第百四十一話 当たり前の風景
ダニエラとレプラントを出てから今日で……えーと、何日だ?
「10日じゃないか?」
「そうだっけ?」
どうもあっち行きこっち行きを繰り返した所為であやふやだが、ダニエラが言うならそうなんだろう。2日は僕が無駄をした結果ではあるが、ダニエラはその間も岩山を登っていたからな……旅の密度で言えばダニエラの方が濃いだろう。これほど町の外で過ごしたのは初めてなんじゃないかな。
そんな岩山も今日、下山が終わる予定だ。整備された道というのは安心安全感が凄く、歩みも滞ること無く予定が狂うこともない。なので旅にも余裕というものが出てくる。僕は例の遺跡で見つけたもう一つの、寧ろメインの発掘物のお披露目をすることにした。何分、自動人形は目立った所為で発表が遅れてしまったのは是非も無いよね。
「じゃーん」
「ん? 似合うじゃないか」
「へっへっへ、実はダニエラの分もあるんだ。はい」
「ありがとう。でも目は悪くないんだ」
「まぁそう言わず」
推して推してダニエラにフレームレス鑑定眼鏡を掛けさせる。白に近い金の髪色とアシンメトリーの少しパンキッシュなショートヘアーは美形のダニエラのイケメン度を底上げしてくれている。そこにこの理知的な眼鏡を添える事によって……
「ん……度は入ってないんだな。どうだ? 似合うか?」
「好き」
「色々すっ飛ばしたな……」
とんでもない破壊力……これが、此処こそが僕のシャンバラか……。
「……ん?」
「どうした?」
「この眼鏡……えっ、ちょっと待て」
ダニエラは掛けた眼鏡であちこちを見回してから自身の腰に下げた細剣を注視する。しばらく見続け、やがてすべてを理解したダニエラは、ギギギと錆びついたナットのようなぎこちない動きで僕へと顔を向ける。
「あ、アサギ……これ……」
「あぁ、鑑定眼鏡だ。拾った」
「お前……大発見だぞ……」
わなわなと震える唇を動かしてダニエラがゆっくりとこの眼鏡がどういうものか教えてくれる。
「鑑定眼鏡と言ったらな……王家の宝物庫の奥の奥に厳重保管されていて当然の品なんだ」
「だろうな……此奴があれば何がどういうものか分かってしまう。例えばそこの草。なになに……『ヨリ草 宿根草。根は血止めとして使われる』と。便利過ぎるなぁ」
「便利なんてものじゃない。今まで未知であったもの、今までそうであると信じ続けてきたもの、それが根底から覆されることだってあるだろうさ……だから、厳重保管して然るべきのものなんだ。何もかもが暴かれれば、暴かれてほしくない者には都合が悪くなるからな……」
詐欺師が『これは大昔の職人が作った壺で、大変値打ちのある物です』と差し出してきた壺をこの眼鏡で鑑定すれば、『ただの壺』と表示されてしまう。それは詐欺師には実に迷惑極まりない行為だ。
これがもっともっと大規模な話になったとしたら? 例えば、代々王家に伝わってきた聖剣、宝剣の類が本当は……なんてことも、この眼鏡があれば分かってしまうのだ。
ともすれば国は大混乱になってしまうだろうし、最悪、拗れに拗れて国そのものが無くなってしまうかもしれない。
そういうことが、この眼鏡では出来てしまうのだ。
鑑定チートと言えば異世界譚の基本だ。初めて手にした物を異世界辞典から逆引きして知識を得る。そしてその手にした物の最も効率の良い運用方法を実行する。それが主人公に与えられた補正、権限だ。
それに対して僕には主人公補正というものは無い。あれは異世界召喚された勇者、松本君が持っている。であるのに、今僕の手には鑑定チートアイテムがある。そう考えると何だか怖くなってくる。この眼鏡の所為でとんでもないことに巻き込まれるような、そんな予感というものが僕の背中をゾクゾクと震わせてくれる。この重圧こそが、主人公権限なのだろう。
そして、その重圧に耐え、覆せるのが主人公補正なのだ。
僕にはそれが無い。何よりも僕がそれを理解していた。
「ダニエラ、この眼鏡はどうするべきだ?」
「どうもこうもないな。世に出すべき物じゃないのは確かだ。必要最低限での使用が好ましい」
「手放すって選択肢は?」
「無いな。世間に露見した時点でアウトだ」
「はぁぁ……マジか……」
とんでもない爆弾だ。力のある主人公が持つべき物を、ただのコンビニ店員が持つとこうなるのか……。
「誰にでも使えるという手軽さが実に危ない。子供から大人まで自由に駆使出来る国宝レベルの品だ……最悪、死人が出るだろうな」
「……鞄の肥やしにするしかないか」
「私達だけの秘密として扱うしかないだろうな……」
あの遺跡を用意した古代エルフはただのドHENTAIだと思っていたが、そんな性癖を持ちながらも気軽に用意出来てしまうところに恐怖を覚えた。異常と言っても過言ではなかった。
