26『撫育民姓国家』
織田信長が目指した世界、それはーー
『撫育民姓国家』、
つまり、民たちが安全安心に暮らせる平和な世の中でした。
実際その証左の一つに、
あの武田信玄を倒したあとに、甲斐の国に出したーー
『お触れ書』があります。
そのお触れ書にはーー
一、関所で税を徴収してはならない。
一、農民には定められた年貢のほかには、余計な税をかしてはならない。
と、冒頭の二条で、民の生活のことが、延べられています。
そしてようやく、三条目から武士に対しての掟に入るのです。
このようなお触れ書は、この時だけのことではなくてーー
七年前、越前を平定した時の一条目も、
「決められた以上の年貢は、取ってならぬ」
と、なっています。
なぜ信長が、
こうも「年貢を取りすぎてはならぬ」と、お触れ書に書くかというとーー
結局、信長が支配する前の大名はーー
決められた年貢以上に取り上げることが多々あったからでした。
そう、そうなのです!
信長は、掟の冒頭で、
「新しい殿様は、民の味方である」とお触れで宣言しーー
それを実行することで、安定した社会の創出を目指したのでした。
このように、イエスも信長も、今の世の中をより良くしたいという一心で、時代を駆け抜けたのである。