第百六十五話 レイチェルの研究
居間のちゃぶ台をダニエラと囲んでいると風呂上がりのレイチェルが入ってきた。
「なんじゃ、お前等は。人の入浴を邪魔しおって……」
「悪いな。鍵の使い方が分からなくて四苦八苦してたら開いたからさ」
「そういえば教えてなかったのう」
それからレイチェルが鍵の使い方の詳しい説明をしてくれる。どうやらこの鍵は次元属性の魔道具らしく、鍵の頭に付いた小さな飾り石が実は高圧縮した次元鉱石らしい。全然気付かなかった。その鍵に魔力を流しながら空間に差し込むことで、この玄関空間に繋がるのだとか。そこまでは僕達で探り探りやってきたので分かっているのだが……。
「この空間はワシの支配下じゃ。空間に満ちる魔力も、時間も、全てな」
「時間もってことはつまり、レイチェルの任意での時間の進み方をするってことなのか?」
「そうなるのう。大抵は止めているが、ワシが本気を出せば加速させることも出来るのじゃ」
それってタイムスリップ……?
「過去にも未来にも飛べる! が、過去に戻ったとしても結果は変わらないし、未来に行ったとしても何も手出しは出来ん」
「どういうことだ?」
バタフライ効果とか、タイムパラドックスの話か?
「干渉出来ないんじゃよ。時間の流れを変えてこの空間から出ると、体だけがこの空間に取り残されて魂だけが外に弾き出されてしまうのじゃ」
「えっ、こわ……」
「ま、数分もすれば魂が体に引っ張られて元に戻るんじゃがな」
それでも恐ろしいことに変わりない。幽体離脱じゃないか……それに万が一、体に魂が戻らなかったらと思うとぞっとする。
「元々、その研究をする為にランブルセンに行ったんじゃ」
「あぁ、宮廷魔術師の話か」
「彼処は次元属性の龍脈が流れていると聞いてな」
その言葉に思わずダニエラと顔を見合わせた。ダニエラの顔を見て、言葉に出さずともお互いに思っていることが分かる。
「ん? なんじゃお前ら、急に見つめ合いだして……」
「実はな、レイチェル。僕達、その龍脈について話があるんだ」
「詳しく聞かせてくれ」
それからあの坑道跡にあった次元属性の龍脈のこと、その終着点の巨大次元鉱石の話をした。思った以上にレイチェルの食いつきは良く、どこからかメモ帳を取り出して聞いた話を全て書き記していた。ちなみに書いていた文字は日本語だった。
「なるほど、そんな奥深くまで潜っていたとはな……いや、スピリスのスタンピード騒動の話は軽く耳に挟んでおった。未然に防がれたことでそれほど噂にはなっておらんかったがな」
「あの時は僕達も焦ってたからな。一旦戻って報告している場合じゃないと思ってそのまま進んだんだ」
「あれは大変だった……何が大変かって、戻るのが一番苦労した……」
ダニエラと2人で当時の帰り道を思い出す。あれは辛かった……。帰り道が分からなくて、結局ダニエラの土魔法で天井ぶち抜いて階段作ったんだっけ……。いやぁ、思い出すと何だか懐かしくなるなぁ。
「そんなことはどうでもよい! その巨大次元鉱石の話、嘘ではないのじゃな?」
「あぁ、うん。確かにあったよ。松本君とも相談して、触れないでおこうって相談したんだ。レイチェルのことを聞いたのもその時だな」
「あぁ、マツモトは『宮廷魔術師ならどうにか出来るかもしれないが、城から動けない』と言っていたな」
「それに関してはまぁ誤解が生んだ結果ということで置いといてじゃな……ま、お前らのお陰で次の旅の目的地が見つかったのは感謝するのじゃ!」
元気良くレイチェルが立ち上がり、一瞬光ったかと思うと、夏場のおっさんを匂わせる部屋着姿から立派な魔法使い姿へと変身した。黒い大きな帽子に黒いローブ。そのローブの至る所に宝石や小さな鎖が絡みついている。骨のような飾りもあって、実にジャラジャラしていた。そのローブを留める銀の飾りは狼をしていた。
「それ、フェンリルか」
「まぁの。ワシ、フェンリルだし」
「良いな……格好良い」
フェンリルって名前だけでもう格好良いよなぁ……千年の苦労の末と言われればその名前の重さも分かるってもんだ。あやかりたいねぇ……。
「ふふふ……朝霧よ。フェンリル、好きかの?」
「ん? まぁ好きか嫌いかで言えば大好きだな。中学生の頃は北欧神話にハマったもんだ」
「ふふふふ……じゃあ、ワシのことも好きかの?」
「それはまた別だろう。僕が一番好きなのはダニエラだ。まぁ、同じ日本人としてレイチェルのことは他人とは思えないし、嫌いではないよ。あ、でもあの空に落とすのはマジやめろ。心臓止まるかと思ったわ!」
話し始めてたら忘れてたけれど、あれは本当に肝が冷えた。元々その文句を言おうと思ってたのに流されてしまうとはまったく……フェンリル、恐ろしい生き物だ。
「そんなことはどうでもよいのじゃ!」
「えぇ……」
「それより朝霧、お主、ベオウルフの眷属を辞めてワシの眷属になるつもりはないかの?」
「レイチェルの眷属?」
「そう、神の狼、神狼の眷属じゃ」
聞こえる言葉は同じでも、狼としての格が全く違う。そうすると僕の付与されたスキルも上書きされて《神狼の脚》となるのだろうか。それってものすごく格好良いんじゃないのか?
