60『生きている神』
○異なる神
ルイス・フロイスは、キリスト教徒です。しかもその教えを広めるため、はるばる日本にまで来た宣教師ーー
つまり熱狂的なキリスト教徒なのです。
なので他の信者たちが感じる以上に、とくにすべての物事をーー
“キリスト教視点”で見てしまいます。
ただ先に述べますと、フロイスの記述自体は、正確な部分も多く、資料価値が高いです。
一例を上げますと、信長が『天下布武』を初めて号令した岐阜城のことです。
フロイスの『日本史』には、信長のおさめた城下町はまるでバビロンのように賑やかで発展しており、その岐阜城も山頂の天主だけでなく、山麓にも巨大な宮殿があったという内容の記述がある。
しかし、現在岐阜市にある岐阜城は、山頂に模擬天主があるだけでした。
しかし、岐阜市がフロイスの『日本史』をもとに近年発掘調査をしたら、山麓にある岐阜公園内に巨大な建物があった跡が見つかったのです。(『岐阜新聞』他)
ーーこのように、信頼できる情報も多いのですが、
キリスト教にそぐわない事柄は、熱狂的信者ですので当然悪く書く“クセ”があります。
信長が神に成ったことは、フロイス的には神を恐れぬ傲慢な悪魔的行為であったのでーー
特に終盤の信長に関する記述は、まさに魔王・まさにサタンのごとしのような書き方になっています。
でも、でもですよ、
冷静になって考えてみるとーー
信長が神に成ったことって、本当に傲慢なことですか?
特別フロイスが言うように、悪魔的に悪いことですか?
本当に皆さんそう思いますか?
ーーそう思わない方!
かなり歴史、特に日本史に詳しい方ですね!
そうですね、有名どころでいうとーー
まずは『天神様』ですね!
学業の神様で有名な天神様は、もともと菅原道真という平安時代の官僚を、その死後祀ったものです。
次は、『豊臣秀吉』ですね!
信長の死後、天下人と成った豊臣秀吉はーー
豊国大明神として、その死後祀られた。
とすれば、次は『徳川家康』です!
秀吉の死後、天下人と成った徳川家康はーー
東照大権現として、その死後祀られた。
ーーみなさん神に成っていますよね。
このように、フロイスのキリスト教視点からだと、
神とは、父なる神と、神の子イエス、そして聖霊の姿をとる三位一体の姿をとるーー唯一絶対の神ですので、
信長が神に成ることはあり得ないことです。
ーーが、しかし、日本史好きな方は、結構当たり前というかーー
そう、“日本史視点”でみると、人間が神に成ることは、ほんとよくあることなんです。
ここで読者からの鋭い質問、
「確かに彼らはみな、人間が神に成っている。
しかし、神に成ったのはーー
亡くなってからだ!」
どころどっこい、信長の最大最強のライバル、
そう、石山本願寺の法主である顕如はーー
自らを『生き仏』と名乗ってます!
そして極めつけは、
そうです、なぜこの日本では、人間が神に成ることがよくあるのか?
その発想の根拠・根源はーー
この日本を、近代に至るまで古より代々おさめてきたーー
まさに生き神と伝えられきた『天皇』、
ーー天皇家があるからです。
もう何が伝えたいか解って頂けたと思いますが、
信長が神に成ったこと自体は、
別に悪魔的でもなく、日本史的には普通によくあることなんです。
つまり、
キリスト教のいう唯一絶対神とは違うーー
ーー多神教の国の神の一人?に成ったのです。
そして、その行為が傲慢かどうかというのは?
それは、信長が神に成ったことではなくて、
信長自身が行った行為で判断されるべきです!
次回予告
降臨した神、信長の前に民衆は歓喜の声をあげる。
ーーそして信長によって示される《新世界》とはいったい?
次回
『新世界』
ーー乞う、ご期待!