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261『信長とザビエル【運命の邂逅】』(3)

……ということで、そう『本能寺の変』どころか、

信長の今まで通説で語られてきた少年時代の――

【尾張の大うつけ】から、【世界の終わり】ハルマゲドンまで本作は取り扱うこととなりました。


が、まずは織田信長とフランシスコ・ザビエルが、出逢っていなければ……話が始まりません。


まず、基本となるデーターを見てみます。


1549年(天文18年)に日本に宣教師として初めて上陸したザビエルは、史実で解る範囲でも九州から京にかけて日本中を布教している。


そして京にいたのが1551年(天文20年)1月から2月末頃まで。


信長は尾張出身なので、一番ザビエルと会う可能性が高いのは、京である。

そう信長がもしザビエルと出逢っていたのなら、ザビエルが京滞在時の可能性が一番大きいと推察できる。


そしてザビエルが京に来たのが、

イエズス会創設から18年たった時なので――


つまり、信長とイエズス会は同じ年に誕生したので、

信長も18才となっている。


そう、もし信長とザビエルが出逢っていたなら、信長は18才の時なので――

その年に信長が上洛した記録があれば、ザビエルと会った可能性は高くなるが、……現在のところそのような文献はない。


しかも信長が上洛したのが文献で解る最初の時は――

将軍足利義輝に謁見した1559年、信長26才の時であるが、その時にはザビエルはすでに死去していた。


そう、信長が上洛した時にザビエルが京にいなければ、当然会うことはできない。

もちろんザビエルが存命中にである。


そうザビエルは――


1551年(天文20)45歳、京都に到着する

1552年(天文21)46歳、中国、上川島にて病死


なのでつまり、やはり信長と出会ったとしたら、1551年の京都しかないのてある!


しかし、少年時代の信長が上洛した記録は無い。

これでは話が進まない。


と思っていたら、なんとなんとあったのである……




尾張の大うつけ信長が、少年時代に上洛した文献を……



ついについに見つけてしまったのである!!



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