第百十六話 谷底の先へ
「オークの巣があると言ったな」
「あぁ」
「あれは嘘だ」
「嘘かよ……」
水を飲み終え、ついでに僕が買ってきた屋台飯も食べ終えて人心地ついたダニエラが言う。
「正しくは前線基地だな。恐らく、この先にあるはずだ。吊橋の向こうにあるであろう巣からここまでは流石に遠すぎると思うんだ」
「確かに。歩き詰めでいきなり戦闘はやりたくないよな。これが普通のオークだったら分からなくもないが、異常進化個体がいるとするならば、そこまで知恵はまわるはずだ」
異常進化個体が人並みの知能を持っているのはベオウルフやアサルトコボルトと接して確認している。果たしてオークがどれだけの知能があるかは分からないが、霧に隠れて移動するというだけのことをやってのけているので、警戒しておいて損はないだろう。
「じゃあ休憩も終わったし行ってみるか」
「だな。魔道具を回収してくる」
立ち上がったダニエラが結界の魔道具を回収する間、僕は広げた道具類を片付ける。ポイポイ虚ろの鞄に収納するだけだ。ダニエラが持ってきた魔道具を入れて、最後にランタンの火を消してしまい、背負い直す。準備は完了だ。
「よし、一応警戒していくぞ」
「了解」
僕は《夜目》を、ダニエラは《気配感知》を行使し、緩やかに登る横穴を進む。微かにだが、空気が動いているのが分かる。ひんやりとした風が頬を撫でた。
「風の精霊でもいるのか?」
「いや、私には見えない。場所的に地の精霊だろう。この先に何かがあることを教えてくれているんじゃないか?」
「それはそれはご親切にどうもだ」
見えはしないが、助けてくれるのだろう。きっとこうして通り道を作られたのが嫌だったんじゃないかな。静かに暮らしていた所に土足で踏み込んできた奴がいたんだ。腹も立つだろう。
「それにしても、知能を授けられたオークはホールモールも従えるんだな」
「俄には信じがたいがな……こうして自分達の都合のいいように穴を掘らせるんだから事実なのだろうな。大方、餌で釣ったんだろうがな」
「あいつらって何食うの?」
「鉱石だな。空腹なら岩も食べる」
「なるほどね……」
それで掘った後の残骸がないのか。でもそれなら食うには困らないんじゃないか?
「あ、それで鉱石か」
「掘ったらやると、つまりそういうことだな」
そうして従えたホールモールを使い、村の傍まで穴を掘らせた。おまけに前線基地も作らせて……。一体どんな鉱石をご褒美に出せばそれだけ働かせられるんだろう。そもそもその村には何があるんだ?
「村の情報はあまり無かったな。だが、2つ分かったことがある」
「ほう、何だ?」
「1つはその村は女系の村ということだ」
「オークにとってはパラダイスだな」
「アサギにとってもじゃないか?」
馬鹿言うんじゃない。僕にはダニエラが居ればそれで良いさ。
「ん……まぁ、そうだな……で、2つ目だ」
「2つ目は?」
「その村の近くには遺跡があるらしい。大昔の、神殿の様な」
「遺跡?」
遺跡と聞くと反射的に古代エルフの遺跡を思い浮かべるが……ダニエラは首を横に振る。
「また別系統らしい。が、中には何も無かったそうだ。これが何か研究対象として価値のあるものなら村も発展したんだろうが、長年調べられても特に何も見つからず、寂れて風化した残骸だけが残っているらしいな」
「ふぅん……それはそれはつまらなさそうな村だな」
「女系でもか?」
「僕はオークじゃねぇよ。ダニエラにはオークだけどな」
「そ、そうか……ふふ」
暗い地の底の穴の中でイチャつくカップルが僕達以外に存在するだろうか? いや、しないな。
坂を登り始めて多分十数分。広いエリアの手前までやって来た。そっと壁際から中を覗くが、人影らしきものは見えない。振り返るとダニエラも首を左右に振っているので気配も引っ掛からなかったらしい。念の為、僕も気配感知を広げてみるが、やはり何も感じない。足元にも壁際にも罠はない。この空間は完全に無人のようだ。
「ここがダニエラの言っていた前線基地だろうな」
「恐らくな。あそこを見ろ」
虚ろの鞄から出したカンテラに火を灯したダニエラが罠を警戒しながら僕の前を進む。付いていくと明かりに照らされた木箱が現れた。ゴクリと唾を飲み込み、剣で突いて倒す。何も起こらない。代わりに木蓋が落ちる。ゆっくりと近付き、その中をダニエラが照らすと、僕は息を呑んだ。
