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35『海を歩いた男』(信長)

信長が“海の上を歩いた”という奇跡の場面はーー

信長が、室町幕府第十五代将軍に擁立した足利義昭がーー

信長に反旗を翻した時のことです。

『信長公記』によると、

信長は、義昭の挙兵の報告を受けるとーー


七月六日、ただちに信長公は例の大船に乗って、風の吹く日であったが、

坂本に向け、湖を風をおして渡られた。

その日は坂本でご宿泊。


七月七日、信長公は京に入られた。

二条の明覚寺に二陣を据え、猛勢で城を取り巻かれた。


将軍側の公家方はびっくりし、

いろいろと詫びごとを言い、人質を差し出して、誰もが同じ陣内に固まっていた。



……これのどこが、海の上を歩いた話になるの?

と、お思いの読者ばかりだと思いますがーー


信長は、将軍義昭か裏切ることを予見して、琵琶湖をはさんで対岸にある安土にーー

大勢の兵が乗れる巨大な船を用意しておいたのです。


そのため、変事が起きた時に陸路よりも早く迅速に軍勢を、京方面に送れるようになったのです。


それで敵方は、京で蜂起してたった一日でーー

信長が大軍を連れてやってきたので大いに驚いて、戦意喪失してしまったのでした。


ーー正に、“神速”の如しといった感じですね!


大船の存在を知らなかった敵方は、通常安土から大軍で来るには二、三日かかる日程をーー

突然たった一日で、目の前に現れた信長軍を見てーー


「信長が対岸の安土から、大軍を引き連れて琵琶湖を歩いてきた」


と思ったことでしょう。


……また、強引に聖書のイエスと結び付けたと感じる読者も多いと思います。


が、実は『福音書』は、喩えが多いのです。

それは、イエスはその活動中、

反イエス派が、偽救世主としてイエスを貶めることを狙っていたので……

出来るだけすぐには解らない言葉、つまり隠喩が使われることが多いのです。

またイエス死後の初期キリスト教も、当初ローマ帝国に徹底的に弾圧されたので、その逆境の中キリストの教えを守るためにも、分かりにくい隠喩が使われました。


ですので、イエスが神なので、

文字通り、海の上を歩いたーーという解釈もありますが、

隠喩として書かれている場合もあるということです。


たとえば、イエスは精力的に布教活動をしていたので、弟子たちが舟で疲れて寝ている時も、

イエスは休まず布教を頑張っていた。

そうしたら弟子たちが休む前にいた岸とは、対岸の方まで布教に来てしまった。


それを目が覚めたばかりの弟子たちが、一目見てびっくりしてしまった。


寝る前に向こう岸にいたはずのイエス様が、気付かないうちに、対岸に移動している。


突然のことに、

「イエス様は、私たちが舟で寝ている間に、

海を歩いて舟の横を通りすぎ、向こう岸まで渡ってしまわれたのては?」と思ってしまった。


つまり、イエスの行動力がそれほどまでに、


ーー正に神速の如しといった感じだったのです。


聖書解釈の一つとしてそういう解釈をとる説も、実はあるのです。


ーーそうつまり、『福音書』で、イエスが海の上を歩いたというのはーー隠喩の可能性がある。

……そして拙者が、信長も海の上を歩いたことがあると延べたのは、まさしく……隠喩でなのである!?


ーーこのように二人のエピソードの、何が奇跡だというかというと、

二人とも常人ならざぬ行動力・活動力でーー




二人とも、神がかって見えたからなのでした。




●只今の信長・イエスの“類似率”はーー


……75%。

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