72『岐阜』
○お詫びと告知
予定していた次章『世界の中心で愛を叫んだ、獣。』は、作品の執筆・編集の都合上、第四章の後になる予定となりました。楽しみにしていてくれた読者の皆様、お詫び申し上げます。
たぶん最終章となるこの『世界の中心で愛を叫んだ、獣。』では、信長による《エヴァンゲリオン》計画と、『ヨハネの黙示録』の謎に迫ります!ので、今しばらくお待ち下さいませ。
前章までは、主に『イエズス会日本年報』とフロイスの『日本史』という、外国人宣教師が記した文献を参考文献としていました。
ですが、当然織田信長が目指したのは、この日本の変革なので――
この日本にも信長の変革への意志は、そうこの現代においても強く刻まれています。
――それは、《岐阜》という地名です!
現在、中部地方の『岐阜県』の名前の由来となった、岐阜という地名を、この現在の岐阜市周辺に名付けたのは、
なんと信長なのです。
以前は美濃国の「井ノ口」と呼ばれたこの地を、戦国時代の美濃国の領主斎藤氏を破って領有し、岐阜という名に変えたのです。
当然、領有したら名前を変えないといけないというルールなどはないので、
信長が地名を変えたのには理由があります。
信長の師である禅僧、沢元宗恩が進言したといわれる岐阜の由来は――
岐阜の“岐”は――
古代中国の王朝『周』が、
――《岐山》から起こり、そして“天下をとった”故事から、
“阜”は――
古代中国から現在まで続く『儒教・儒学』の教祖である、
孔子の生誕の地《曲阜》が由来であるといわれています。
つまり、古代中国の――
武力により“天下をとった”故事と、
昔より続く“教え”・“学問”から名付けたのです。
つまり、織田信長は天下統一のために、始めて尾張を出て領有したこの美濃の地に、
『文武両道で天下統一を目指す』という決意を込めたのです。
そうこの日本の中心地ともいえるこの地を岐阜と改名することで――
信長はこの岐阜の地から出でて、
武力による早急な《戦争の根絶》、
そして文学が尊ばれるような《平和な国》を創るぞと、
――そう日本全国に宣言したのです!
――これを聞いて、「えっ……」と驚かれる方も多いと思います。
そうです、織田信長の代名詞――
『天下布武』
は、「天下に武を布く」という意味だといわれているからです。
つまり、この信長のスローガンには、“武”はあっても“文”という、そう平和をイメージする言葉はないからです。
「また作者が信長を誉めたくて、良いイメージをつけようとしている」
と思われそうですが、
実はこの《天下布武》という言葉は――
つまり、
“天下に武を布く”とは《武力》で、武力だけでこの日本を統一すると言う意味ではないのである!