第百六十三話 レイチェル=ヴァナルガンド
見た感じは本当に普通の路地だ。今にもそこの窓から誰かが顔を出しそうな生活感のある、何でもない路地。奥を見ても、ただ路地が続いているだけだ。1本、裏に入った道に出るかと思ったが、そんなことはなく、ただただ路地が続いている。やはりただの路地ではないようだ。用心して防具を身に着けた方が良いか……?
「……ん?」
足音がする。
パタ、パタ、パタ、と。
僕はその音が近くから聞こえてくることに気付き、誰か町の人が入ってきたのかと振り返って固まった。
「えっ……?」
僕の目と鼻の先には壁が出来上がっていた。高い高い木の立板だ。
「待てよ、ここは今まで道だっただろうが……」
叩いてみるが、感触は木だ。なのにびくともしない。音から察するにそんなに厚さもないだろう。なのに、どうしても叩き割れない。思わず腰の剣に手が伸びるが、もしこの剣でも駄目だったら?
「折る訳にはいかない……」
頑丈さが売りの剣だが、こんな異常事態だ。万が一ということも有り得るだろう。
しかしこの事態、どうしたもんか……。ダニエラと連絡を取る手段もない。実は先程から《森狼の脚》を発動させようとしているのだが、一陣の風すら起きない。まるで、何かに邪魔されているかのように。
「何なんだ、此処は……」
出現した壁に背を預けて座り込む。恐らくは何らかの魔法だろう。迷い込んだ者を逃がさない為の魔法。こんな幻術めいた魔法なんて聞いたこともないが、イヴの件がある。公には知られていない秘匿魔法があるはずだ。この幻惑魔法だってその類の可能性が高いだろう。
「しかし幻惑だと気付いているのに解除出来ないのはどういうことだ……?」
仕組みは分からないが、こういうのは騙されているから嵌められているのであって、その魔法に気付けば自ずと現実世界に帰れるもんだが……。
「そんなファンタジーなことはないか……異世界の癖に融通が利かないな」
そんな愚痴を吐いたところでこの路地から出られるとは思わない。戻る道もない。あるのは先へと続く道だけだ。ならば、選択肢は一つしかない。
「行くしか無い、か……」
その前に、防具を着ていこう。何があるか分からないしな。ということでその場で鞄から鎧一式とポンチョと腰マントを取り出して装備していく。武器は鎧の魔剣にした。大剣だと振り下ろしは出来ても薙ぎ払うことが出来ない。逃げ場が無いということも考えたが、いざ薙ぎ払え無いとなると困るなと思ったので選択肢から外した。足切丸は補助武器として一応装備しておく。
「よし」
上からの攻撃もあるかもしれない。気配感知はまだ上にはあまり飛ばせないからフードを被っておこう。普通の矢程度なら問題なく弾いてくれるはずだ。
あの足音の犯人を見つける。足音自体が幻惑の可能性があるが、とりあえず探す。どうせ道は1本しかないのだ。進めば嫌でも何かあるはずだろう。
「一番怖いのは何の目的もなく閉じ込められることだな……」
ただ、閉じ込めるだけ。捕らえることもなく、殺しこともなく、ただ、閉じ込める。そんな恐ろしいことがあってたまるか。
「待ってろ、犯人!!」
「さっきからうるっさいのう!!」
ガラリと、傍の窓が開いた。僕はよーいドンの姿勢で顔だけ動かして声の主を見る。幼女だ。タンクトップ1枚の銀髪幼女が茶碗を持って箸を咥えながら此方を睨んでいる。
「ワシ、飯食ってるんじゃが?」
「……」
「ゆっくり食わせてくれんか?」
「……」
「おい、聞いとんのか?」
「ごめん、情報が処理し切れない」
「なんじゃ、バグか」
「バグって言うな、バグって」
本当に状況に追いつけないんだが、誰か此処に来て丁寧に説明してくれないか?
□ □ □ □
銀髪幼女のご厚意で家に上げてもらうことになった。窓からの侵入となったが、ちゃんと靴は脱いだ。とりあえず座布団を用意してもらったので座る。そこでお茶漬けを掻き込む幼女を見ながら待つこと数分。沢庵を食べて人心地ついたのか、胡座をかく幼女が僕をジロジロと観察する。
「……ふん、日本人か」
「えっ、今なんて言った?」
「鈍感系主人公気取りか? 日本人かと言ったのじゃ」
日本人。その単語をこの世界で聞いたのは二回目だ。一度は松本君との会話で。二回目は此処で、だ。ていうか此処は何処なの?
