95『イエズス会』
【おわび】
・エヴァンゲリオン計画の始動を告げるクイズ!
はたして信長は、イエス生誕と東方三賢者の話の何に、反応したのでしょうか?
一、彗星
二、聖母マリア
三、三賢者
四、馬小屋
の答えは――
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答えのヒントは、このページにあります!
イグナチオ・デ・ロヨラは、長い丘の道を――
戦場で痛めた脚を少し引きずりながら登っていた。
しかし、ロヨラは前を歩く者の後ろ姿を見ると……
つい微笑んで、辛さが薄れていくように感じた。
「――頼もしい学友だ」
前を元気に歩く、ロヨラが学友と呼ぶ者――
その者の頭頂部ば反り上げられて、独特の髪型をしている。
その髪型を日本人か見たら“カッパ”と感じるであろう髪型の者、
その名は――
フランシスコ・ザビエルという。
そう、教科書でも有名な、日本に初めてキリスト教を布教に来た――
あのザビエルさんである。
イグナチオ・デ・ロヨラは、宗教改革の嵐が巻き起こるヨーロッパにおいて、ローマカトリックを守るための、反プロテスタント運動として、キリスト教修道会を、設立した。
――その名は『イエズス会』である。
もともと騎士であり戦場経験のあったロヨラが、パリ大学時代の学友で年下であるザビエルらと共に、モンマルトルの丘の上で設立したこの修道会は――
“闘う教会”といわれるほど積極的に活動した。
まず、反カトリック運動であるプロテスタントが、ヨーロッパでかくも広がった事実を鑑み、布教には最新の科学を使うなど、他のヨーロッパのカトリック教会がまだ天動説を取っている時に、いち早く地動説を布教に使ったりした。
つまりは、迷信による抑圧的な布教ではなく、科学的な進歩的な布教で、離れつつあったカトリックへの信頼を取り戻すことに尽力したのである。
またヨーロッパにおいて、プロテスタントの人口が増えることによるカトリックの影響力の低下を食い止める為に、
積極的に海外布教に出た。
西は新たにヨーロッパの植民地となった新大陸アメリカ。
東はアフリカ、インド、そして東南アジア諸国と布教地域が広まり――
ついには、ロヨラの思いが、ザビエルの熱意が東の果ての国、極東の日本まで彼ら宣教師を導いたのである。
そうそして――
ロヨラとザビエルが、他のメンバーとモンマルトルの丘で、
イエズス会を結成した年は、なんと――
西暦1534年!
そう、和暦では天文3年であるこの年は――
つまりは――
――織田信長が生誕した年なのである!
この意味か解る人、なんかビンビン来ません?
この信じられないような真実を。
この信じられないような運命を。
私はこの奇跡を知った時に、歴史ダイナミックさ、面白さを再認識しました。
……まだ何も感じ無い方も大丈夫です!
次のページを読めば“感じる“ことがきっとできますので。