第百六十八話 二人旅、二人道
ダニエラと語り合いながら川沿いを歩く。僕の中で一つの答えが出たところで、再び魔物だ。平原の方角にグラスウルフが数匹。これをダニエラと挟み撃ちにして討伐した。討伐証明の爪を剥いで袋に詰める。その後も何度か対峙するが、魔物はグラスウルフとゴブリンの2種だけだった。ウロウロと気ままに散歩していると、斜陽が木々の影を長く伸ばす。
「もう夕暮れか……」
「早いものだな」
「んじゃ、そろそろ帰るか」
アスクの周辺環環境調査は終了。ということで帰路に着いた。夕日と向かい合いながらは眩しいが、オレンジ色に照らされたダニエラはとても美しかった。白金の髪がオレンジ一色に染まり、髪と同じ色の睫毛もキラキラと輝いていた。
「……ん? どうした、そんなに見つめて」
僕の視線に気付いたダニエラが照れ隠しか、苦笑交じりに僕を見る。
「いや、綺麗だなって」
「馬鹿、急になんだお前は……」
隠せない程に照れたダニエラは歩きながら髪を弄る。そんな仕草の一つ一つも可愛いなと感じながらの帰路は日中の疲れなどまったく感じさせない、素敵な帰り道だった。
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東門をくぐり、町の大通りへ向かうと時間も時間ということでそのまま飲食店を探すことにした。いつも屋台飯では味気ないだろうという意見を出すとダニエラが『じゃあどこか入るか』と先頭を切ってエスコートしてくれることになった。イケメン女子感が凄いが、ただ空腹なだけだ。
レストラン街にやってきた。ダニエラの鼻が此処を引き当てたので当然と言える。流石に辺りには旨そうな匂いが溢れている。様々な匂いで溢れかえっているくせに、それぞれを嗅ぎ分けて胃を刺激させる僕の鼻も実はなかなかに優秀なのかもしれない。
ダニエラが彷徨うのを後ろから眺めながらふと、嗅ぎ慣れた匂いが僕の鼻孔を刺激した。
「あぁ……これ……カレーだ……」
あの懐かしいスパイスが僕の辛い思い出を蘇らせた。そうなったらもう終わりだ。胃がカレーモードに入ってしまった。
「ダニエラ、ダニエラ」
「どうした? 良い店でもあったか?」
「あぁ、僕が大好きな食べ物の店があった」
「アサギの? それは楽しみだな……」
ダニエラが戻ってきたので今度は僕が鼻を頼りに店へと誘う。それほど遠くはないはずだと僕の鼻が告げている。鼻を信じて通りを曲がり、現れた階段を登って店を探す。すると路地の端で明かりの漏れた店舗を見つけた。石畳を照らす店の前へ立つ。明かりは窓から漏れていたようだ。そしてその窓の奥からは芳しいあの香りが溢れかえっていた。
「此処だ……」
「アサギ、早く入ろう。もう我慢出来ない……!」
ダニエラの胃もこの香りに刺激されたと見える。勿論、僕も我慢出来ない。早速扉を開けて中へ入る。
「いらっしゃいませー」
「2人ですけど席空いてますか?」
「はいどうぞこちらへー」
ちょっと間延びした接客をするお姉さんに従い、奥の席へと座る。壁にはいくつかメニューが貼られていて、その中から『カレー』の文字を見つけた。
「カレーください」
「それがこの香りの正体か? なら私もそれだ」
真っ先に決めた僕にダニエラが追従する。お姉さんはサラサラっと注文をメモって厨房へと引っ込んだ。
改めて店内を見回すと、客はそれなりに入っていた。レストラン街からは離れているが、やはりあの匂いに誘われてきたのだろうか……流石、交易都市だな。スパイスの輸入も盛んのようだ。
「ナンか……」
客が手にしていたのは『ナン』だ。本場のカレー料理で食べるパンのような大きな食べ物だ。あれで食べるとご飯と違っていくらでも入る気がしてついつい食べ過ぎちゃうんだよな……。
「あれを付けて食べるんだ」
「なるほど……」
ダニエラがコクコクと頷きながら客が食べる様子を見つめる。あんまり見つめると失礼だぞ!
