第百五十四話 イヴとの再戦、最速の再会
僕は塔から詰所へ向かって飛び出した。一気に空を駆けると、前方から先程と同じ火炎が飛来する。その火炎を見て僕は《器用貧乏》先生の電源を入れ、脳内映像を見ながら体を動かす。一歩先を行く思考は僕へ未来予知染みた力を与えてくれる。
「どりゃあッ!」
《器用貧乏》先生のお陰で分かりきっていた結果だ。銀翆の風に藍色の魔力を乗せ、寒風と化したこの足なら、火炎も蹴り飛ばせる。
咄嗟の事で僕は勘違いしていた。氷は火に弱いという常識が、まだ僕を縛っていた。この世界では魔法の法則は特殊だ。氷の弱点は水と火。だが、火の弱点も水と氷だ。溶かされる恐れがあると同時に、鎮火させる力もあるのだ。要はゴリ押し、魔力勝負。
「実に分かりやすいじゃないか!」
地上では僕を見つけた盗賊が矢を放つ。が、そんな物は当たるはずもなく、銀翆の尾を引きながら躱してノンストップで詰所を目指す。
そしてまた火魔法だ。今度は大きな火炎球ではなく、無数の火球が弾幕となって僕の進路を塞ぐ。それを僕は体を捻り、時には空を踏み、蹴ってそれを躱し、それでも避けきれないなら藍色の大剣で切り捨てた。普通の剣なら溶けてしまうが、この剣は絶滅した伝説の魔物、テンペストホエールの骨から削り出された剣。そんじょそこらの火など焼け石に水だった。
いくつもの魔法を避け、視界が開けた時、漸く詰所が見えた。瓦礫の上でイヴが此方を睨みつけていた。傍にはダニエラの姿はなく、やはりまだ見つかっていないなと安堵の息を漏らす。
が、それも時間の問題だ。イヴという諸悪の根源を取り除かないことには追手が無くなることはない。衛兵の皮を被った盗賊を潰し、そしてダニエラを見つけて川を渡る。そうすれば僕達の勝ちだ。
「イヴ……!」
視界に捉えた標的に向かって走る。剣を肩に担ぎ、姿勢を低くして更に速度を上げる。
イヴの両手に魔力が集まるのが見えた。恐らくあの火風魔法だ。あの時は逃げ場が無かったから真正面から受けたが、此処は空。遮るものは何もない僕のフィールドだ。
「死ねぇぇぇぇぇ!!」
再び、極大の赤い竜巻が放たれる。速度を落とさず僕はそれを最小限の動きで躱す。が、イヴが手を動かせば竜巻は大きくうねり、僕の動きを追い掛けてくる。しかし動きは緩慢だ。威力が高くても、動きが遅いのであれば僕の敵ではない。
更に速度を上げれば景色は一気に後方へ飛んでいく。振り上げた大剣に藍色の魔力を流し、僕の速さに驚くイヴ目掛けて威力を上げた水刃を振り下ろした。
「ふっ……!」
「チィッ!」
舌打ちと共にすぐさま魔法を解除したイヴが前転で避ける。振り下ろした大剣は空振りし、今までイヴが居た瓦礫の山へ直撃する。大きな音と共に瓦礫の山は粉塵を巻き上げながら飛び散る。
自分で舞い上げた粉塵に苛立つ。何も見えない……ならば、相手も見えないはずだ。しかし僕は剣を振り下ろした状態、相手は避けた状態。何方が先に攻撃するかは、明白だ。
なので僕は大剣から手を離してその場から距離を取る。僕の後ろで火球の赤い光が空へと突き抜けていく。
気配感知を広げ、イヴの位置を確認しながら手に氷剣を生み出す。それをイヴ目掛けて射出する。モルドレッド戦で編み出した魔法、『氷剣・直線射出』だ。
「ぐっ……!」
くぐもったイヴの声が聞こえた。どこに当たったかは分からないが、命中はしたらしい。ならば、と僕は更に魔法を展開する。痛みに動きが鈍った今なら避けられないだろう!
