64『神では足りぬ』
……まだ足りぬ。
信長は神を名乗った。
この何百年続く乱世という“救いの無い”時代の、救い主ーー
そう救いの神に成るために。
……だが、まだ足りぬ。
確かに信長統治下は、争いの無い平和な地と成った。
……しかし、日本全国六十六州を治めた訳ではない。
そして、たとい信長が日本全国を統一したとして……
信長が亡くなればまたーー戦乱の世の中に逆戻りしてしまうかもしれない。
ーーそれでは駄目なのである。
信長統治時代だけでなく、この日本を恒久的平和のためにはーー
武力だけでは足らぬことを、信長は解っていた。
この日本を恒久的平和な地にするーー
そのためには、実は信長は神に成るだけでは……足りなかった。
この日本では人は神に成れる。それは古からの伝統である。
……しかし、それでは足らぬのである。
日本の神とは、八百万の神の一人ということだ。
しかし、そもそもこの日本には、八百万の神がいても戦乱の世の中は終わらない。
これは、仏教国であり仏教勢力が力を持っているのに、救いの無い時代なのと全く同じで……問題である。
ーーそう、ただの神やただの仏になっても、この世を変えられない。
……このことは戦乱が打ち続くことで証明されている。
ましてや古来よりこの日本に君臨し、八百万の神の総氏神である天照大御神の子孫にして、万世一系の“生き神”ーー
『天皇』がいてもそうなのだ。
……やはり戦乱は終わらない。
だからこそ、信長は天皇をーー越えることにした。
天皇以上の神に成る、成ることが出来れば、
この乱世を救えられるのではないか?
そう、そして平和な世を永続的にできるのではないか?と。
そのためにまず必要なことは、当然ーー
天皇家以上に、民衆の支持、そう民衆の“心の拠り所”に成らなくてはならぬ。
ーーそこで信長は考えた。
天皇が皆から崇拝されるのは、八百万の神の総氏神である天照大御神の子孫であるからだ。
つまり、自身が神に成るだけでは足りぬ。
そう、それではまだ足りぬのである。
八百万の神以上に、神を……多くの神を集めなくては。
ーーそこで実行したのが、総見寺での“ある活動”である。
総見寺の詳しい記述も、『イエズス会日本年報』フロイス書簡にある。
信長は政治を始めて以来、常に神仏の崇拝を意としなかったが、今は盲目の極みに達し、悪魔に勧められて、
大いに尊崇された偶像を、諸国より安土に持ち来った。
ただし、これを崇拝させる為ではなく、
これによって、己を崇拝させんためであった。
このフロイスの記述を読んでーー
「なるほど!」「そうきたか!」
という方、ーー鋭い!
ーーヒントは引用文の三行目にあります。
はい、では総見寺でした信長の活動の答えはーー
当然、次のページで!