「お待ちどう様ー」
ダニエラの唾液がもう少しで口内から溢れるかというその時、お姉さんがカレーの入った器と大きなナンを持ってきた。
「ごゆっくりー」
持っていたそれをテーブルに置いて奥へと引っ込んでいく。仕事が早い……。
「よし、食べよう」
「いただきますっ」
ダニエラがナンの先端を千切って、そこにカレーを掬って乗せる。それを口の中へ放り込んだ。
「んっ……んん? ん、ん……んんぅ!?」
百面相のようにコロコロと表情を変えながら味わうダニエラ。きっと辛さに驚いたのだろう。それを見ながら僕もダニエラと同じように千切って乗せて食べる。口の中に入れて舌に触れた途端、スパイスが爆発した。強烈な辛さと、香りが鼻を突き抜ける。この辛さこそがカレーの醍醐味だ。そしてご飯とは違う、ナンの食感ももちもちふわふわで、焼き目の香ばしさがアクセントとなって楽しませてくれる。
「アサギ……物凄く美味しい……!」
ハフハフとナンを食べるダニエラが満面の笑みで報告してくる。
「凄い旨いだろ? これ、僕の世界でもあった料理なんだ」
「へぇ……異世界料理か。大昔の勇者が流行らせでもしたのかもしれないな」
「そんなところだろうな」
普段はあっちの料理の懐かしさなど感じないが、この料理だけは別だ。カレーというのはどこに行っても食べたくなってしまう料理なのだ。
それからは黙々と千切っては食べ、千切っては食べで、ダニエラと一緒に1回ずつおかわりをして満腹状態で店を後にした。
「はー……食い過ぎた……」
「もう何も食べられない……あの、ナンだったか? 見た目以上に腹に溜まるな……」
「まぁ、元を辿れば穀物だしな……」
ナンの原料って強力粉だっけ? なら小麦粉……小麦だ。パンもご飯も腹持ちが良いのでお腹いっぱいになるのは当然といえる。
「今度来たら持ち帰り用にいくつか買っていこう」
「あと1週間ちょっとで出る予定だから、忘れずに来よう」
フンスと気合十分のダニエラはもう次回の話をしている。まったく、食のことになると残念さが見えてしまうなぁ。まぁそんなところが可愛いのだけれど。
夜風で辛さに火照った体を冷ましながら宿へと戻る道を探すが、後先考えずに匂いを頼りに歩いてしまったので帰り道が分からない。ダニエラがキョロキョロして階段を見つけてくれたのでそこを降りて行くが、先程のレストラン街には戻らなかった。
「おかしいな……間違えたか?」
「心なしか、登った時よりも段数が多かった気がする」
結構降りたなという印象と共に振り返ると、長く続く階段が明かりに照らされている。これを登れと言うのは酷い話だなと思いながらダニエラを盗み見ると、ダニエラも嫌そうな顔をしていた。
「階段を登る以外のルートを探そう」
「だな……グルっと回ればそのうち着くだろうし、腹ごなしの散歩とするか」
こういうのも旅の醍醐味だ。見知らぬ土地で、食に舌鼓を打ち、訳の分からない道を歩く。長く夜勤生活を続けていた僕が夢見ていた海外旅行だ。楽しまなくては損というものだ。
「さて、そうとなればどちらへ行く?」
「んー……あっち」
適当に指差す。前か後ろしかないのだ。ならどっちに行っても一緒だ。最終的に宿へ着くのであって、宿を目指して歩くのではないのだ。
「じゃあ行こうか」
「ダニエラ、ダニエラ」
「なんだ?」
一歩前に出たダニエラの腕を取る。
「腕組んで歩こうぜ」
「気恥ずかしいし歩き難い」
「まぁまぁそう言わず」
「むぅ……」
街灯代わりの松明に照らされたダニエラの横顔が朱に染まる。
「まぁ……偶には悪くないな」
「そうだろうそうだろう」
「あんまりくっつくな……」
僕の頬をグイグイとダニエラが押し返す。それでも僕は離れずにダニエラと共に夜のアスクを歩いた。
「なぁダニエラ」
「なんだアサギ」
押し返すのをやめたダニエラが僕を見る。
「いつもありがとうな」
「なんだ急に」
「何となく、な」
「そうか……まぁ、そんな時もあるだろう」
前を見るダニエラだが、道の先ではなく、何処か遠くを見つめる。
「私の方こそ、ありがとうだ」
「あぁ、どういたしまして」
「……そのニヤケ面をやめろ」
あまりにも幸せな僕の頬は自然と緩み、暫く戻ることはなかった。




