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263『【天文20年】信長少年の事件簿』



――織田信長は、少年時代に京都に行ったことがある。



もちろんこれがもし事実だとしても、それがただちにフランシスコ・ザビエルに会ったことにはならない。

そう、会っていたかどうか?の前に、上洛したのがもし仮に事実だとしても、何年に上洛したのか解る文献すらないのである。


――その上でもし仮に会っていたとするなら、1551年のザビエル在京時の一月から二月末までと推定しているのですが――


実は、その18才の時に史実における、重大な事件があるのです。


そうそれは――


信長の父、信秀が亡くなったのである。

1551年天文20年3月3日(西暦4月8日)享年41才のことである。※諸説あり



――そしてこの【天文20年】の一連の流れを振り返ると、

信長【大うつけ伝説】の真相が見えてくるのです!



信長が正月頃に上洛してザビエルに会って、

3月の桃の節句に父信秀が亡くなる。


家督は嫡男の信長が継いだ。葬儀は萬松寺で行われ、僧侶300人を参集させた壮大なものだった。


そして、前述したように、【尾張の大うつけ】を決定付けた、

信秀葬儀の場面での、抹香をわしづかみにして投げかけ、すたすたと帰ってしまった事件が起きる。


そしてこの場面は、本作第37話『いらだち』(信長)で述べたように、イエズス会側の資料にも残っているのだ!


そう、本作は必ずや伏線を回収するのです!


信長は信秀葬儀の時、明らかに“いらだって”いた。



ではいったい何故、信長はいらだちを感じていたのだろうか?



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