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266『フロイスは、《信秀葬儀》を誰から聞いたのか?』

織田信長が天下人となれたのは、この国を改革するビジョン、

つまり脱仏教化――

特に、仏教武装勢力の非武装化という国家ビジョンがあり、それこそが民衆が望んでいたこの時代が望んでいた平和をもたらす正しい改革方針であり、それを断固として実行したからなのである。



それにしても前頁の『信秀の葬儀』の記述で疑問に残るのは……



信長の父信秀の葬儀の事が、何故に宣教師ルイス・フロイス著の『日本史』という――

キリスト教修道会であるイエズス会の文書に記されているのか?

ということである。


そうこの1551年(天文20年)の時点ではそもそも、まだフロイスが日本に来ていないのに、何故に信秀の事柄が書かれてあるのか?


……もちろん誰かに聞いた事があるから、誰かの報告書を読んだ事があるからとなるのですが、

ではいったい誰から?


と考えた場合、信秀の時代にいたフロイスの大先輩である宣教師フランシスコ・ザビエルの報告からと考えるのは、自然ですよね。


そして何故、ザビエルはまだ尾張一国も支配していない織田信秀の葬儀の事を報告しているのか?

それは、信秀の息子である信長に出逢って関心をもったから!

というのも、あながち荒唐無稽な発想ではないと感じます。



次回、ついに信長【尾張の大うつけ】伝説の真相が明らかになります!


そして、お待たせしました!

拙者も読者様も真面目な話ばかりで疲れたと思いますので……



次々回より、【小説編】再開です!



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