55『外国人が見た、信長』
○信長の目指したもの
それを語る前に、信長のイメージの一つーー
残酷冷血の印象についてですが、実は信長の一代記である『信長公記』をはじめとする信長を語る文献ではーー
講談話ではなく一次資料において、その残酷な印象がほとんどしないのです。
“ドクロ盃”など、現代から見ると残酷に見えるものもあるが。当時は、特別残酷とは思われていない。
それどころか、日本の文献ではーー
信長が、よく部下を褒め、やる気にさせ、民に慕われ、私利私欲を排し、己の命を省みず邁進するという姿が、圧倒的に多い。
ーーでは、どの文献から信長の恐ろしいイメージがもたらされるようになったかというとーー
あのフロイスの『日本史』なのです。
このルイス・フロイスという宣教師は、信長に始めて会った宣教師であり、信長から格段の優遇を受けている。
それでフロイスの所属するイエズス会への報告書には、最初の頃の信長はべた褒めである。
そう、フロイスは、信長がそのうちキリスト教徒になってくれると期待したのです。
実際この頃は、フロイスらの頑張りによって大友宗麟などのキリシタン大名が増えている訳で、この国の最高権力者がキリスト教徒になれば、フロイスたち宣教師の目的である、仏教国の日本の、キリスト教国教化が叶うからです。
しかも、信長が実際に、大々的に仏教勢力と対決しているからかこそ、信長が天下を取れば、キリスト教を国教にすることも無理な話ではないと期待していたのでした。
しかし、その信長への期待はある時……
絶望と、そして怒りに変わります。
……何故なら、
それは何故なら、フロイスには、信長がした“悪魔的行為”が、どうしても許せなかったからでした。
ーーということで、信長が嫌いな方は、やっぱり、外国人が悪魔的行為と感じるくらいの悪事を信長がしたということだから、
やっぱり信長は、この作品でやれ救世主、やれキリストだと持ち上げても、客観的にみれば、残虐な悪人ではないか。
と思ったかもしれません。
さぁ、その信長がしでかしたーー
フロイスが、絶対許せない『悪魔的行為』とは、
ーーいったい何でしょう?
答えはーー
当然、次のページで!