「此処か。此処はワシが作った空間じゃな。世界中に出入り口がある。お主は迷い込んだのじゃ。ワシの『玄関』に」
「玄関?」
「そういう魔法じゃ」
爪楊枝を咥える幼女がこともなげに言うが、世界中に繋がる空間って、どれだけの次元魔法使いだ?
「ていうか、何で日本人って分かったんだ? アンタも日本人なのか?」
「まぁな。こんななりではあるが、元日本人じゃよ」
「じゃよって……まぁ、銀髪のじゃロリ魔法使いなんて日本人のノリがないと出来ないか」
「喧嘩売ってるんじゃな? そうなんじゃな?」
半ギレの幼女が立ち上がる。
「良いじゃろう。このワシ、レイチェル=ヴァナルガンドが相手になってやるわ!!」
ダン! とちゃぶ台に片足を乗っける銀髪幼女ことレイチェル=ヴァナルガンド。…………レイチェル=ヴァナルガンド?
「……聞いた名前だ。レイチェル=ヴァナルガンド……何処で……?」
「あん? 聞いとんのか?」
「何処だ……あー…………あ、思い出した。ヴァドルフの鍛冶屋だ」
今の僕の主武器を買ったヴァドルフの鍛冶屋、カシルが口にした名前だ。
「なんじゃ、彼奴に会ったのか?」
「あぁ、僕の武器はカシルが売ってくれたんだ」
「ほう? それにしてはワシが付与してやった武器が見当たらないな……」
「あぁ、あれ? 高かったからやめた」
「なんじゃとこの野郎!! 不壊じゃぞ!? 絶対に壊れない付与なんてこの世でワシしか出来ない付与なのに買わなかったじゃと!? ぶっ殺すぞお前!!」
怖すぎだろこの幼女……仕方ないじゃん、高いんだもん……。
「はぁぁぁ……マジ信じられんわ……あんな掘り出し物レベルの物を……」
「あ、じゃあ僕の服に不壊の付与してくれよ。そしたら問題ないだろう?」
「張っ倒すぞ!」
なんだよ、出し惜しみしちゃって……って、そうじゃない。
「話が反れ過ぎだ。此処は何処で、お前は何者なんだ。教えてくれ」
「ふん、何でワシがお前なんかに……と、思ったが日本人の好で教えてやろう。ワシは大昔にこの世界に転生した人間じゃ。ま、ヒトには生まれなかったがの」
そう言ってポリポリと尻を掻くレイチェル。その尻も手も人間の物に見えるが……。
「生まれた時、ワシは狼じゃった。ただの狼。だがの、そこから800年掛けて進化したんじゃよ」
「狼って進化するのか?」
「生まれた森の中で魔物の肉を食い、魔鉱石を飲んで魔物へと変異した後に、各地に魔素溜まりを巡ってな」
「あ……それって、異常進化個体の方法じゃないか?」
「ん? 知っておるのか。なら話が早い。ワシはその異常進化個体になった。そこから更に進化を果たしたのじゃ」
つまり、狼に生まれたレイチェルは森で魔物の狼……つまり、フォレストウルフに変異して、それからベオウルフになった、と。
「ベオウルフに会ったのか?」
「あぁ、戦ったけど和解した。その時にベオウルフの付与を貰ったんだ。何故か此処では使えないが……」
「当たり前じゃ。ワシはベオウルフの上位互換。この空間はワシの支配下じゃし、下位互換の森狼の眷属であるお前が自由に動くことは出来ん」
なるほど、そういう仕組みだったのか。ていうか僕、ベオウルフの眷属だったのか。
「……で、話の続きじゃ。ベオウルフとなったワシは更に世界を巡った。各地の魔素溜まりを飲み込み、研鑽し、そしてついに至ったのじゃ。進化の頂きにな」
「進化の頂き……」
「フェンリルと、ワシのステータスには表示されたのじゃ」
フェンリル……。
「ふん、神ではなく世界を飲み込んだフェンリルとは、お笑い草じゃな」
「いや、まったく笑えない……」
僕の目の前に居るのは謎の付与術士じゃなく、世界最強の生物だ。
「で、フェンリルとなったワシは更に時間を掛けて一つの魔法を編み出した。『人化』じゃ」
「それで、お前は人の姿に戻れたと」
「そういうことになるな。人に戻ってからレイチェル=ヴァナルガンドを名乗り、2本の足で改めて世界を回ってみることにしたのじゃ。行く先々で付与を施して路銀を貯めながら、偶にこうして実家に帰って休んだりしての」
「実に気楽で楽しそうだ」
「あぁ、最高に楽しいぞ!」
レイチェルは最高の笑顔で言ってのけた。
「それにしても、人化した姿が幼女ってのは……」
「なんじゃ、可愛いじゃろが」
「まぁな。キャラが濃くて良いんじゃないか?」
「それ褒めておるのか……?」
その後もレイチェルの身の上話を聞かされた。好とは言ったが、結局は話し相手が出来て嬉しかっただけのようだった。今までの事を話せる相手なんて居なかったらしいし、仕方のないことなのかもな……。
「ふぅ……話し過ぎたかの」
「楽しそうに話してたな」
「まぁ、同じ故郷の人に会えるとは思わんかったからの」
「僕以外にも日本人は居るけどな」
「泰史の事かの。彼奴は駄目じゃ! 世代が違いすぎて話が通じん!」
「あれ、知ってたのか」
意外だった。いや、世界を巡るフェンリルなら知っててもおかしくはないか?
