51『ロンギヌスの槍と……』
こうして信長は、光秀の襲撃を知り、唇にてを当てて「余自ら死を招いた」と述べたあとーー
最期の死に花を咲かせるごとく、多勢に無勢でどんどん押し寄せて来る明智光秀の軍勢を相手に、弓を放ち、槍を振り回して奮戦します。(『信長公記』)
その戦いの中で、信長は肘を負傷するとーー
ここまでか!という感じで、あとの事は森蘭丸に任せ、襖の奥に下がります。
この時、信長に一番槍をつけた武士の名前が、伝わっています。(『森家先代実録』)
安田作兵衛国継といい、明智光秀の家臣、斎藤利三の配下の者で、いつも一番槍をつける猛将だったらしく、「一番槍の作兵衛」として名を馳せた。
ーーそして、信長に一番槍をつけたあと、行く手を阻んだ蘭丸を、見事に討ち取ります。
この時、信長を負傷させた槍はーー
後世、『作兵衛の管槍』と呼ばれ、
現在、唐津城の郷土博物館にて展示されている。
※管槍は、特殊加工された槍。
ーーということで、少し閑話休題ですが、
前述したように、イエスを槍で刺したローマ兵、盲目のロンギヌスはーー
刺した時のイエスの血が目に入って、目が見えるようになったという奇跡が起きた。
そのことで、改心し洗礼を浴びてキリスト教徒になり、後に聖ロンギヌスと呼ばれる聖人になった。
そしてイエスに触れたことで聖遺物となった『ロンギヌスの槍』、
その伝説の槍とも言われるものがーー
オーストリアのウィーンにある、ホーフブルク宮殿が所蔵する「神聖ローマ皇帝の槍」である。※(詳細後書き)
同じように、信長を槍で刺した安田作兵衛国継は、1597年六月二日四十二歳で亡くなったとされるがーー
その死因は頬にできた出来物が悪化したのを苦にして、自害したとされている。
しかしなんと、自害した日はくしくも『本能寺の変』、つまり織田信長の命日と同日でありーー
信長を刺した祟りなのではと噂された。
ーーということで、本作は、ご存じの通り信長とイエスの《類似性》を追及する作品です。
イエスを刺したロンギヌスは後に聖人になり、
『ロンギヌスの槍』はーー聖遺物の一つとなった。
信長を刺した安田作兵衛国継は、信長に一番槍をつけて勇名を馳せたが、信長の祟り?で死んでしまう。
そしてその『作兵衛の管槍』はーー地方の博物館の一つの展示物になった。
という、なんというかーー
……結末が、正反対みたいになってますね。
でも、最期の時に信長もイエスも槍で刺され、
しかもその事で、刺した人物の名が後世まで知られ、
刺した槍にまでも名がつけられるというーー
共通点も多い二人の逸話でした。
※聖遺物信仰が高まった時代に、伝説の「聖槍」が数多く発見された。その聖槍の一つは、サン・ピエトロ大聖堂に保管されているといわれているが、公開はされていない。
●只今の信長・イエスの“類似率”はーー
……94%。