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90『奴隷解放』

○天正十年(1582年)信長公式年表

(文献で確認できるもの)


一月一日

朝日を浴びて燦然と輝く安土城に――沢山の民衆か、“初詣で”。


――『信長公記』に、この日はあまりの人出で、石垣が崩れるほどであったと記されくらいの大盛況。



一月二十四日

――安土城は真っ赤に炎上している……ように見えた。


《夜の十時に、東方から空が非常に明るくなり、

安土城の上方では恐ろしく赤く染まり、朝方までそれが続いた》

とフロイスの『日本史』にある。



三月五日

「あとは武田を倒すのみであるぞ!」

――天正三年の『長篠の戦い』において、鉄砲戦術で壊滅的打撃をあたえた武田勝頼に止めをさすべく――

ついに安土を出て、甲府へ向かう信長軍。

今回の主力である信長の嫡男信忠率いる主力は、すでに甲府へ向けて進軍中である。


「――おお、勇ましい姿である。まるで“大黒さま”じゃ、頼もしい」

馬上の信長は、徒歩ながらほぼ視線が同じ黒人成年を見て微笑んだ。

「――彌介(やすけ)、お主の頑強な肉体も素晴らしいが、甲冑姿も似合っているであるぞ」

「あアリガト、ウエサマ」

その彌介と呼ばれたアフリカ生まれの黒人成年は、ある程度日本語が話せた。(『信長公記』)


一年前に、宣教師の奴隷であった黒人成年を、信長は奴隷解放し、なんと家臣として召し抱えたのである。

このことは、日本内外の文献『信長公記』『イエズス会日本年報』

等に記されており、知らない方はビックリな話ですが、史実です!


信長が黒人成年を家臣として召し抱え、武田征伐に出陣したことは――

信長軍以外の者にはさぞ驚きだったようで、

信長の同盟軍として出陣した徳川家康の配下、松平家忠が――


『信長様は黒男をお連れしており、身は“墨”を塗ったように真っ黒で、背は高く、名は《彌介》という。』


と『家忠日記』に記したくらいである。

そして、彌介という名前は、当然日本人名であることから、

織田信長が黒人成年を家臣にした後に、名付けたと推察できるのだ。


なぜ今回、この黒人成年のことを特記したかというと、

拙者、月風のシロッコの次回作――


タイトル

小説『黒侍――SAMURAI BLACK (サムライ・ブラック)――』

いじめられっ子の僕が、朝起きたら何故か魔王織田信長の家臣で、

しかも織田家家臣最強の男と誉れ高き元アフリカの勇者で、しかも元奴隷であった黒人戦士――彌介に成ったとしたら、僕の人生ってどうなるの??(仮題)


の番宣も少し?ありますが、


織田信長の優しさというのは、前述した『山中の猿』のエピソードのように日本人に対してだけではなく、

異国人に対しても分け隔てなくと感じるからです。


今や反信長の宣教師フロイスとも初めて会った時は――

工事現場でフランクに異国人と接し、すぐ仲良しになってしまう。

(フロイスの『日本史』)

彌介の時もそうだ、信長は黒人彌介を奴隷にしたのではない。

――家臣にしたのだ。


そうあの羽柴秀吉や明智光秀と同じように――家臣にしたのだ。

農民、老人、黒人とこの信長家臣たちのプロフィールを見ると、信長の差別の無い広き心を感じてなりません。

まさに『隣人愛』というべきですね!


……ということは、このエピソードは、

なんと“あのお方”と、そっくりなのです!


次回予告

久々のあのお方の登場で、


果して類似率99.9%は、ついに100%に成るか?



次回『命名』



――乞う、ご期待!



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