表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

78/280

78『本丸御殿』

安土城天主の横には隣接する形で、『本丸御殿』と言われる大きな屋敷が建っている。

通常、後世の天守閣には誰も住まず、城の城主である大名は、本丸御殿に居住し、また政務を取り仕切っている。


――しかし、安土城天主の場合、信長は天主の最上階に居住し、政務も天主内で取り仕切っているのだ。


ということは、この本丸御殿とは、いったい誰が何のために使う屋敷なのかが謎となってくる。


しかし、実は近年意外な理由が明らかになってきた。


なんとこの安土城本丸御殿と、京の平安京の天皇が居住する清涼殿の造りがそっくりなのである。

1613年に江戸幕府が建てた清涼殿の図面を、東西逆にすると、安土城本丸御殿の図面とほぼ一致するのである。規模や部屋割りもほぼ一緒である。またその前の豊臣秀吉が建てた清涼殿も、ほぼ同形式であったと言われている。


つまり安土城本丸御殿は、秀吉や家康が建てた天皇の住まいである清涼殿の見本となっていることになるのだ。


しかも、近年滋賀県の発掘調査で、天皇家の菊の御紋がついた瓦が見つかっている。


そうつまり、安土城の本丸御殿は、天皇ための屋敷だったということである。


それを裏付ける文献として、信長の一代記『信長公記』に、

安土城の屋敷の中で「御幸の間」「皇居の間」を拝見したと書かれている。

また『言継卿記』には「来年は内裏さま(=天皇)が安土へ行幸する予定」という、著者・山科言継の娘の手紙が記している。


結論として、織田信長は、天皇を平安京から安土城に行幸させることを目的に、本丸御殿を建てたことになる。



……しかし、それはいったい何故?




次回予告

ついに信長は、天皇をも超えるのか――

そしてその野望の先に見えるものは、天国か地獄か……


次回『魔王降臨』



――乞うご期待!


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