第百五十八話 さようならニコラ
ボケーッと動かない体で空を眺めていると、視界にダニエラが映り込んだ。
「何してるんだ?」
「体動かなくてさ」
「まったく……」
溜め息混じり言ったダニエラが視界から消える。それから急にふわりと体が軽くなった。再び視界にダニエラが映る。顔が近い。
「なぁダニエラ」
「なんだアサギ」
「まさかとは思うが……僕は今、お前にお姫様抱っこをされているのか?」
「そうだな。お前が抱いてくれたのと同じように抱きかかえてるぞ」
「……」
女性にお姫様抱っこされる男、上社朝霧は落とされても良いと、そうまでしてもこの腕の中から逃げ出したいと暴れようと奮起するが、体は意に反してダニエラの腕の中がお気に入りらしい。微塵も言うことを聞いてくれなかった。
そこに町の中から気配が集まってきた。嘘だろ、何で今来るんだ。
「こ、こいつは一体……? ハッ、ボス……!?」
ボスと呼ぶのは盗賊だろう。ここに集まったのが全員盗賊だとすれば、その数は100を軽く越えている。今までここの騒ぎに近寄らず、安全圏で僕かダニエラを探していたのだろう。
「てめぇ等が……ボスを……!」
「ぶっ殺してやる!!」
口々に騒ぐ盗賊達ではあるが、僕の顔の角度はダニエラに固定されてしまっているので、必死に眼を動かしても周囲の様子が見えなかった。ダニエラに視線を戻すと、それはそれは獰猛な笑みを浮かべていた。
「イヴは私が始末した。仇を討ちたい奴は前に出ろ。イヴと同じ場所へ連れて行ってやろう」
「クッ……!」
ダニエラの迫力に、盗賊達は身動きが出来ないようだ。後方に居た気配なんかはもう逃げ出していたりする。どうでも良いけれど降ろして欲しい。この人数の前でお姫様抱っこは本当に辛い。
「ちなみにこの竜種を屠ったのは此奴だ。お前達なんぞ束になっても敵わないだろうな」
「嘘つけ! そんなお姫様抱っこされた奴が倒せるはずないだろうが!」
嘘じゃないのだけれど、その『お姫様抱っこ』って言うのをやめて欲しい。
「まぁ信じる信じないはお前達次第だ。だが現に此処に、ウィンドドラゴンが首を刎ねられている。現実を見ろ。ここに竜種を屠った人間が居るということを!」
覇気の篭った声にさらに逃亡者が増えていく。敵わないと理解した盗賊達が離れていく度に、この町が浄化されていくのは素晴らしいことではあるが、僕としてはこの光景の目撃者を減らしたいところだ。
「さぁ、それでも戦うと言うのなら剣を取れ!!」
「く、クソが……!」
ダニエラの声と共に風が巻き起こる。周囲の土を巻き上げながら放射状に放たれた風は、盗賊達にとっての臆病風となった。勿論、これはダニエラの演出だ。
しかしそれは抜群の効果を生み出し、盗賊達は敵わないと心の底から理解出来たのか、それとも逃げる切っ掛けが出来たのか、一人残らず潰走した。
僕の気配感知エリア内から消えたところでダニエラがふぅ、と胸を撫で下ろした。
「さ、そろそろ行くか……と、その前に」
「ん……?」
ダニエラが僕の背中を弄る。虚ろの鞄の蓋を開けたようだ。
「このウィンドドラゴン、持っていかない選択肢はないだろう」
「えっ、持っていけるのか?」
「? 持っていけるだろう?」
僕の頭の中で召喚魔法に喚ばれた魔物は異空間から喚ばれたもので、生きているにしろ死んでいるにしろ、いつか元の空間に連れ戻されるもんだと思っていた。『召喚獣』という単語が僕の思考の全てを支配していた。
「魔物を召喚する魔法だからな。魔法によって作り出された生物じゃないから大丈夫……だと思う」
「そこはあやふやなんだな」
「私も初めて見る魔法だったしな。でも理論的には大丈夫だと思う」
そうか。ま、ダニエラが言うのなら大丈夫だろう。もし消えてしまっても、そこはそれ。あー残念だったねということで。
□ □ □ □
ダニエラに抱きかかえられたまま川岸までやってきた。目の前には広大な川が広がっている。川幅は見た感じ1kmくらいはあるんじゃないか? 大昔にテレビで見た外国の川みたいだ。ていうか外国みたいなもんだな。異世界だし。
