第百三十二話 決着
谷底へ続く道は緩やかに下降している。岩を削って出来上がった壁にはご丁寧に照明の魔道具がぶら下がっていて、その明かりが洞窟を照らしていた。
僕はグラム・パンツァーを鞘に戻して傷口を右手で押さえながらその道を進む。視線を落とせば赤い僕の血が、先へと続く青い血の上に滴り落ちる。この血はモルドレッドのものだ。奴は間違いなくここを歩いている。未だ乾ききってないその血が僕のものと混ざり合うが、紫にはならなかった。
「はぁ……はぁ……」
痛みに戦慄いた口から荒い息が漏れる。刺されるとこうなってしまうのはどうしたものか……頭では冷静に思考が出来ても体が上手く制御出来ない。あの時刺されたトラウマというべき心の傷は今もまだ治っていないとみえる。
しかしそれでもこの歩みは止められない。奴を放置すれば、またどこかの村が襲われるだろう。それだけは何としても避けねばならない。ついでにアーサーの剣も取り返したいしな。
洞窟を歩き始めて数分。気配感知に反応があった。間違いようがない。モルドレッドだ。ここから先に進んだ所で歩みを止めているようだ。恐らく、僕が切った傷の所為で速く進めないのだろう。あの時奪った機動力はここで真価を発揮していた。
僕は押さえていた手を離し、血で濡れた掌を服で拭いて腰の剣を抜く。左手は使い物にはならないが、まだ戦える。魔力もまだ残っている。『氷剣』を生成して浮かせながら前へ進む。
そしてついに、奴の姿を視認した。モルドレッドは壁に背を預けて天井を睨みながら体を休めている。もう逃げ場はない。逃がさない。
両の足を銀と翠の風で覆い、駆ける。今だけは左腕の痛みを無理矢理忘れさせる。グラム・パンツァーを後ろに引き、氷剣を僕の前へ。
こんな空間で走れば流石のモルドレッドも僕に気付くようで、顔を此方に向けて殺気の篭った目で僕を睨んだ。
「ブモォォォォオオオ!!!」
「ハァァッ!!」
吠えるモルドレッドへ氷剣を射出する。『氷剣・直線射出』とか余計なことを頭の片隅で考えながら距離を詰める。
モルドレッドが手にしたエクスカリバーが氷剣を弾く。その隙を狙い、引いたグラム・パンツァーを振り下ろす。しかしモルドレッドはそれを躱す。
「ブゴァ!」
「くっ……!」
モルドレッドの反撃。強靭な肉体でのタックルを剣の腹で防ぐが、踏ん張ることが出来ず後方へ吹き飛ばされる。銀翆の風でバランスを取り、どうにか倒れることだけは防ぐが、ハッと顔を上げると剣を振り上げたモルドレッドが視界いっぱいに映る。咄嗟に前方へ飛び込み、奴の股を潜って躱す。背後でガキン! と剣が岩を打つ音がした。
振り返り、剣を構える。モルドレッドも振り返り、剣を構える。僕は剣を持った右半身を引き、モルドレッドは両手で剣を握る。ジッと睨み合い、隙を探すが、正直隙だらけだ。それは僕も同じだ。お互いに満身創痍。傷だらけの体で剣を振るう。
音のない空間に、呼吸音だけがやけに響く。隙だらけの僕達はお互いの隙を伺い、剣を構える。ジッと睨み合う僕達の間。戦いの影響か、その天井から小さな石の欠片がぽろりと落下した。
コツン。
その音と共に弾かれたように走り出す。剣の柄を握り締め、前だけを見て走る。モルドレッドも同時に走り出す。血に濡れた両足の痛みなど忘れたように、今までにない速さで走る。
お互いに剣を振り上げる。相手を殺す為だけに振り上げた剣は、程なく振り下ろされた。
「ハァッ!」
「ブモォ!」
しかし、剣と剣はぶつかること無く、すれ違い様に振り切られた。
再び静寂が周囲を包む。しかし、その死闘の結果が時間を置かず切り裂かれた。
カランカラン……と、剣が落ちる音。そしてビチャビチャと血が地面へと流れ落ちる音が続く。僕は振り返る。そこには両手を切り落とされたモルドレッドが膝をついていた。
こうなってしまえば、もう決着はついていた。此奴はもう戦えない。しかし僕も右手が上手く動かせない。見れば浅くではあるが剣で斬られた傷が服を血で濡らしていた。モルドレッドは最後の最後に、篭手の上、防具の無い僕の腕へ一矢報いていた。だが、左腕よりは傷は浅い。僕は痛む腕を動かして剣を鞘に仕舞う。そして再び生成した氷剣を制御する。止めは此奴に任せることにした。
「これで、終わりだ」
「……」
背後から近寄り、氷剣を振り上げる。
そして振り下ろそうとした瞬間、モルドレッドは前方へ飛んで躱した。
「クソッ!」
「ブゴオオオ! ブモオオオオオ!」
泣き叫ぶように吠えながら走るモルドレッドを慌てて追った。あの状態では長くないとしても、万が一ということがある。見過ごすことはできなかった。
「待ちやがれ!」
