52『人間五十年』
人間五十年
下天の内を比ぶれば
夢幻のごとくなり
一度生を受けて
滅せぬ者のあるべきか
炎上する本能寺の中で、幸若舞『敦盛』を舞う信長ーー
そして炎の中で自刃するその顔には、一切の憂いが無かった。
ーーよくある信長、本能寺の変最期のシーンです。
凄くその信長の最後が、なんというか神秘的に感じるシーンでーー
今までの信長の生き様と、よくマッチした場面ですね。
……ただこの日、信長が本能寺で舞った記録は……
現在のところありませんので、現状ではフィクションになります。
そしてこの『敦盛』を、史実舞ったシーンがあります。
ご存じの方も多いと思いますが、前述したあの信長最大の危機ーー
『桶狭間の戦い』での、出陣前のシーンです。
敵の今川義元が領内に侵攻してきたとのことでーー
信長と家老衆で軍議をするが、大軍相手で籠城策が多く、そのためなかなか方針が決まりません。
そして軍議はそのまま散会となりました。
しかし、敵が信長方の砦を襲撃との報を受けると、すくっと信長は立ち上がりーー
『敦盛』を舞うと、立ったまま湯漬を三杯かき込み、そのまま鎧を着けてーー
なんと単騎で城を飛び出したのです。
このとき信長は正に死がすぐそばまで来ていた。
圧倒的な敵軍を前に風前の灯、もう国が滅びるしかない……そういう事態なのにーー
悠々と舞を舞っているのです。
ーーこのことは、信長が、よく好んで歌った流行り小唄からもよく分かる。
死のふは一定、しのび草には何しようぞ、
一定かたりをこすよの。
これを訳しますとーー
人間は死ぬことは決まっている。
だから、死後のために、生きている間に何をしようかの。
死後、後世の人はそのことを思い出して語ってくれるであろう。
ーーという小唄を信長はまだ若い時から歌っていたのてす。(『信長公記』)
生きている時の栄誉栄華よりも、死後評価されるような人生の生き方のほうを、自らは望む。
だから、そうなるようにーー
自らを律して生きる。
信長はずっとこの、自らの“死後の世界”を常に考え常に思い、
戦国乱世を必死で生き、そして駆け抜けたのです。
信長が自ら死後の評価の方を、重点的に考えているところとかはーー
イエスが自らの死後、
人々が救われることを望み、そして死後ーー
キリスト教が実際に世界中に発展をしていったこととーー
何か“思い”が、重なるような気がしますね。
●只今の信長・イエスの“類似率”はーー
……95%。




