36『奇跡と自覚』
このように、
信長とイエスは案外、類似してると感じてきた方もいると思います。
もちろん、聖書のイエスと信長を強引に結び付けただけだろと、感じる方も。
ところで、
信長の参考文献の中心は、
信長の一代記『信長公記』です。
イエスの参考文献の中心は、
聖書にあるイエスの伝記『福音書』です。
この二つの文献を読むと、結構内容が似ているのです。
それは一つに、二人の人生の展開が、今まで延べてきたように似ているということ。
またそれは、
『信長公記』が、信長の祐筆つまり秘書・記録係であった太田牛一が、主君の活躍を後世に残したいと記されたもの。
『福音書』が、イエスの弟子たちが、イエスの“素晴らしい”教えを、後世に残したいと記されたもの。
という、信長・イエスの活動の賛同者・礼讃者によって書かれてあるから、どちらも救世主的奇跡的よりの内容になってしまうというのもある。
しかし、実は信長の奇跡はーー
イエスに似ているものばかりではない。
一章で延べたように、信長の最大のライバル大名と言われる、武田信玄・上杉謙信が、本格的に打倒信長の兵を挙げた途端に、亡くなってしまう。
とか、もっと凄いのは、
至近距離から鉄砲の名手に狙撃されたのに、かすり傷一つだけで助かったりと、信長オリジナル?の奇跡も多い。
ーーこれはイエスにしてもそうですが、
なぜ英雄といわれる者は、奇跡のエピソードが多いのか?
とのクエスチョンを考えると、
やはり、常人離れした、そう超人的な人物だから。
ではなくーー
やはり、常人離れした《危機》に、幾度も直面するからではないでしょうか。
信長にしても、イエスにしても、
時代を変えることが目的なのでするから、
それに対する抵抗勢力といったものの妨害は相当なものになります。
つまり、その時代にとっては、
とんでもない事をし続けるわけですからーー
危機、危機、危機の連続の人生になるわけです。
そうだから、直面する度重なる危機をくぐり抜けている間は、
そうつまり……その者が死ぬまでは……
そう、つまりは奇跡的に生きているという状況状態に、なるからではないでしょうか。
逆に言えば、
イエスも信長も、自らの目的遂行の為にーー
正に死をも覚悟して生きているから、
その覚悟が奇跡を呼ぶ……
いや、奇跡を生むのです!
●只今の信長・イエスの“類似率”はーー
……80%。