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69『救われたからこそ、信じた』

宗教に詳しい方は、何も教祖の誕生日を祝うのは、キリスト教だけじゃないぞと思いますよね。


仏教では、灌仏会かんぶつえといって釈迦の誕生日、四月八日を祝う行事がありますし。

幼稚園とかでよくある“花まつり”ですね。


まぁ、イエス・キリストの聖誕祭『クリスマス』でも、仏陀(釈迦が悟りを開いた状態)の聖誕祭『灌仏会』でも、どちらを信長が模したとしても良いのですが、

つまりは、神仏のような神聖な存在に成ったと、信長は周囲に知らしめる祭りを開いたということです。


しかも、自分が生きている時に信長は、諸国にお触れを出し――

自らの誕生日に総見寺に参拝することを命じたのです。


いきなり、

「余は神になったぞ!」とか、

「ご利益あるから、参拝すべし!」といわれても……

そんなことで、参拝する人いるのかな~?

もし、フロイスが特筆しているから、実際に参拝した人々がたくさんいたとしても……

強制的に集めさせられたんじゃない?

と感じる方も多いと思います。


ただこの時代は、戦国時代です。

宗教武装勢力も一向一揆も――命がけで戦っている時代です。

つまり、自らの信じる神のために死ぬこともいとわない、信仰心厚き時代の話です。

それこそ、信長政権が強制的に命じたところで、

信者たちは自らが納得できないような宗教政策であれば、命を賭けて反発するはずです。



――しかし人々は信じたのだ――



――信長が神になったと!



何故なら、この乱世において民衆が《神》に望んでいる事は――

決して修行や苦行をして“来世”で――つまり、あの世で救われる事ではなくて――


まず今現在の生活が平穏に過ごせる事、それこそが切実な願いであったからである。

(……それが叶なわぬから、せめて来世でと期待するのである)


信長の人生は神秘的で奇跡に満ちており、

また彼の支配地は、治安も安定しており、夜も一人で出歩け、

また楽市楽座によって経済活動も自由で活発になって庶民の生活が豊かになった。


そう、他の宗教の“神”と違い――

現世の生活を実際に幸せにしてくれるのであるから――


信長を神と信じても全く不思議はなかったのである。


いやそれどころか、現に乱世の時代の中で――

《平和に暮らせる》という最大級の――

“現世ご利益”を民衆は享受しているのだ。


――そう、よく「信じるものは救われる」というが、


――“信長神”の場合は逆である。


――そう、人々は『救われたからこそ、信じた』のである。


だから結論として人々は、信長という神による《現世ご利益》の継続・拡大――

つまり平和な世の継続・発展を感謝する気持ちを込めて、

織田信長という神の聖誕祭に、嬉々として参詣したのである。


というか、私たちも本当にご利益あるかどうかに関わらず神社に――

《初詣》《必勝祈願》等するし、

実際に平和な世を創出させた信長を神と崇め、ご利益を信じるのも、この時代では突飛な話ではないのである。

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