第百三十三話 戦いの後に
今日であの戦いから1ヶ月だ。僕は窓の外に広がるレプラントの町並みを眺めながら1人、ベランダに出した机に頬杖をつく。
晴れた空には一つだけ大きな白い雲が風に吹かれて流れていく。その雲がうっかり太陽を隠してしまうと、辺りには大きな雲の影が出来上がる。椅子の背凭れに体を預けて雲を見つめる。その雲の向こうには自身の姿を透かせた太陽が丸く浮かび上がっていた。その太陽が雲の向こうから現れる前に視線を町並みへと戻す。賑やかな喧騒と確かな平和が町には溢れている。
今日もレプラントは平和そのものだった。
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僕はあの戦いの後、すっかり爆睡してしまい、気付いた時は荷車の上だった。頬を風が優しく撫でるのできっと風の精霊さんが起こしてくれたのだろう。
「お? やっと起きたか」
「ふぁ……ぁー……おはよう、ダニエラ」
「おはよう、アサギ」
同じく荷車に腰を下ろしていたダニエラが僕を見下ろしてくる。ふむ……この柔らかい枕はダニエラの太腿か。撫でておこう。
「今、どの辺?」
「もうすぐレプラントってところだな。太腿を撫でるのをやめろ、アサギ」
結構寝ていたようだ。あの陣地からレプラントと言えば結構な距離のはずだ。2、3日はあったと思うが……。
「そうか……んん、すぅ……はぁ……」
「寝返りを打って深呼吸するのをやめろ、アサギ」
「僕は寝惚けてるんだ……許せダニエラ……」
「蹴落とすぞ」
「よく寝たぜ」
しゃっきり目が覚めた僕は荷車から降りる。おっと、裸足じゃないか。まぁ良い。冷たい土が心地良い。そのまま歩くことにした。
辺りはもう平地だ。来る時に見たような木が生えているのが見える。視点を上げて遠くへフォーカスを合わせるとレプラントの防壁が見えた。この分なら1時間程で到着だろう。
歩きながら僕がぐっすり寝ていた間のことをダニエラに聞いた。あの後、冒険者達は大慌てで討伐証明である牙を回収して回ったらしい。放っておけば大地に還元される死体だが、牙は回収してしまえば手元に残る。仕組みは分からないがそういうルールなのがこの異世界だ。
谷の淵、森の中、そしてオーク空間のオークの死体から、集められるだけ集めた牙は一時的に僕の虚ろの鞄に詰め込んだらしい。しかしこの虚ろの鞄を以ってしても入り切らなかったので僕の荷物を荷車と馬車に広げて、乗り切らなかった分は僕が買い漁った布を繋げて作った風呂敷に包んで冒険者に背負わせたらしい。ちなみに屋台飯はダニエラの采配で皆に配られた。あの調査と移動の所為で食料が尽きかけていたのでそれに関しては僕が何かを言うことはなかった。ちなみに照明の魔道具も荷車の上だ。ダニエラが回収してくれたらしい。
牙を回収した後は陣地から出発。ダラダラせずにさっさと帰るを目標にここまでやって来たんだと。通りで周りの冒険者が夜逃げしたような格好になってるなぁと。後で布はきっちり返して貰おう。その代わり屋台飯代はサービスだ。
「お、もう着いたか」
「意外と早かったな」
ダニエラと2人で壁を見上げる。壁の上で哨戒をしていた兵士と目が合ったので手を振ると、槍を持った手を上げてくれた。微笑み。
門でステータスカードを提示して中へ入る。そのまま真っ直ぐギルドへ向かった僕達はそこで南の谷の調査結果と、オーク討伐の完了を告げる。僕達の働きをバージルが息荒くギルド員さんに伝えたことで、僕達2人にもオーク討伐クエストの報奨金が支払われることになった。つまり僕達は谷調査の報奨金とオーク討伐の報奨金と、素材を換金したお金が支払われたのだ。微笑み。
その日は各々が泊まる宿にとっとと引っ込み、そして翌日は皆で時間を合わせて祝勝会を開いた。場所は僕とダニエラとガルドとネスが提案した『蟻塚亭』に決まった。知る人ぞ知るといった店なので賛同する人間は多かった。
「では、オーク討伐完了を祝して! 乾杯!!!」
バージルの音頭に戦いが始まる。勿論、肉の取り合いだ。いくつもの蟻塚が貸し切りになった店内のテーブルの上に並べられるが、それがみるみるうちに崩れ去っていく。ちゃんと焼いてんのか?
