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31『優しさに、落ちる涙』(解題)

先ほどの『ルカによる福音書』第七章はどうでしたか?


イエスの愛、『寛容の精神』の深さを、如実にあらわした感動的エピソードですね。


初めて読むと、分かりづらい方も多いと思います。


なんとか頑張って私なりの解釈解説してみますとーー


人間には、二つの自分を縛る鎖があるーー

一つ目は、周りの人から蔑まされたり、差別されたりと……外から自分を縛る鎖。


もう一つは、罪悪感、自己嫌悪、諦めというかたちで……自分で自分を縛る鎖。


この鎖はどちらか一つ取り払われただけではーー

真の自由・心の平穏には決してなりません。


その為にイエスは差別の無い心で、

「あなたは既に多くを愛してるのですからーー

既に多くを許されているのですよ」

と罪女と呼ばれる女に、優しく諭したのでした。


そうこの『隣人愛』の精神で、

彼女の罪悪感を癒し、そして罪自体を許してーー

二つの人を縛る鎖を見事に取り払ったのです!


そして、相手を許し認めることこそがーー

《愛》だと教えてくれたのでした。


ーーしかも、この行為の凄いこところはーー

いっさい超能力的な“奇跡”を使ってないことにあります。


イエスの言葉ーー

その言葉だけで罪女を許し癒し、また人々に人としてどうあるべきか、指し示したのです。



ということで、もう読者諸兄はお分かりの通り、信長公の大ファンである拙者は、

同時に人間イエスさんのファンでもあります!


もちろん歴史上の人物として好きなのであって、キリスト教を初め、どの宗教団体の信者でも拙者ありませんが。


拙者としては、クリスマスを祝ったあとは、正月を初詣で祝うみたいなーー

いかにも日本人的な多神教の世界である、緩やかな神道に愛敬を感じております。

……初めに言葉があった。

言葉は神と共にあった。


                『創世記』

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