第百三十五話 さようならレプラント
宿に戻った僕とダニエラはここを出る為の荷造りを軽く済ませた。長く泊まった宿なので、旅立つことを決めてから少しずつ片付けていたので準備自体はすぐに完了した。
「今日がレプラント最後の夜だな」
「寂しそうだな?」
隣に寝転ぶダニエラが半身を此方に向けてジッと見つめる。
「寂しくないって言ったら嘘になるな」
「じゃあ残るか?」
「何言ってんだよ。僕はダニエラと一緒に行くって決めたんだ。置いて行かないでくれよ」
きっと別れが苦手な僕を案じての提案だったが、それこそダニエラとの別れは絶対にしたくないことだ。言葉だけでなく、態度で示すように寝返りを打ってダニエラを抱きしめる。
「すまない、無粋なことを聞いてしまった」
「気にすんな……ふぁぁ……眠たい」
大きな欠伸が自然と出てしまう程にダニエラの傍は安心する。ゆっくりと僕の頭を撫でる感触に抵抗する気もなく瞼が落ちた。
「おやすみ、アサギ」
「おやすみ……」
□ □ □ □
目覚めたらダニエラが居なかった。
なんてことはなく、眠った時と同じように僕はダニエラの懐で目を覚ました。いつも通りの朝だ。窓から差す朝日が部屋の端を照らす様を横目に起き上がり、風呂場で寝汗を流す。一晩中抱きついて寝ていたようで、ガッツリ汗を掻いてしまっていた。ダニエラが起きたら風呂を勧めよう。
初日にボヤ騒ぎを起こしてしまった風呂場の魔道具も、もう使いこなしてしまった。僕達が日中、出掛けている間に宿の人が補充してくれる。器具を使い、火鉱石と水鉱石を砕いて蛇口の漏斗穴に入れる。そして取っ手を捻ればお湯が出てくる。最近、火鉱石と水鉱石の量を調整することで温度も変えられることに気付いた。それからは少し熱めの湯を出している。やっぱり風呂の湯は熱い方が気持ち良い。
程なくお湯が溜まった湯船から手桶で掬って体に掛ける。さっぱりして良い感じ。それを何度か繰り返してから湯船に浸かる。自然と漏れ出る声を噛み殺して、肩まで浸かって極楽へと到達する。此処こそが天国だ。
「はふぅ……朝風呂最高……」
湯気の中で僕は今日の予定を確認する。まず、此処をチェックアウトしたら屋台街に行く。そこでベイケンさんに挨拶をして、そこから南門を出る。帝都ヴェルフロストは帝国の中心にある。アレッサの山門から見て南東にあるので、さらに南だ。
思えば帝国に来て結構歩いた。アレッサを抜けて南下し、森の宿場町ヴァドルフから東へ、そこでセンカ村のお世話になって南下。レプラントへとやって来た。ここからまた南に進んでから東へと距離を稼ぐ。僕達は帝都を西から攻めるのだ。
この旅路は1ヶ月の間に隙を見てダニエラと煮詰めた経路だ。僕達が調査した谷を越え、例の村を抜けて岩山を越えて、その先で東に進路を取る。岩山には町はないらしいので野宿だ。まぁ標高もそんなに高くはないので大丈夫だろう。山道も整備されているらしいし、特に不安はなかった。
「はぁ、逆上せる……出よう」
ザバァ、と湯の中から立ち上がる。脱衣所に出て体を拭いて服を着る。今日はもう町を出るので戦闘用の装備だ。
脱衣所から出るとダニエラが着替えていた。
「あ、おはようダニエラ」
「おはようアサギ。風呂か?」
「うん。一晩中抱きついてたみたいだから汗掻いてたみたいでさ。ダニエラも入れば?」
「そうだな……着替えたけど入ろうかな」
「お湯はまだあるから」
「ん、分かった」
入ることにしたダニエラはそのまま僕と交代で脱衣所に入る。じゃあ僕は部屋の片付けをしようかな……。
□ □ □ □
持ってきた物を鞄にに詰めて、ゴミは纏める。勝手に動かした物は元の場所へ。それだけで済む程度には片付けてあったので、それが終わる頃にはダニエラも出てきて出発の準備は終わっていた。
「じゃあ行くか」
「あぁ」
ダニエラが荷物を持って部屋を出る。僕は玄関の棚の上にある鍵を手に、1ヶ月以上世話になった部屋を一瞥する。今までで一番良い部屋だった。お世話になりました。柄にもなく感傷的になった僕は一礼してから部屋を後にした。