「『氷雨』!!」
無数の氷矢が地面へと向かって降り注ぐ。地鳴りにも似た矢が地面に突き立てられる音を聞きながら《森狼の脚》を解放する。吹き荒ぶ風となった銀翆が粉塵を吹き飛ばし、元詰所の光景を露わにした。
地面へと刺さる無数の氷の矢は瓦礫を更地へと変え、粉々になった石等が砂粒と共に舞い上がり、辺りを掃除していく。
その更地の中心に、イヴは居た。見れば火の盾を生成し、致命傷だけは避けていた。しぶとい奴だが、その手足に何本かの氷矢が突き刺さっている。身代わりの魔道具が無い今、彼女は死ねない状態だ。
「はぁっ、はぁっ……ぐ、甘く見ていたよ……ダニエラの腰巾着とばかり思っていたのは誤算だったか……」
「ダニエラの腰巾着なのは間違ってないさ。彼奴は強い」
「ふん……手合わせして分かった。お前の方が、厄介だ……」
「そりゃどーも」
僕は速度と、魔法による搦手が多いだけだ。こんなものは本物の強者の前じゃ何の役にも立たない。だが、僕以下が相手なら蹂躙出来る。僕の誤算は、ファンタジー魔法の勘違いだった。勝てる戦いだと実感した今は、油断も恐れもなく戦える。
「お前を生かしていたらダニエラの障害になる。此処で殺させてもらう」
「ふん……お前に出来るかな……?」
「なに……?」
イヴは懐を探ると何かを取り出す。が、僕は腰のグラム・パンツァーを抜き、何かをさせる前に首を刎ねようと剣を振り上げて走り出す。
「遅いッ!」
「なっ……うぐぅっっ」
イヴがそれを地面に叩きつけると、閃光が視界を真っ白に染め上げた。閃光弾なんて聞いてないぞ!
「ハハッ、閃光の魔道具は初めてか?」
「くそ、待ちやがれ!」
気配が遠のいていく。逃がすか……!
気配感知を頼りにイヴを追う。すると四方から新たな気配が近付いてきた。人間だ。きっと盗賊だ……ということは増援に違いない。なら、さっさとイヴを……ッ!?
「ぐぅっ!!」
左足に鋭い痛みが走った。思わず立ち止まってしまい、手探りで痛みの原因を探ると棒のような物が手に当たった。ゾッとしながら反対側も探ると、そちらにも濡れた棒の感触。
「クソ……ッ!」
増援は弓持ちだ……! ウィンドドラゴンの布を貫くということは特殊な鏃だろう。見えない状態でこのまま深追いしてしまえばあっという間にハリネズミだ。此処は悔しいが退くしかないか……!
その判断をしたら素早く実行に移す。《森狼の脚》を発動させて最速でイヴとは反対方向へと逃げようとした、その時だった。僕の気配感知エリアにもう一つの気配が侵入してくる。それは僕よりは劣るものの、目を見張る程の速度で増援4人へと向かっていき、そしてあっという間にその命を刈り取った。
何だ、誰だ、味方なのか? 気配が此方へ向かってくる。感知エリアを一点集中にしてじっくりと感知する。あぁ、なんだ……やっぱり隠れてたのか……。
「助かったよ……ダニエラ」
「まったく、油断大敵だな」
その気配はダニエラだった。僕としたことが焦って気付くのに遅れてしまったぜ……。
「……と、話してる暇はない。イヴが向こうに逃げた。僕は今、目が駄目だ……後から追いつくから、先に行ってくれ!」
「任せろ!」
唇に柔らかく、しっとりした感触が触れる。しかしすぐに離れ、ダニエラの気配もイヴが逃げた方向に走り去っていった。まったく……
「本当に、頼りになる相棒だよ」
その場に腰を降ろしてふぅ、と息を漏らす。辺りに気配は無い。どうやらダニエラが始末してきたらしい……少し休んで、視力が回復したら後を追おう。暫しの休息だが、ま、ダニエラなら安心だろうと、僕は静かに笑みを浮かべた。
□ □ □ □
ヴェントの家で魔力回復の為に休んでいると外から戦闘音が聞こえてきた。今、戦うのはアサギくらいだろう。間違いなく、戦っている。相手は確実にイヴだろう。
「行かなくては……」
「おいおい、そんな体でどこに行くんだ?」
「仲間が、戦ってるんだ」
「アンタはただの迷子だろう? 誰と戦うっていうんだ」
「……」
これ以上は誤魔化せないか……彼は、恐らく敵ではない。明言通り、食事に毒も入っていなかった。見ず知らずの人間を介助する優しさもある。話して、理解してもらうしかないだろう。
「私は……迷子じゃない」
「そうなのか。で?」
「私は……いや、私達はここの衛兵隊長と敵対している」
「なんだって?」
ヴェントの顔が険しくなる。まさか敵か……?