なんて、思ったのだが……
「悪い、僕は他の女性の下には就きたくない。ダニエラ一筋なんだ」
「アサギ……私は別に気にしないぞ? むしろ、願ってもない話だと思うのだが……」
「そうじゃそうじゃ。世界を飲み込みし狼、神狼の眷属とは即ち神の域に一歩踏み込むことになるのじゃぞ?」
何故かダニエラがレイチェル側について僕に鞍替えを迫ってくるが、別にそういうのが目的じゃないんだよな。
「確かにそうかもしれないが、僕はレイチェルの眷属になったって事実だけが問題なんだ。別にレイチェルの事は嫌いじゃない。これは気持ちの問題なんだ」
《森狼の脚》をくれたのがベオウルフだったから今まで気にしなかったが、《神狼の脚》をくれるのがレイチェルとなると話は別だ。スキルを使う度にレイチェルの顔が浮かぶと思うと、ダニエラ一筋を貫いてきた僕としては思うところがあるのだ。べ、別にダニエラと付き合ったのが人生初めてだから神経質になってる訳じゃないんだからね!?
それよりも、だ。
「僕は神の域にも興味ないよ。僕がやりたいのは、この異世界に命ある状態でやって来たことで出会えたダニエラとの二人旅、それだけだ」
「まったく……日本人が欲が浅くてつまらんのう」
「悪いな、日本人気質で」
「ならノーを言うでないわ!」
僕達のやり取りにダニエラは首を傾げる。その様子を2人で見て笑ってしまった。
「ま、お主の気持ちは分かった。無理強いして悪かったの」
「気にすんな。僕はこれでも強い方なんだ。ダニエラだって、守れるさ」
「あぁ、アサギには安心して背中を任せられる。信頼に足る実力の持ち主になってくれた」
ダニエラが珍しく僕のことを手放しに褒めてくれるのでちょっと顔が熱くなった。
さ、さぁ、そろそろお暇しようか、ダニエラ?
「そうだな、これ以上はアサギが逆上せてしまいそうだし、帰るとしよう」
「ダニエラ!?」
「そうじゃな。ワシもまた出掛けるから、ほれ、帰った帰った!」
意地悪い笑みを浮かべたレイチェルがシッシと手で払う仕草に立ち上がり、靴を持って窓へと向かう。
「おいレイチェル、次、空に落としたら怒るからな」
「もうせんわ。早う行け!」
「絶対だぞ、絶対だからな!」
「アサギ、邪魔だ。早く行ってくれ」
「ぐぬぬ……」
ギュッと靴を抱きしめながら恐る恐る窓の外に飛び出す。が、今回は落ちること無く地面へと両足を着くことが出来た。ホッと安堵の息を吐く。
「ま、ワシならその状態から空へ飛ばすことも出来るがの」
「マジやめてね」
□ □ □ □
ダニエラが再び鍵を使って空間を裂いて、僕らは無事に宿、『せせらぎ亭』へと戻ってきた。確かに時間は進んでいない。時間遡行に魂が追いついても体が追いつかない、か……レイチェルの研究が実を結べば、僕達はタイムスリップが可能になるのだろうか。
「なぁダニエラ」
「なんだアサギ」
「レイチェルの言ってたタイムスリップ……あぁ、時間を跳躍することなんだが、出来たらお前、どうする?」
「過去にも行けるのか?」
「勿論」
「なら……私はきっと、あの時にしか行かないだろうな」
ダニエラがギュッと両の手を握りしめる。
「お父さんと、お母さんを……竜種から助けるだろうな」
「そうか……」
ダニエラの人生が一変した竜種スタンピード。彼処がダニエラの人生の転機……それも、悪い方向へのだからな。ダニエラ自身の人生の為ではなく、ダニエラの両親の為だけに、ダニエラは過去へと行けるとなれば迷わず行くだろうな。
「アサギは?」
「えっ?」
「アサギは未来や過去に行けるとなったら、どうしたい?」
「僕か……僕は……」
そうだな……。
「この世界に来た日に戻って、さっさとダニエラに出会えるように頑張るかな」




