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264『仏教国家日本』

○信長少年は――この国に疑問を感じた。


『信長の父信秀が尾張で瀕死になった時、

信長は父の生命について祈祷することを願い、父が病気から回復するか仏僧に訊ねた。

仏僧は、信秀が回復するであろうと保証した。

しかるに信秀は数日後に、世を去った。

そこで信長は仏僧を監禁し、外から戸を閉め、

貴僧らは、父の健康について虚偽を申し立てたから、今や自らの生命について念を入れて仏像を拝むがよい。

と、言い、そして彼らを包囲したあと、彼らのうち数人を射殺せしめた』


これは宣教師フロイスの『日本史』の記述であるが――

前述したようにこの時いた仏僧は300人!もいたのだ。

しかも、祈祷すれば父信秀が回復すると保証しながら、結果助からなかった。


一事が万事で、これはこの時代の日本にもあてはまり、人々の心の平安を国家鎮護を叶えるためにある仏教、その仏教界が……

自らの権益拡大のために武装化し同じ仏教武装勢力と宗教戦争をしているのである。実際、天台宗と法華宗の宗教戦争『天文法華の乱』の被害はあの応仁の乱を越えたと言われるほどである。


そう、「この日本は仏教国なのに、仏教は人々に平和をもたらすどころか、父信秀も救えず、それどころか戦乱を呼ぶ元凶になっている。」


そう、この国の体制に信長が疑問を持てたからこそ、そしてそれにいらだちを感じたからこそ、信長は天下を取れたといっても過言ではない!


そして何故、そもそも信長がこの仏教国家日本に疑問を抱くことができたのか?


織田信長のライバル、武田信玄や上杉謙信すら気付く事がどうしてもできなかったこの疑問を、信長が抱くことができたのは――


それは……



そうそれは――




少年時代に、異教徒ザビエルに出逢っていたからである!





次回、ついに信長が天下を取れた理由が判明することとなる!


次回『何故、信長は謙信・信玄に勝ったのか?』



乞う、ご期待!!

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