狙いを定めて氷剣を射出する。それは見事に奴の背中に命中するが、それでも止まらない。二の剣を用意するが、急に道が曲がりくねりだして上手く狙いが定まらない。こんな道じゃ《森狼の脚》で加速しても壁にぶつかって終わりだ。自前の速度で必死に追う。モルドレッドは瀕死のはずなのに、それでも追い付けない。直線の通路が再びやって来る。狙いを定め、射出しようと睨むと、モルドレッドの先から光が見えた。あれは、洞窟の出口だ。
「あっ……」
思い出してしまった。あの洞窟の出口には……。
「ブモォォォ!!」
モルドレッドは無い両手を前に突き出し、その光を求めるかのように走った。そして、もうすぐ出口というところで僕の耳が『カチン』という音を捉えた。
瞬間、出口は爆炎に包まれる。逃げ場のない爆風と衝撃が慌てて屈んだ僕まで届くが、距離を開けられていたことが幸いして、先程のように吹っ飛ぶことは無かった。
しばらく地面へと伏せ、顔をフードで庇い土煙が収まるのを待つ。ビリビリと鼓膜が響いていたのが止み、薄く目を開けて周囲を確認する。未だ舞うのは土埃程度のものだ。ならばと立ち上がり、歩き出……そうとした所でつま先が何かにぶつかった。
「ん?」
それを拾い上げる。棒状の物。良く見ればそれは鞘だ。エクスカリバーの鞘が、爆風に飛ばされたらしい。
「運が良いな……巻き込まれなかったか」
土で汚れたそれを腰に差す。そして今度こそ、僕は歩き出した。
爆心地は崩壊した岩で塞がれていた。ホールモールでも連れてこない限り、ここを開通させるのは困難だろう。そして岩と岩の隙間から青い血が滲み出てきた。
モルドレッドの最期だった。
「アンジェリカには、後で礼を言わないとな……」
モルドレッドだったものを見ながら呟く。……疲れたな。帰ろう。
踵を返して通路を進む。帰りは上り坂だったのでこの体には辛かった。
途中、モルドレッドの腕が引っ付いたままのエクスカリバーを見つけた。ゆっくりとしゃがみ、それを拾い上げる。青い血と赤い血に汚れたエクスカリバー。此奴が果たして聖剣なのかどうかは分からないが、薄汚れたその姿からはどこか、清廉な空気が醸し出されていた。存外、本物だったりしてな。まぁ、アーサーにそれっぽい銘を授けられただけだろう。その銘が、いつか本物に辿り着くかもしれないが、それを見届けるのはアーサーの役目だ。帰ったら綺麗にしてやることを約束しながらそれを鞘に仕舞った。
□ □ □ □
オーク空間に戻ると大量のオークの死体が出迎えてくれた。殲滅は完了したようだ。あの時戦うことを諦めた灰青のオークの死体も転がっている。
顔をあげると冒険者達が壁際で休んでいるのが見えたのでその中からまずはバージルを探すことにした。死体を乗り越えながらキョロキョロと探していると、僕を見つけたネスが声を掛けてきた。
「アサギ!」
「おぉ。ネス……バージル居ないか?」
「おめぇとんでもねぇ怪我じゃねーか! すぐ休め!」
「いや、まだ大丈夫だ。先にバージルに報告しないと……」
立ち止まるとそのまま動けなくなりそうだったので歩きながらネスと話しながらバージルを探す。
「ったくおめぇは……こっちだ、ついて来い!」
「悪いな……」
一応謝るがネスは頬を掻きながらついてこいと顎でしゃくる。それに従いフラフラとついて行くと、オーク屋敷のエントランスに怪我人が並べられ、そこにバージルも居た。冒険者達に声を掛けているので怪我した訳ではなさそうだ。
「バージル」
「ん、アサギか。無事……ではないな。そこに寝ろ」
「いや、まだ報告が……」
「お前が生きて帰ってきたんだ。もう片付いたんだろう?」
「まぁ、な……アンジェリカに助けられたよ」
その辺の報告をしたかったんだが、バージルは聞いてくれない。さてはネスの奴、こうなることを見越して連れてきやがったな……。振り返るとヘラヘラと笑っていやがった。
僕は為す術もなく敷かれた布の上に転がされる。はぁ、と天井に向けて溜息をつく。ふと隣を見るとダニエラが寝ていた。良かった、見た感じ大怪我はしていない。バージルには感謝だな……。
今回の人生で一番長い戦いを思い返す。
まさか谷調査がこんな壮大な戦いになるとは……思えばダニエラと2人で旅をしていた僕が、こんなにも大勢の人と共闘なんてなぁ。こんなことになるとは考えもしなかった。ということを前に考えたような気がするが、気の所為だろう。上手く頭が回らない。
辛いことも、痛いこともあったがそれでも、良いことも沢山あった。ような気もする。駄目だ、やっぱり頭が回らない。
もう一度溜息をつく。瞼が重い。何だかんだで結構疲れてたんだなぁと、改めて自覚したと同時に僕の意識は闇に落ちる。夢は見なかった。
長い長いオーク編、これにて終了です。