エントランスで寛ぐ宿泊客を見るのも見慣れた光景だ。その横を通って入口横のカウンターへ向かう。書類仕事をしていたベガンさんが顔を上げる。
「あぁ、アサギ様。今日でしたね」
「はい。長い間お世話になりました」
僕は持っていた鍵を渡す。ベガンさんはそれを受け取り、感慨深い物を見るように鍵を眺める。
「寂しくなります」
「そう言って貰えると僕も此処に泊まって良かったなと思いますよ」
「ふふ、旅立つ方に掛ける言葉ではないですね」
苦笑するベガンさんに釣られて僕も笑う。
「では、ちゃんとした言葉を送ることにしましょう。お二人の旅が良い旅になるよう、従業員一同でお祈りします」
「ありがとうございます。では、また」
「世話になった。ではな」
丁寧に腰を折って礼をしたベガンさんにダニエラと2人で会釈してカウンターを離れる。そのまま扉を開いて朝の町へ出る。振り返って『子羊の蹄亭』を見上げる。またいつかこの町に来た時はここへ泊まることにしようと思える程にいい宿だった。
さて、屋台街のベイケンさんに挨拶しに行こう。そこで串焼きでも買って、食べてから新たな町へと向かおうかな。
□ □ □ □
「そうか……寂しくなるなぁ」
「あの時はお世話になりました。ベイケンさんのお陰で良い滞在になりました」
「はは、あの状況の2人を見て手助けしない奴なんていねぇって。ま、達者でな。これ持ってけや。サービスだ!」
そう言ってベイケンさんは串焼き肉を僕とダニエラに渡してくれる。最後までお世話になりっぱなしだな。でも、ここは受け取っておく場面だろう。
「ありがとうございました!」
「ありがとう。いただきます」
「おう! またな!」
ベイケンさんは手を振る。僕とダニエラも手を振り返して別れる。本当にこの町は良い人達ばかりだ。
「なぁダニエラ」
「なんだアサギ」
僕は手にした串焼きをジッと見つめる。
「最後に行きたい場所があるんだ」
「奇遇だな。私もだ」
「そうか……じゃあ行くか」
「ん」
串焼きにかぶりつきながらダニエラと2人で僕達は商店街を目指した。そこに居るはずの人に最後の挨拶をして、それで心置きなくこの町を旅立つ。それをずっと昨日から考えていた。彼女は今も元気なのだろうか……。
何となく、会うことが怖かった。彼女の父を助けられなかったことで、本当は恨まれているんじゃないかと、ずっと怖かったのだ。最後に見せたあの子の笑顔と泣き顔を思い出す。少し足が震えた。
商店街の通りにある雑貨屋『小鳥屋』。ここが彼女の父が経営していた店だ。木製の戸を押すとカランカランとベルが鳴る。
「いらっしゃいませーっ」
すると店の奥から小さな女の子の声が響いてくる。
「何をお探しで……あっ」
「やぁ、マリーエル……久しぶり」
「アサギさんっ」
走り寄って僕の腰に腕を回してギュッと抱きついてくるマリーエル。その小さな頭を恐る恐る撫でてみる。するとマリーエルは嬉しそうに僕を見上げた。
「来れなくてごめんな」
「いいえ、来てくれて嬉しいです。ダニエラさんは?」
「外で待ってるよ。今呼ぶ」
戸を開けてダニエラを呼ぶ。開けて待っているとダニエラが入ってくる。少し涙目だった。
「マリーエル」
「お久しぶりです、ダニエラさん」
「あぁ」
優しく微笑むダニエラがマリーエルの頭を撫でてやると嬉しそうにマリーエルが目を細める。
「マリーエル、僕達今日な、この町を出るんだ」
「そうなんですか?」
「あぁ、それで私達は挨拶周りをしていてな。マリーエルの店が最後だ」
「じゃあお母さん、呼んできますね。きっとお話聞きたいと思うから……」
「ん……ありがとう」
3人で奥へと行く。綺麗なガラス細工が並んだ棚を抜けてカウンターの裏へ。その先はマリーエルの家族が住む家だ。そのうちの一つの扉を抜ける。
「お母さん、お客さんだよ」
「あら、どなたかしら?」
あぁ、きっとマリーエルが大人になったらこんな女性になるんだな、と思える綺麗な女性が家事をしていた。僕は一歩前に出て挨拶をする。
「初めまして。僕はアサギと言います。マリーエルと……町の外で会った者です」
「貴方が……そう。私はユフィです。良かったらお茶、飲んでって」
「はい、頂きます」