木箱の中は血塗れだった。
「こ、これは……?」
「ふむ……食料が入っていたんだろ」
「え? 食料……?」
「あぁ。殺した動物がそのまま入っていたんだろうな」
「はぁぁ……それでこの血か……びっくりした。僕ァてっきりバラバラにされた人でも入っていたのかと……」
「お前の発想の方が恐ろしい」
ふぅと改めて呼吸を整え、夜目を使って辺りを探索してみると同じような木箱が複数転がっていた。中には動物の骨が残っていたり、やはり木箱が食料入れだったことを証明してくれる。
その他には血に濡れた剣や、穴の空いた盾なんかが捨てられていた。恐らく、村で戦って傷ついた装備品なんだろう。手にとって調べてみるとつくりが甘かったので、村の人間の攻撃でも容易に壊せるショボさだった。女系とは言え、戦士も居ただろう。生きてくれていると良いのだが……。
「先を急ごう」
「あぁ、そうだな。あそこにまた穴が見える。あれが地上に続く道だろう」
夜目で見つけた穴を指差し、ダニエラを並んで近付く。罠や何かが無いか警戒しながら確認するが、やはり何もない。僕だったらここを見つけた人間が不用心に進んでくれることを祈りながら何か細工をするが、そこまでオークは頭が回らなかったらしい。
「ここで休憩し、体勢を整えたら村を襲え。といった命令だけを受けていたとすれば、そこまで頭は回らないだろうな」
「つまり、異常進化個体は巣に残っていると?」
「有能な部下に任せて自分は踏ん反り返る。馬鹿な首領にはよくあることだ」
なるほどね……。段々この一連の背景が見えてきた。
異常進化個体となったオークが、人間に知られないように村を襲うことを決めた。自身が従えている部下に指示を飛ばし、霧の谷底を進み、ホールモールを使い村の付近まで進ませる。そして前線基地で疲れを取ったら全力で襲う。捉えた女達を再び霧の谷底を移動させて、自身の居る巣に持ち帰らせる、と。
そして村が襲われる2日前。つまり、今から9日前に谷底を進む場面を目撃され、その2日後の7日前、村を襲う場面を目撃されている。その襲撃の後も谷底を移動する場面を数回目撃されていた。この数回で、村からの物資や、女達を運んだに違いない。
今頃は村から拐かしてきた女達に暴力を奮っているのだろう。改めて全貌が見えてきたことで沸々と怒りが湧いてくる。僕には何の関係もない人達だが、それでも被害者が居るということに苛立ちを感じる。人間が魔物に屈して良いはずが無かった。
中には良い奴も居るかもしれない。だが、こうして襲撃したという事実がある以上、このオーク共は『悪』だった。
「罠もなさそうだ。ここからは一気に進むぞ」
「分かった。よし、ダニエラ捕まれ。駆け抜けるぞ!」
頷いたダニエラを抱きかかえ、《森狼の脚》を発動させる。《器用貧乏》で今あるスキルの調整をすれば、暗闇である洞窟の中でもぶつからずに進むことが出来る。
準備が整った僕は一気に駆け抜け、瞬く間に地上へと飛び出した。
□ □ □ □
穴を飛び出せば、そこは平地だった。だが、上手い具合に岩や木、茂みが配置されていて絶妙な死角が出来上がっていた。これじゃあ近付かないと分からないだろうな……。
空は夕暮れに近い赤と青のグラデーション。潜った頃は朝方だったので、結構時間が経っている。その間に一雨来たのか、水に濡れた草葉がキラキラと輝いていた。
「村の方角は……分からん。上から見よう」
「よし、しっかり掴んでてくれよ!」
空を踏みつけ、上空へ駆け上がる。このスキルも使い慣れてきたもんだな……。銀と翠の風が僕の魔力によく馴染む。
上から見下ろすと、北の方向に焼け落ちた家屋が見えた。なるほど、この穴は村の背後を狙って開けられたんだな。レプラントから人が来ることを考えれば出入口は北に設置するだろう。何せ、岩山からは人は来ない。だから、村と岩山の間に抜け道を作れば容易に村を襲えるという訳だ。姑息なことを考えやがる……。
「人は見えるか?」
「ん……ちょっと待て、何人か見える。家屋を……調べてるみたいだな。多分、冒険者達だろう」
「じゃあまずは彼らを合流するか」
行動方針を決めた僕達は夕焼け空を流星の如く、一直線に南の村へ向かった。