「超魔導時代か……恐ろしいな」
「あぁ。迂闊に手を出すのは危険だな」
僕の虚ろの鞄には世に出せない物がどんどん増えていく。正直、松本君に丸投げしたい気分だった。あの野郎、今どこに居るんだ? 出てきて持ってってくれ。
□ □ □ □
何度かの休憩を挟みながら、無事に下山した頃には辺りは薄暗かった。降り立った周辺環境は岩場で、ゴツゴツとした岩が転がっているのはこの山から剥がれ落ちたからだろうか。そう思うとこの近くでの野営は少し怖かった。
「もう少し歩いてから休憩にしないか?」
「アサギがそう言うなら」
ダニエラは快く頷いてくれたが、疲れているのに申し訳ないと思う。けれど何かあってからでは遅いと思い、無理をさせてその場から離れる。
少し離れた所で岩も小さく、丸くなり、それと同時に川のせせらぎが聞こえてきた。この近くには川があるらしい。雨も降っていないし、増水もしていないだろうということでダニエラと2人で野営地を設置した。
虚ろの鞄から焚き火セットを取り出し、火を灯せばたちまち辺りは火の明かりに包まれ、『やっぱり明るいというのは落ち着くなぁ』と一息つく。隣りに座ったダニエラに肩を寄せながら暫く焚き火を見つめる。
「こういうのも良いな」
「あぁ……なぁ、アサギ」
「ん……?」
焚き火に照らされたダニエラの横顔をジッと見つめる。
「お腹空いた」
「……」
どんな時でもブレないダニエラに僕は心で溜息をつきながら立ち上がり、虚ろの鞄から鍋を取り出す。旨い食事を用意すると約束したのでこんな暗さではあるが、ビストロアサギを開店しなくてはならない。パスタは出せないが、スープと何か焼いた物を提供するとしよう。
まずは川の水を鍋に組んで湯を沸かす。湯さえあれば大体どうにかなるのはこの世界に来てからの経験談だ。湯を沸かしながら焚き火の傍で取り出したまな板の上で野菜を切る。ぶつ切りではあるが、大きいことは良いことなので気にしてはいけない。まぁ僕は小ぶりなのも好きだけどね。
切った野菜を避けて肉を取り出す。これをまたぶつ切りにして鍋に投入する。そこに塩と何か分からない異世界産の旨いソースを入れる。グツグツと煮込みながら良い感じのタイミングで野菜をぶち込む。そして蓋をして更に煮込む。
その間にもダニエラは鞄から勝手に串焼きを取り出して囓っている。そんなに腹ペコなの……? 頑張って作ってるんだけどな……。
「ん? どうした?」
「何でもない……」
「?」
小首を傾げる様は実に可愛いのだけどね……まぁダニエラは平常運転ということにしておこう。これ以上は僕の硝子のハートが砕ける。
スープを煮込みながら僕は再び肉を取り出す。それを今度は細かく切って、取り出した金属製の串に突き刺していく。
この串は昔、フィラルドの鍛冶屋の大将ことアラギラに作ってもらったものだ。本人はエストックだと思っていたが、これはシュラスコ用の金串である。まぁ説明が出来ないのでエストックで作ってもらったのだから仕方ないが……。
それの肉串に市場で買い込んだ調味料用の香草を混ぜた僕専用の調味料を混ぜ込み、焚き火の傍に突き立てる。何だかんだ言って料理研究はしていた僕だ。この調味料で旨さは引き立つことだろう。辛味に飢えていた頃の僕が作り出したので、ヒーヒー言うこと間違い無しだ。
食べ終えた串を焚き火に放り込みながらダニエラが呟く。
「それにしてもアサギとの旅も長くなったな……」
「あー……そうだな。もう3、4ヶ月は経ったか?」
「もう少し経ってるんじゃないか?」
正直毎日が濃密過ぎてはっきりしない。
「私はな、アサギ。最初にも言ったがこの世界を見て回りたい」
「あぁ。僕もこの世界に来た縁ということで旅がしたかったんだ。ダニエラが居てくれて助かってるよ」
串を回して反対側もじっくり焼いていく。
「その旅の終わりというのは、どんな風景だと思う?」
「そうだな……分からない。分からないけれど、きっと僕はダニエラと2人でその風景を見ていると思うよ」
夢想しながら、鍋の蓋を開けて中身をかき回す。
「私はこの旅を始めた時は1人だった。でも今は隣にアサギが居る。それが本当に嬉しいんだ」
「何だよ、照れるだろ」
「ふふ、いつもありがとうな」
良い感じになったスープを器によそってダニエラに渡す。ダニエラは受け取ったスープをジッと見つめる。
「渾身の作だ。旨いぞ」
「あぁ、頂こう」
僕もスープをよそって隣に座る。ダニエラはふぅふぅと冷ましてから、ゆっくりと口をつける。ゴクリと飲み込んだ後には花のような笑顔が広がっていた。
「美味しい」
「其奴は良かった」




