40『偽救世主』
イエスが布教活動した時代は西暦30年前後といわれる。
因みに、西暦はイエスの産まれた年を西暦1年として設定された。ただ設定されたのが、イエスの死後ずっと後の時代だったため、
実際の誕生年はおおよそ西暦4年頃と言われている。
当時のイエスが住む、パレスチナ地方のユダヤ教の状況はというとーー
サドカイ派という代々の聖職者が、政治権力も握っていました。
サドカイ派は、全国の巡礼者がエルサレム宮殿に納める寄付や、国民から神殿税を受け取る立場だったので、放っておいても収入が入る特権階級でした。
一方、一般のエルサレム市民の方は、ユダヤ教の律法絶対主義の、パリサイ派と呼ばれる集団か多く、そして一番イエスを批判した集団でした。
パリサイ派は低所得者に多いのですが、それでも地方に比べれば都市部に住んでいるだけ裕福で、エルサレムに出稼ぎや巡礼に来る人々に対して優越感を持っていました。
そしてそのプライドの根源は、ユダヤ教の中心地であるエルサレム宮殿がある地に住んでいるということだったので、
積極的にユダヤ教の戒律・律法の受け入れ遵守し、また他の者にもそれを強制するのでした。
だから、イエスのユダヤ教に対するいわば宗教改革運動は、
律法・戒律絶対のパリサイ派の逆鱗に触れるのです。
……ちょっと前説が長かったですが、
イエスのおかれた状況を理解して頂けると、本作後半の主題、
『信長イエス危機への挑戦ーーそして伝説へ』
の内容がわかりやすくなります。
つまり、
イエスはユダヤ教の宗教改革を、自らの命を賭けてでも目指す。
ーーそれが、人々の救いになると信じて。
パリサイ派は、今までのユダヤ教をずっとこのまま時代が変わっても杓子定規に遵守することを目指す。
ーーそれが、今まで人々を救い続けた方法だから。
なので要約するとイエスの立場からいうと、
イエスは宗教改革者で、パリサイ派は抵抗勢力となる。
逆にパリサイ派の立場からいうと、
パリサイ派は、伝統を重んじる正統派ユダヤ教徒で、
イエスは異端者で、嘘の教えを説く『偽者の救世主』となる。
もちろん、もう二千年前の話なので、どちらの考えが歴史的に正しかったのか、私は専門家ではないので断言はできません。
(ただ本作品は分かりやすくするために、主にイエス視点メインで進みます。)
ーーパリサイ派からみれば、ユダヤ教の掟である戒律・律法に書いてないようなことを広めているイエスの活動は間違った活動であり、その間違った教えを広めるイエスは、“偽者の救世主”ということになりますから、
なんとかして逮捕したい。
イエスとしてみればーー
神の子である自らが布教しているのに、
戒律・律法と違う内容であると、監視しているパリサイ派に判断されれば……捕縛される可能性が多いにある。
「正しい教えを分かりやすく伝えていきたい、
しかしそうすると、伝えを広める前に捕まってしまう。
仕方ない、分かりづらいが、例えばなし(隠喩)をメインでするしかない」
と、いつももどかしくてしょうがなかったと思います。
ーーだから、イエスが一番非難したのが、パリサイ派でした。
というか、イエスと信長の話のはずなのに、「パリサイ派の話ばかり」と思いのみなさん、お待たせしました!
続きの続きのページから信長ターンです!
えっ、次ではなくて、次の次?まだパリサイ続くの?
いえ、次のページはーー
当然、見てからのお楽しみ?!