65『偶像崇拝』
大いに尊崇された偶像を、諸国より安土に持ち来った。
ただし、これを崇拝させる為ではなく、
これによって、己を崇拝させんためであった。
この『イエズス会日本年報』で述べていることは、
信長は自らを崇拝させるためにーー
諸国から偶像を集めたということである。
つまり、先程の信長が総見寺でした活動の答えとは、このことです。
この偶像というのは、キリスト教が偶像崇拝禁止なので、
偶像を集める自体が邪教の印しという感じで、悪いイメージでフロイスは書いている。
ーーが、つまりは偶像とは、仏像とか、お地蔵さんとか、七福神の像とか、各地の各宗派のご神体のことです。日本人的には悪いイメージところか、とても縁起が良いイメージですね。
そうです、信長は八百万の神を超えるために、日本全国から偶像……いや、ご神体を集めたのです。
そしてなぜそのようなことをしたか、『イエズス会日本年報』には続きがあります。
或人が盆山と称する石を携えて来た時、彼は寺院の最も高き所、
諸仏の上に壁龕を造らせ、ここにその石を置いた。
而して、領内の諸国に布告し、市町村においては、男女貴賎悉く
彼の生まれた五月の日に、かの寺院に来って、
同所に納めた己の神体を拝む事を命じた。
諸国より集まった人数は非常に多く、ほとんど信ぜられざるものであった。
ーーここまでの流れてを頑張って解釈・訳して、まとめてみますと、
信長の建立した総見寺は、
祭神が織田信長て、ご神体も信長本人である。
しかし、総見寺の参詣者は、当然ご神体に祈願しないといけないが、信長が総見寺にずっといるわけではないので困ってしまう。
また全国からのご神体を集め一ヶ所にまとめて祀ってあるが、諸国から数多くのご神体を集めたため……
各ご神体に参詣する信者も、どれが祈願するご神体かわかりづらい。
そこで、ある人が持ってきた、『盆山』という石を、各ご神体の上方に『壁龕』つまり、部屋というか見えやすいようロフトのようなものをつくり、そこに盆山を安置した。
それで信長を拝みに来たものや、各ご神体を拝みに来たものが、盆山を拝むことになり、たいへん拝みに易く成った。
拙者の予想では、各宗派のご神体と共にーー
十字架にかけられし『キリスト像』や、
その母親である『聖母マリア像』も、
信長なら絶対に、総見寺に安置させたと考えている。
そう、今までの信長とキリスト教の関係からすれば、十分ありえる話なのだ。
そうつまりは、日本や唐(中国)、天竺(印度)という日本に伝わる神々の他に、西洋地域に伝わる、この日本では最新の神を加えることで、八百万の神を超える上回る、つまりーー
天皇を超える上回ることを、信長は意図したのであった。




