29『優しさに、落ちる涙』(信長)
信長の優しさがよく分かるこのエピソードは、
信長の一代記である『信長公記』に、
「山中の猿」という題名でのっているものです。
※ちなみにこの“猿”は、秀吉のことではありません。
美濃と近江の国境に山中というところがある。
その道のほとりで、身体に障害のある者が、
雨露にうたれながら乞食をしていた。
信長は京への往復にこれを見て、たいそう哀れに思い、
「たいてい乞食というものは、住むところを定めず、さすらい歩くものだが、この者はいつもここにいる。
何か訳でもあるのか?」
と、不審を抱き、町の者に尋ねた。
町の者はその由来を答えた。
「その昔、この山中の宿で常盤御前を殺しました。
その報いで、殺した者の子孫は代々身体に障害を持って生まれ、あのように乞食をしております。
世間では山中の猿と言っているのは、この者のことでございます」と言上した。
六月二十六日、信長は急に上京することとなった。
その多忙な最中に、あの乞食のことを思い出し、
木綿二十反を自ら用意して、お供の者に持たせた。
山中の宿で馬をとめ、
「この町の者は全員出頭せよ。言いつけることがある」と触れを出した。
どんなことを言いつけられるのかと、人々は恐る恐る出頭したところ、
木綿二十反を乞食の猿のために下賜し、町の者にこれを預けた。
信長は、
「この木綿の半分を費用に充てて小屋を作り、この者を住まわせて飢え死にしないように面倒みてやりなさい」
と言いつけた。
さらに、
「近隣の村の者たちには、麦の収穫があれば麦を一度、秋の収穫には米を一度、年に二度ずつ毎年、負担にならぬ程度に少しずつ、
この者に与えてくれれば、信長は嬉しく思う」
と言い添えた。
あまりのかたじけなさに、乞食の猿はいうまでもなく、
山中の町中の男女は泣かぬ者はなかった。
お供の者たちも、上下みな涙を流し、
それぞれいくばくかの銭を猿のために拠出した。
町の者たちは誠にありがたく、お礼の言いようもない様子であった。
このように慈悲深い信長であるから、神仏の加護があって、一門は末永く栄えるだろう、と思ったのであった。
ーーこの話を初めて知って驚かれた方もおられると思いますが、
よく魔王と呼ばれる信長の印象とは全く違う、
信長の優しい一面を感じとれるエピソードですね。