一瞬、悲しげな目をしたマリーエルの母、ユフィさん。テーブルに座った僕達4人は改めて話をする。マリーエルと会った日の事。遭った出来事。その間、僕は出されたお茶に手を付けずにいた。出されたそれに手を付けることすら悪なんじゃないかと怖がっていた。
「……そして3人でこの町に着きました」
「そう……マリーエルからは聞いていたけど、大変だったのね、アサギ君は」
「……えっ?」
いや、大変だったのはマリーエルとユフィさんのはずだ。僕は何も出来なかった。
「この子を助ける為に、初めて人を斬ったのでしょう? 辛かったはずだわ」
「いえ、そんな……辛かったのはマリーエルで、僕は……」
「確かにこの子も父を亡くして、悲しんでいたわ。でも、この子だけじゃない。貴方だって辛かったはずよ。辛くないはずないでしょう?」
込み上げるものがあった。でも、その感情を出すことが出来なかった。溢れるモノを押し込めて、俯いた。
「そうかもしれません……でも、それでも僕の感情はあなた方の悲しみよりは軽いもので」
「アサギ君、感情に優劣はないのよ。重い軽いなんて関係ない。誰かが悲しんでるからと、自分が我慢することはないのよ」
そう言って、ユフィさんが僕の頭を優しく抱き締めてくれた。僕は、押しとどめようとしたが出来なかった。静かに涙が溢れる。
「ごめんなさい……ごめん、なさい。助けられなかった……」
「いいのよ。この子が生きていてくれた。私はそれだけで幸せよ」
「う、うぅ……あぁぁ……っ」
僕が流した涙の意味は何だったのだろう。
助けられなかった悲しさ? 許された嬉しさ? それとも……。
優しく撫でてくれるユフィさんの手に感情が溢れ出す。みっともなく泣く僕は顔を上げることが出来なかった。
「すみません……みっともない姿を見せてしまって」
「いいのよ。私もいっぱい泣いたわ。泣いて、気持ちを洗い流して、そして前を見る。それが正しい生き方よ」
「はい……ありがとうございました」
熱くなった目頭を服で拭うと隣の部屋からマリーエルとダニエラが入ってきた。気を利かせたダニエラがマリーエルを連れて離れていてくれたようだ。見ればダニエラも少し潤んだ目をしている。此方は此方で別れを済ませたようだ。
「悪かったな……」
「良いんだ。アサギの良い所だ」
「アサギさん、元気になった?」
「あぁ、もう大丈夫だよ」
覗き込むマリーエルの頬に手を添えてやる。嬉しそうに笑うマリーエルはやっぱりユフィさんそっくりだった。
僕は手を付けていなかったお茶を飲み干して立ち上がる。
「そろそろ、行きます」
「また来た時は寄っていってね?」
「えぇ、絶対に」
必ず来なくちゃな。
「元気でな、マリーエル。お母さんを助けてやるんだぞ」
「うん、ダニエラさんも元気でね!」
「あぁ、またな」
ダニエラも別れを済ませて立ち上がる。マリーエルが扉を開けて先へ進むのでその後を、鞄を背負い直して着いていく。こうして一緒に町へ歩いたことを思い出す。あの時は馬車だったけれど、一緒に居た数少ない時間だった。
4人で店の外に出た。日差しは朝日て終えて昼間の光となっていた。陽溜まりの中、しゃがんでマリーエルを抱き締める。
「また来る」
「うんっ」
また会うのだ。長い別れは必要ない。
「じゃあマリーエル、ユフィさん。お元気で」
「アサギ君もダニエラちゃんもね。私達は心配ないわ」
「はいっ」
手を振って南門へ向かう道を歩き出す。これが最後じゃないなんて思っていても、やっぱり別れは寂しいし、悲しいものだ。出会いの数だけ別れがあるとはいうけれど、僕はその言葉が嫌いだ。何でかは分からないけれど、嫌いだ。
何度も振り返り、手を振る。別れを惜しんで何が悪いと、開き直って手を振る。2人は見えなくなるまでずっと手を振っていた。
さぁ、別れは済ませた。気持ちの整理もついた。ここから始まるのは新しい出会いの旅だ。運命の人とはもう出会ったけれど、それでも、出会いは多い方が良いに決まっている。この先も僕はきっと色んな人に出会うだろう。
異世界で僕は漸く、改めて、人生を歩み出せたような気がした。
レプラント編、終わります。




