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27『虐殺』

信長は、イエスと違い宗教を通して世界を救うのではなくーー

百年にも及ぶ戦乱を治めるために、武力による平和を目指しました。


この当時、民主主義という概念は世界のどこにも無くーー


世の中を自分の思い通りにするのも、

逆に自由で平和な世の中にするのも、


とにかく武力が必要か時代でした。


そのため戦国時代の覇者である信長は、敵対勢力である一向一揆を武力で鎮圧し虐殺したという、残虐なイメージがついてます。


ただ一向一揆というのは、一向宗の石山本願寺が裏であとを引いたものが多く、信長本願寺十年戦争の一部と言えます。


また一向門徒は、本願寺の“生き仏”顕如から、

「進めば天国、退けば地獄」と、死ぬまで戦い続けることを奨励されていた。しかも、信者なら老若男女すべて、顕如の命令で信長と戦うこととなる。


そう、信長三大悪事の最後の一つーー

『一向一揆の虐殺』は、信長が虐殺をしたかったので起きたことでは元々はなかったのです。


何故なら信長の宗教武装勢力に対する基本的な対応は、武装解除したあと、信教の自由を認めることだからです。


一向一揆にはそれができなかった。

相手を倒しても倒しても信者なら、老若男女すべてが敵として際限なく「退けば地獄!」と、最後まで降伏せずに暴れ回るのである。


そう、信長が基本方針を捨て、虐殺を選ぶしかなかったのはーー

そもそも一向一揆は武装解除することも、降伏させることも不可能な信者の老若男女たちによる武装集団だったからでした。


ただ当然現代の民主主義視点で見てしまうと、どうしても虐殺した信長には悪いイメージがついてしまうのは否めない。


ですがこれは別に信長だけの話ではないのです!


戦乱が続いた日本の戦国時代では、人一人の命というものはとても軽いもので、実は虐殺行為というのは仏教勢力もよくやってるものでした。


だから……

誰か悪いかと言えば、そういう時代が悪かったとしかいいようのない……悲しい時代でした。





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