕も魔物と戦い、野蛮な連中と交流し、そして人を斬るまでになった。実際、僕の中で色々な心境の変化もあった。魔物とはいえ生き物を殺している訳だし。
それでもダニエラと一緒に旅をして、楽しいと思っているし、人との出会いはとても素晴らしいことだと思った。
夜勤を繰り返すだけで消化していた人生が何と無為なものだったかと、思う日も増えてきた。深夜帯のお客さんは愉快な人も多かったし、店長も変な人だったけど美人だったし、良いことは沢山あったけどね。刺されたけど。
そんな日常を楽しめる程度には僕も身も心も強くなってきた訳で。
やはり旅は楽しいなと思っていた僕ではあるが。
「酷いな……」
「どうすんだこれ……」
今、僕達は大雨の中に取り残されていた。
□ □ □ □
さぁ出発だと歩き出して10分もしないうちに黒い雲が見えてきた。怪しいなぁと思った時にはぽつりぽつりと小雨が降り出してきた。どこか雨宿りをと探したが、町まで歩くにはちょっと遠く、本降りになる頃にはずぶ濡れになる。そこで目に付いた大きな木。1本の大木の下にお邪魔しようということでダニエラと避難し終えたのを見計らったかのように土砂降りとなった。
流石にまったく濡れないなんてことはないが、そこはそれ。ちょっと布と枝を使って頭上に広げて簡易のテント……というか天幕? 屋根? を作って防いだ。お陰様でずぶ濡れ状態になることなく雨を凌げた。
が、この雨がどうやら大きな雨雲によるものらしく、全く止む気配が無かった。まだ朝だというのに陽の光は全く無く、夜のように暗かった。時折、雲の中でピカッと稲光が見える。だいぶ酷い雨だ。
「どうしたもんかな……」
「完全に足止めだな。突っ切って行くにしても体を壊すことになり兼ねない」
そうなのだ。濡れた体を綺麗に拭いて、温かい湯に浸かればまだ問題は少ない。が、そうもいかない。体を拭くにしても、湯に浸かるにしても宿が必要だ。ということはまず、宿を探さなければならない。この雨の中で、だ。
そうなっては綺麗に拭くのも湯に浸かるのもずっとずっと先になる。その感、どんどん体は冷えていって、体調を崩す。此処には風邪薬もないし、風邪に効く薬草があっても手元にはないし、都合良く薬屋さんがあるとも限らない。なければ取りに行かねばならない。幸い、鑑定眼鏡があるから薬草の選別は出来るものの、薬草が見つからなければいくら眼鏡があっても意味がない。
つまり、風邪を引くのは命取りであり、結論としてこの雨が止むまでこの木の下に足止めということになるのだ。
「はぁ……もうすぐなのにな」
「仕方ない。こういうこともあるさ」
隣に座ったダニエラが肩を寄せてくる。仕方ない、か……確かに仕方ない。人目も無いことだしイチャイチャするか。仕方ない仕方ない。
□ □ □ □
ダニエラが僕の耳元で甘い囁きをしていたが、ピタリと止まった。なんで……?
「アサギ、魔物だ」
「……」
「ほら、準備」
「最悪のタイミングだ……」
「続きはまた後で、な」
「仕方ない、倒すか」
ダニエラの言葉にしゃっきり背筋を伸ばして木に立て掛けていた鎧の魔剣を手に取る。
「ちなみに詳しく言うと」
「ん?」
「人が魔物に追われている」
「それを先に言えって!」
ポンチョのフードを被って気配の方へ走る。上手いこと僕達の方向へ逃げてきたことで僕の感知エリアにも侵入してきた。お陰様で方角はばっちりだ。
風邪で苦しむことになったとしても、人の命とは比べられない。その風邪が万病の元になり、命に関わる病気になったとしても、だ。そうなる前に出来る事は沢山あるし、そうした出来る事を探す前にまず誰かの命を助ける方が楽だ。
という訳で走る僕であったが、危うく死にかけるところだった。この視界の悪い中、人と魔物の気配を探りながら走ってたら目の前に幌馬車が現れて、危うく轢かれるところだったのだ。御者と目がバッチリあったが、反射的に《森狼の脚》で横方向に回避する。
すると馬車が僕の横を駆け抜けていく。その後を魔物が走り抜ける。チラッと見えた姿はイノシシだった。だが魔力を感じる。やはりあれは魔物だ。初めて見たが、名前は知ってる。『アイアンボア』だ。あれは帝国に棲む魔物で、牙が鉄のように硬いことが特徴だ。それに切れ味が凄い。剣みたいに切れるらしい。要注意だな。
多分、何かの拍子に奴等を刺激してしまったのだろう。大方、雨の中で町へ急ぐために縄張りを横切ったとか、そんなところだろうな。
「と、分析してる場合じゃない」
慌てて起動しっぱなしだった《森狼の脚》で追い掛ける。あっという間に追いつき、抜き様にその巨体の側面を薙ぐ。ビシャリと雨に混じって鮮血が飛び散り、バランスを崩した。
「ブモァァ!」
「止めッ!」
もがき苦しむアイアンボアの首元に剣を突き立てる。それを全力で振り抜けば、それが決定打となり、アイアンボアの命を刈り取った。
「ふぅ……」
また一つ、命を奪った。だが、こうしないとあの馬車が襲われていた。殺らなければ殺られるが通る世界だ。僕もその世界の住人となったからにはその法則に従って生きるしか無い。郷に入っては郷に従えってやつだ。
「おーい!」
「ん?」
顔を上げると幌馬車の幌部分。荷台で人が手を振っていた。御者以外にも人が居たのか……ますます危なかった。
僕はアイアンボアの足を掴んで引き摺りながら馬車へと近付いていく。持つことが出来なくても《森狼の脚》の風速エンジンがあれば引き摺って進むことは出来る。後で握力がなくなって手がプルプル震えることになるが。
「助かったよ! いやホント!」
「いえいえ。危ないところでしたね」
「もう少しこの馬車が遅かったら酷い事になってたね! いやホントに!」
商人らしき格好をした男が僕の空いた手をガッチリ掴んで上下にブンブン振る。
「何かお礼がしたいところだが、生憎、行商の途中でね。あげられる物がないんだ」
「あぁ、気にしないでください。偶々近くに居ただけなんで」
と、さっきまで居た木を指差す。
「連れと雨宿り中だったんですよ」
雨宿りしながらダニエラに耳元で愛を囁かれてました。
「あぁ、なるほど。此処からじゃ町に行くまでに濡れてしまうからね!」
僕の心は濡れていたけどね!
「ならばそうだ。旅は道連れとも言うし、良かったら乗ってってくれないか?」
「えっ、良いんですか?」
願ってもない話だ。足止めから解放される!
「どうかな?」
「是非お願いします! あ、僕、アサギと言います。冒険者です」
「私はタンジェリン。しがない商人さ」
こうして僕は商人、タンジェリンのお陰で雨の中、町を進む手段を手に入れた。人助けは良いものだな。