呆れ交じりに苦笑しながら向かいに座るダニエラを見れば今まで目の前にあった蟻塚が消えていた。頬を膨らませたダニエラをスッと目を逸らす。どうやら僕も本気を出さざるを得ないらしい。肉を焼く鉄板より熱いデッドヒートをダニエラと繰り広げた。バージルは酒に酔い、アンジェリカに告白して振られ、ネスも酒の勢いに任せて自身を助けてくれた谷底班のオレガノに告白して振られ、ガルドは肉を嗜んでいた。
ダニエラとの肉戦争を繰り広げていると男2人をあしらった谷底班が僕達のテーブルにやって来た。肉持参とはなかなか見どころがある。まぁ座りなさい。
「アサギ様、この度はお疲れ様でした」
「アンジェリカこそ大活躍だったぜ。あの仕掛けた爆弾がモルドレッドを倒したんだ」
「モルドレッド?」
「ん? あぁ、何でもない。肉食うぞ!」
アーサー達の事情は内緒だ。僕はアンジェリカの皿の上の肉を鉄板にぶちまける。
「あっはははは! アサギィ、テキトー過ぎー!」
「ローリエ、お前は飲み過ぎだ」
ハイテンションなローリエが僕にもたれかかってくる。酒臭い。
「ぜぇんぜん飲んでないし! ほらぁ、まだジョッキに残ってるでしょー?」
「ローリエのジョッキは5杯目」
「ローリエは酒に弱い癖に呑む」
オリーブとオレガノは鉄板の上の肉をひっくり返しながら言う。意外とこの2人は気が付いてくれるようだ。僕やダニエラなんかは適当に炒めて食べてしまうのにこの2人は綺麗に並べてジッと機会を伺っている。
「そういえばオリーブとオレガノって姉妹なん?」
「双子の姉妹」
「姉妹の冒険者」
双子なのか。髪型違うから全然気付かなかったけど、よく見たら顔が一緒だ。もたれかかってくるローリエをアンジェリカ側に押し返しながら2人が焼いた肉を食べる。うん、旨い。
しばらく肉と酒を堪能していると、ダニエラが潰れた。突然電池が切れたように机に突っ伏して寝息をたて始めた。
「あら、潰れてしまいましたわね」
「こうなったら朝まで起きないだろうな……しゃーない。僕は一足先に退散するよ」
「んぇー、アサギ帰っちゃうのぉ?」
「お前ももう帰れ、ローリエ」
もうベロンベロンじゃねーか! 真っ赤な顔で僕の服を摘む姿は可愛いが、そろそろ体に毒だろう。
「バージルはあっちで男どもに囲まれているので放置で構いませんわね。私達もお暇しましょう」
「ローリエは放置」
「ローリエは居残り」
「ローリエはアサギんとこ」
「連れて帰りますわよ!」
谷底班も同じ宿に泊まっているらしいのでまとめて退散のようだ。僕はダニエラを背負って店を出る。皆とはここでお別れだ。
「じゃあ僕達の宿はこっちだから」
そう伝えると各々が手を振りながら別れの挨拶をする。
「お気をつけて。一緒に戦えて楽しかったですわ!」
「私も楽しかったー! また一緒に冒険しよー!」
「おやすみアサギ」
「またねアサギ」
僕も手を振り返してその場を後にする。空はすっかり日も落ちて真っ暗だ。瞬く星が見えるが、篝火のほうが明るくてはっきりとは見えない。夜のレプラントはまだまだ賑やかで、喧騒に満ちている。背中で眠るダニエラがうわ言のように何かを呟くが、周りが騒がしくて上手く聞き取れない。ただ、僕の名前だけは耳に届いた。
□ □ □ □
そんな宴会があってから、あっという間に1ヶ月が過ぎた。ペンローズの冒険者教育をしたり、ガルドとネスとダニエラの4人でブラッドエイプ狩りにも行った。確かやることがなくて昼間から酒を飲んでてテンションが上がってしまいそのまま森へ行ってさらに宴会を繰り広げた後の戦闘だった気がする。
クラインの子煩悩トークを聞かされたり、谷底班と飯食ったり、ダニエラ親衛隊に追い掛け回されたりもした。
「アサギ……いつまでそうしてるんだ? 早く準備しないと」
「ん……あぁ、もう行くよ」
そんな楽しい町を僕達は近々旅立つ。今日はその為の買い出しに行く予定だ。正直、ここの居心地が良すぎて離れるのが辛い。けれど、僕達は旅する冒険者だ。根無し草と言うほどでもないが、定住することはない。
それに、辛くはあるが未知の場所へ行くワクワクは隠しようがないものだった。新しい町、新しい人。そんなまだ見ぬ世界を僕は見て回りたいのだ。ダニエラと一緒に。
だから、僕は重い重い腰を上げる。旅に必要な物をダニエラと買いに行くために、僕はダニエラの後を追った。




