第百十四話 南の谷調査
ダニエラと待ち合わせしている南門は冒険者達で賑わっていた。ひょっとして皆、谷調査なのかと思ったが、周りの声を聞く限りどうやら討伐系クエスト受注者のようだ。『オーク』の名が聞こえる。
と、そんなことよりダニエラだ。愛しの彼女はどこかなっと……。
「アサギ」
「うぉう!?」
急に背後から声を掛けられ慌てて振り向けばそこには見慣れた顔が間近にあった。ダニエラだ。
「いきなり声掛けるのはやめてくれ……びっくりするだろう?」
「私の傍をすり抜けて行くから呼び止めたんだ」
なんだ、気付かなかったのは僕か。耳に集中し過ぎて目が疎かになっていたらしい。しかし無事合流を果たした僕達は門に向かって歩き出した。途中、聞こえるのはやはりオークの名だ。
「オークが谷の向こう側に出たらしい」
ダニエラがそう切り出す。
「5日前、一つの村がオークによって荒らされたそうだ。里帰りした冒険者が偶々見つけて、慌ててとんぼ返り。ギルドに依頼したみたいだ」
「それで出征が今日?」
「そうなるな」
なるほどね……それでこの人数か。結構多いな。それだけオークの数も多いのだろう。随分前にオークとはやり合ったけど、あれが沢山いると思うとぞっとするね。
「谷の方は何か情報は無かったのか?」
「不審な影については色々とな。まず、影の目撃件数が増えだしたのは一週間前。谷は普段、霧に包まれているらしいが、その日は霧が薄かったらしく、吊橋を渡る商人が谷底に蠢く複数の影を見たそうだ」
「霧に包まれた谷、ねぇ。ミストゴブリンじゃないの?」
「それがどうやら違うらしい。何故なら霧が薄ければミストゴブリンは活動しない。その影を見た商人は『大きな人影に見えた』と言っていたそうだ」
大きな人影……。ミストゴブリンは小柄だった。
「それから調査は?」
「オークの件が発覚したのがそれから2日後。慌ててギルドはオーク討伐隊の編成に乗り出した所為でこの件は調査が遅れたらしい。その間も目撃情報はあったらしい」
「それで調査はされず、逆に編成された討伐隊が、彼らか」
「そうなるな。レプラントは冒険者の町ということでそれなりの戦力を抱えている。だから帝国軍との繋がりは最低限のものしかないらしいな。だからこの討伐に軍は加わらない。せいぜい、連絡役に衛兵隊が混ざる程度だそうだ」
ダニエラが得てきた情報を耳にしながら辺りを伺うと、確かに冒険者しか見えない。軍服を着た人間は見当たらな方。まぁ帝国軍の軍服知らないんだけどな……。
大きな門のすぐ傍までやって来た。門番をしている衛兵に谷の調査に出ることを伝え、ステータスカードを提示する。僕達はレプラント市民ではないので住民票はない。なので、ステータスカードを提示してクエストが受注されていることを確認してもらう。程なく確認が完了した衛兵が通行を許可してくれたので、礼を言い、門を抜けた。
南門の向こうには平地が広がっていた。疎らに木が生えているが、見晴らしは良好。平地の向こうには岩山が見える。あの麓辺りにある村がオークに襲われたらしい。
「あの岩山の麓までが5日の道のりだな。そして谷までは3日かかるらしい」
「結構遠いな……」
「ま、気楽に行こう。私達はオーク討伐に行くわけではないしな」
それもそうか。振り返ると冒険者達がまだガヤガヤとやっているのが見えた。大所帯だから5日では着かないだろう。僕達の後ろを大勢の冒険者にぞろぞろと付いてこられるのはいい気分じゃない。ちょっと距離を稼ごうとダニエラと相談し、僕達は少し気合を入れて道を進む。
その結果、1日早く谷に到着したのはレプラントを出て2日後だった。
□ □ □ □
「これが件の谷、か」
「確かに霧に包まれているな……」
谷の淵に立つ僕達の眼下に広がる大地の切れ目は話の通り、霧に包まれていて谷底が見通せない。
「じゃあダニエラ、作戦通り行くぞ」
「了解だ」
ダニエラは魔力を高める。沸き立つ魔力は翡翠。風属性だ。更にダニエラは風の精霊の力を借りてその力を増幅させる。