「ていうかワシ、ランブルセンの宮廷魔術師じゃし。彼奴の師匠じゃし」
「えぇっ!? 松本君が言ってた次元魔法使いってお前かよ!?」
変な所で点と点が繋がるなぁ……世界は広いが世間は狭いって事なのかね……。
「宮廷魔術師って、確か松本君は城から動けないって言ってたけど」
「研究に明け暮れて、部屋に閉じこもってるという設定でな。他の者は城から動いてないと思い込んでおるようじゃ」
「動かないが転じて動けないと伝わったってか? 実際は世界中を旅してるってのも……なんだかなぁ」
だいぶ話し込んでしまった。レイチェルのマシンガントークを聞きながらチラリと外を見る。そういえば日が暮れないな……もう半日くらい居るんだが……。
「ん? どうした。ちゃんと話を聞かんか」
「いや、結構長居しちゃったからさ。そろそろ帰らないと連れが1人で困ってるかなって」
「それなら心配いらん。此処はワシが作り出した空間。ワシの支配下じゃ。次元魔法で作り出した空間は時間さえも操ることが出来るぞ」
「そんなことまで出来るのか……って、虚ろの鞄もそうか」
「そういうことじゃ。ちなみにその鞄も大昔にワシが作ったもんじゃぞ」
「そんな気はしてた。お世話になっております」
でもそれはそれとしてそろそろ帰りたい。流石に疲れたっていうか……お腹空いたし休みたい……。
「あんまり引き止めてもな……ま、何時でも会いにいけるし問題ないかの」
「あんまり変なタイミングで来られても困るからな」
「変なタイミングって何じゃ、変なタイミングって」
ちょっと照れてるレイチェルではあるが、まぁどうでもいいことだな。
「じゃあ、そろそろ帰るよ。そこの窓から出れば帰れるか?」
「うむ。この鍵を渡しておこう。出入り可能になる合鍵じゃ。困ったことがあったら何時でも来るが良い。居るかは分からんがな?」
世界を股にかける旅人だしな。不在だった場合は書き置きでもして出直すことにしよう。
ということで鍵を鞄に仕舞って靴を持って窓に足を掛ける。
「それじゃあまたそのうち」
「うむ、達者でな、朝霧よ!」
手を振ってやれば小さな手を振るレイチェル。いやぁ、楽しかったな……と、前に向き直ろうとした時、レイチェルの口が不自然に歪み、釣り上がるのが見えた。
「え……」
振り返ろうとするが、体は外に出ようとしていた。つまり、バランスを崩した僕はレイチェルの風に捲れたタンクトップの向こう側しか見えないまま、窓の外に転がり、そして落下した。
「はっ……う、うわぁぁぁぁぁああぁぁぁぁぁぁあああ!!!!」
床に着くと思ってた僕は、そのままどんどん空へ落ちていく。眼下には路地が延々と地平線まで伸びている。そして驚いたことに、路地を形成する家の向こう。つまり、路地を挟んだ反対側は延々と荒野が続いていた。
そんな光景を眺めながら、高度が上がるに連れて急速に意識が遠のいていく。
「く、そ…………」
意識を保てない。どうにか耐えて、この落下、いや、”落上”に抗わなければと思えば思う程に意識が薄れていき、そして抵抗むなしく、フッと目の前が真っ暗になった。
「…………はっ!?」
暗くなったと思ったら急に明るくなった。気付けば僕は路地があったはずの場所で座り込んでいた。監視していた壁際だ。空はまだ明るい。僕が最後に見た光景と何ら変わりない、アスクの大通りだった。
ふと、自分が何かを強く握り締めていることに気付いた。
「……紙?」
ギュッと握った所為でくしゃくしゃになったそれを広げると、丸い文字の日本語でこう書かれていた。
『やーい、引っかかったー! ばーか!』
僕はもう一度紙をくしゃくしゃにして投げ捨てた。