「アサギ、まだ体は動かないのか?」
「ん……少しだけなら動くけど、正直もう少し休みたいな」
手が軽く握れる程度だ。これじゃあ《森狼の脚》も微風程度しか発動出来ないだろう。涼みたい時は役に立つが今は必要ない。
「じゃあテントでも張ってしばらく休むか……私もずっとアサギを抱き続けて腕が痛いし、思えば戦いから休み無しだ」
「悪いな、僕だけ楽しちゃって」
「気にするな」
ダニエラが誰かの家の塀に背を預けてくれる。ふぅ、やっと一息だな……盗賊達の復讐が怖いが、塔の盗賊みたいに嫌っている奴もいるだろうし、気配感知だけしっかり広げながら休むとしよう。
□ □ □ □
結局、夜になってしまった。思った以上に回復が遅いが、あの最大風速はかなり負担がデカいようだ。こうして体が動かなくなるのは戦場では致命的な弱点となる。これからは出来るだけ使わないようにしなきゃな……しかしあの瞬動は気持ちが良かった。まるでアニメか漫画の主人公になったような気分だった。こう、瞬間移動からの攻撃って憧れるよなぁ。ま、主人公補正がないからこうした致命的な弱点を背負ってしまうことになるが……でも一時的であれ、主人公感を得られるのは実に気持ちの良いものだった。
その日の夜はダニエラに介護されながら食事を終えて、休ませてもらった。グッスリと泥のように眠ったお陰で体はバッチリ元通りだ。その分、ダニエラには負担を掛けてしまったが、何事もなく朝を迎えられたのは良かった。盗賊達も本格的に逃亡したようで、僕達に復讐もせずに一目散だったようだ。あとは帝国軍人の仕事だ。イヴの居ない盗賊など烏合の衆だろう。だからと言って手伝う気はないが……。
「ん……よし、行けるな」
装備を確認して万全の状態であることを確認する。テントを畳み鞄に詰めて、おやすみ中のダニエラをそっと背負う。鞄は前に下げたのでダニエラの安眠を妨害することはない。間抜けな姿ではあるが、お姫様抱っこされるよりは百倍マシだ。本当に。……本当に。
両足の風も問題ない。ていうか以前より何だかこう、しっくり来ているというか、馴染んだ気がするのは気の所為だろうか。僕の思うように風速が上がり、出力がスムーズになった。つっかえのようなものは感じたことは無いが、今は以前の状態が何か詰まったような感覚に思えてしまう。あれだけ世話になっておいて贅沢なことかもしれないが……。
「ま、良いことには変わりないか」
これなら何の心配もなく川を越えられるだろう。ということで早速空を踏んで走り出す。水面から離れ、万が一水中から魔物が飛び出してきても大丈夫なように一定の距離を取って先へ進む。あぁ、風が実に心地良い。そっとダニエラの顔を覗けばスヤスヤと気持ち良さそうに眠っている。思わず笑みが溢れる。
水上を何隻かの船が浮かんでいた。そこに乗っている人達が僕に気付くと口をあんぐりと開けながら呆然と見上げていた。馬鹿丸出しだが、まぁ、驚くだろうな。……あ、そうだ。ちょっと聞きたいことがあるので降りていく。
「あのー、すみません」
「はい……?」
「ちょっと聞きたいんですけど、この先の町の名前って反対岸と一緒でニコラなんですか?」
「あ、あぁ……いや、違う」
どっちやねん。
「ニコラの対の町、交易都市アスクだ」
「アスクですか……ありがとうございます」
「いや、気にするな……ははは」
引き攣った笑いのおじさんに礼を言ってその場を後にする。なるほど、川を挟めば町の名前は変わるのか。てっきり同じだと思ったのだが、ふと気になって尋ねてみたが本当に違ったとはな。
「次の町はアスクか……テンション上がるな」
テンションと共に速度も上げる。いやぁ本当に天気が良くて気持ちが良い。
ウキウキとした気分のまま、あっという間に川の反対岸が見えてきた。なるほど、港のように見える。あそこがアスクの入口か。船を使わずにやってきたことで絡まれるかもしれないが、事情を話せば分かってもらえるだろうと、楽観視しているが、さてどうだろう?




