59『信長嫌い』
○フロイスの見た信長
信長は全身に燃え上がったこの悪魔的傲慢さから、(略)自らが単に地上の死すべき人間としてではなく、あたかも神的生命を有し、不滅の主であるかのように万人に礼拝されることを希望した。
ーー織田信長と記録でわかるだけでも十八回も謁見した、
ポルトガル人イエズス会宣教師、ルイス・フロイスの『日本史』に記されたーー“信長評”です。
実は信長とフロイスは、最初は仲が良かったのです。初めての対面場所が、二条城の工事現場とか、異文化交流でかなり面白い。(詳しくはフロイス『日本史』)
こうして信長かキリスト教布教を認めてくれたりとーー
最初は信長好きなので、報告書でも褒めまくっています。
ところが、信長が、神に成った、成ろうとしている頃から、キリスト教的に許せない行為として、冒頭の引用文のようにーー
『悪魔的』傲慢さと、信長を糾弾します。
つまり、簡単にいうと信長のことが嫌いに成ったということです。
そして『イエズス会日本年報』によると、
安土山山頂にある信長の居城『安土城』の隣に、『総見寺』を建立した。
その総見寺にはーー
日本においては神の宮には通常、神体と称する石がある。
神体は、神の心また本質ということであるが、
安土山の寺院には神体はなく、信長は自らが神体であり、
生きたる神仏である。世界には他の主なく、彼の上に
万物の創造主もないと言い、地上において崇拝されんことを望んだ。
ーーここまでフロイスの報告書をまとめてみると、
信長が神と成ったとみなに宣言し、そう振る舞い、そのためにご利益満載の総見寺を建立し、御神体は自分自身だということになる。
これを読んだら、フロイスならずとも、信長嫌いな方なら、
いやそうでない方も含め誰でもーー
そう信長好きの拙者ですら、「傲慢過ぎる!」と感じてしまいます。
あくまでも、信長は人間てすからね。
悪魔でもみるようにフロイスが記すのも解ります。
しかし、実はこの『イエズス会日本年報』のフロイスの報告書に書かれたる事実は、
なんと実は織田信長が、悪魔的傲慢さで神に成ったということ意味する内容では……
まったくなかったのだ!
久しぶりに、読者諸兄の「はぁ~?」という声が聞こえる。
「信長が神に成った!と書いてきて、
しかも、証拠文献としてフロイスの報告書を長々引用して来てーー
これは、悪魔的傲慢さで信長が神に成った内容ではない!
ってどういう意味?
もう意味不明」
まとめると、こんな感想だと思いますがーー
拙者が意味不明ともとれる内容を述べるには、それだけの理由がある!
その理由はーー当然、
次のページで!




