37『いらだち』(信長)
○信長のいらだち
信長は、早急な天下統一をめざすあまりーー
いらだちを隠さない場面が多いです。
またそういう場面を知って、信長が残虐だと感じてしまう方もいます。
これは父の信秀が亡くなったばかりの、
信長十六歳の頃の話ですがーー
信長の父信秀が尾張で瀕死になった時、
信長は父の生命について祈祷することを願い、父が病気から回復するか仏僧に尋ねた。
仏僧は、信秀が回復するであろうと保証した。
しかるに信秀は数日後に、世を去った。
そこで信長は仏僧を監禁し、外から戸を閉め、
貴僧らは、父の健康について虚偽を申し立てたから、今や自らの生命について念を入れて仏像を拝むがよい。
と、言い、そして彼らを包囲したあと、彼らのうち数人を射殺せしめた。
これは宣教師フロイスの『日本史』にあるエピソードですが、
要は、仏教の僧が「祈祷すれば父上様は回復しますよ」と延べたのに、すぐ父信秀が亡くなったので、信長は怒って仏僧を監禁して、
「そんなにありがたいお経なら、そのお経で自分を救ってみろ!」みたいな感じです。
これをそのまま受け取ると、かなり信長がいらだち、まるで乱暴者に見えます。
ただ、このエピソードは、宣教師として初めて信長に会い、またその後“信長嫌い”になったフロイスの記述なので、差し引いて読まなければならないのですが、
一つ解ることはーー
ーー信長のこの世界に対する……嘆きです。