僕達がこの谷に到着するまでに立てた作戦はこうだ。まず、ダニエラには風魔法で霧を吹き飛ばしてもらう。竜巻を起こせることが発覚したダニエラに全面的に頼る形だ。もしもの時のためにとダニエラは別行動の際に各種ポーションを買いに行ってもらっていた。その中には失った魔力を回復させるポーションも含まれていた。まさか早速それに頼ることになるとは思っていなかったが、逆に言えばそのポーションがあったからこそ思いついた作戦でもある。
谷底を蠢く影ということは飛ぶ能力は無いと考えた僕達は、『じゃあ霧全部ふっ飛ばしたら《森狼の脚》で谷の真ん中辺りまで降りて正体見ちまおうぜ』と大雑把な作戦を思いついたのだった。
「よし、いくぞ。支えていてくれ」
「任せろ!」
「ひゃっ!? どこ触ってるんだ馬鹿者ッ!」
気合の入りすぎた僕はちょっと間違えてしまったらしい。しっかり支え直すと咳払いしたダニエラが両手を谷底に向けて伸ばし、貯めに溜めた魔力を魔法として解放する。
「ゲイルストーム!」
大技なだけあって魔法名を言葉にしながら発動させる。最上級風魔法はゲイル級というらしい。それでも魔法名だけで発動させるのは至難の業らしい。流石はダニエラ先生だ。
発動された翠の竜巻は谷壁を舐めるように進み、その先端を霧に向けて降りていく。伸ばされた手を振ればそれに合わせて竜巻は横移動を開始する。それに合わせて霧も突風に吹き飛ばされて行く。徐々に露わになる谷底。覗き込みたい衝動に駆られるが、ダニエラを支えるという大役があるので離れられない。
数分という程の時間も経たず、ゲイルストリームによって谷底の霧は払われた。ダニエラは魔力を失い、青い顔で地面にへたり込む、すかさず僕は魔力回復用のポーションをダニエラの口元に添えてやる。ゆっくりと飲み干したダニエラはふぅ、と一息つくが立ち上がる元気はなく、僕の膝に頭を乗せて横になる。
「はぁ……これが可愛い女の子の膝だったらすぐに回復するんだがな……」
「悪かったな、可愛くない男の子で」
冗談を言う元気はあるらしい。風によってグシャグシャになった髪を整えてやると柔らかく微笑むダニエラ。白金の髪は細く柔らかい。変な癖もないし触り心地は上質な布のようで最高だ。女性にしては短めの髪のダニエラではあるが、別に手入れが面倒で短くしている訳ではないというのがよく分かる。きっと動きやすいように短くしているだけだろう。髪には結構気を遣っているんだな。
「そういえばダニエラの髪型って不思議だな」
「そうか?」
この世界では、不思議だ。現代人の僕はよく……は見ないが、知らない髪型では無かったからだ。ダニエラの髪型は所謂、アシンメトリーだった。この世界の女性は基本的に短いか、伸ばすか、結うか、結ぶかだから見慣れないものではある。
「自分で切った後に鏡を見たら結構良い感じだったからずっとこれだな」
「なるほどな」
自分でやったからバランスが取れなかったのね……。きっと短く切りすぎてそれを追いかけるように切っていたらこうなったんだろうな。ちょっとドジなダニエラが目に浮かぶ。切った後と言ったけど、きっと鏡の前で慌てたんだろうなと邪推していると笑いが込み上げてきた。
「む、何笑ってるんだ」
「ふふ、いや、なんでもないよ」
「むぅ……何か馬鹿にされた気がする!」
プンスカしているダニエラの髪を撫でてやる。するとすぐに大人しく目を閉じてゆっくり脱力するからチョロいもんだ。
それから数分、回復に専念したお陰でポーションも効果も現れてダニエラはすぐに全快した。膝に掛かる小さな重みが無くなったことに少しの寂しさを感じながら立ち上がり、ダニエラを抱き上げながら《森狼の脚》を発動させる。空を踏み、谷の上へと進む。
「ふむ、我ながら見事なものだな」
「こんなにはっきりした谷底を見た人間はこの辺りには居ないだろうな」
ダニエラの魔法により、霧はすっかり晴れていた。実に見事なものだ。ここから見える限り、怪しい物は見当たらない。
「それじゃあゆっくり降りてみるぞ」
「谷底までは駄目だぞ。真ん中辺りから見下ろす形で調査しよう」
「分かってるって」
ゆっくり段差を飛び降りるように谷の中へ目指す。近付くにつれて谷の広さが実感出来る。深さも結構ある。すでに僕達二人は地面より下だ。上を見上げると二つの壁に遮られ狭くなった空が、それでも青く澄み渡っていた。