「それなら早く言えよ! あの女をぶっ飛ばしてくれるんなら手助けしたってのによ!」
「え……?」
「なんだ、呆けた顔しやがって。この町の住人の半分はイヴの敵だぜ」
半分、だと?
「それは本当か?」
「あぁ、具体的に言えば反対岸の連中はイヴの敵対勢力だ。俺は此処に、潜入捜査してるってことさ」
「なんだ……そうならそうと言ってくれ……」
「それはお互い様ってもんだ。そうだろう?」
違いない。まったくヴェントの言う通りだった。
「ならその疲労もただ具合が悪いって訳じゃないんだろう?」
「あぁ、魔力欠乏だ……ポーションはあるか?」
「1本だけあるぜ。ま、とっておきだから効き目はバッチリだ」
そう言うとヴェントは奥の部屋から1本の瓶を持ってくる。普通の魔力回復用ポーションは濃い
青色だ。紺色に近い色合いだな……これはそのポーションの品質が低いからだ。
ポーションの品質は見た目の明るさで分かる。深い色なら低品質、明るい色なら高品質だ。品質が高まれば、値段も等しく釣り上がる。
そしてヴェントの取り出したポーションは空のように明るい青色だった。通常の相場なら金貨30枚はする代物だった。
「最上級じゃないか……良いのか?」
「良いんだ。アンタは町の人間じゃないが、同志だ。なら、これを飲む権利があるってことだ」
そう言ってヴェントはポーションを私に押し付ける。受け取った私はポーションとヴェントを交互に見て、少し躊躇う。
「……金は、払う」
「水臭いこと言ってんじゃねーよ。旨そうに食べてくれただろう? これは、その御礼だ」
ヴェントは口端を上げてニヤリと笑った。私も思わず笑ってしまう。まったく……お人好しというのはどこにでも居るものなのだな、と。
「では、遠慮はしないぞ」
「あぁ」
「代金も、払わないぞ」
「あぁ」
「今更返せと言っても……」
「はよ飲め!」
これ以上の言葉は不要だな。私はキュポ、とコルクを抜く。甘い香りがふわりと鼻孔をくすぐるが、楽しんでいる暇はない。グイ、と一気に流し込むと流石は高品質と言ったところか、一瞬で手足の怠さが霧消した。今なら、空も飛べるかもしれない。
「絶好調だ。今ならイヴなんか相手にならない」
「その意気だ。あの盗賊の首領をぶっ飛ばしてくれ!」
「任せろ! 世話になった!」
グッとサムズアップで返事をするヴェントに親指を立てて、家を飛び出した。本当に世話になった。彼が居てくれたお陰で私は死ななかったし、腹もいっぱいになった。そして、この戦いも勝つことが出来る。
「アサギの反応は向こうか」
余剰魔力が全身から溢れているのが分かる。精霊達が私の翡翠の魔力に惹かれて集まってくるくらいに漏れ出ている。ここは一つ、精霊達に助けてもらうことにしよう。
「アサギの元へ行きたいんだ。手伝ってくれないか?」
『いいよー』
ふりふりと手を降りながら私に風の加護を与えてくれる。今ならアサギと肩を並べて走ることも出来るだろう。よし、人生最速の走りを見せてやろう。待っていろ、アサギ。お前が瞬きするよりも早く、お前の元へ辿り着いてやる。
そして私は走る。すれ違う衛兵を切り倒して、邪魔する衛兵を蹴り倒して、ただひたすら、アサギの元へと走った。




